第21回 2006年4月27日開催
於・東京大学
東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障プログラム」/
平和構築研究会/国連フォーラム 合同勉強会
「スーダンの現状とスーダン国連事務総長特使の
スーダン和平への取組み」
小野 京子 氏
国連プロジェクト・サービス機関東京事務所
(United
Nations Office for Project Services
Tokyo Liaison Office)所長
注:以下の議事録および質疑応答の内容はすべて発言者個人のものであり、国連その他の機関の見解ではありません。
■1■ 自己紹介
■2■ スーダンの状況
■3■ PKOの立ち上げ
■4■ 日本とスーダンとの関係強化についての私見
■5■ スーダンの今後
■ 質疑応答
2004年8月から 2005年10月までスーダン国連事務総長特使(Jan Pronk)の補佐官(Special Assistant to SRSG)として勤務した。Pronk氏の補佐官には軍、開発、政治担当の3名がいる。私は政治を担当。特使にどこでもついていき、メモ取り、書類の事前チェック、文書・スピーチ・事務総長報告書のドラフト作成などを行った。
■ 南北和平合意
2005年の南北包括和平合意は21年間の内戦に終止符を打った。紛争の理由はいくつかある。資源分配、政治的代表権、宗教など。1983年のイスラム紛争が発端。和平に至ったのは、スーダン政府が武力で南部を抑えられないと観念したからとも言われる。和平合意の内容としては、住民投票で南部が独立するかどうか5年後について決める。和平合意で決まったCease fire political commissionの設立が遅れている。
■ ダルフール
スーダン西部のダルフール地域で、スーダン政府・アラブ系民兵と反政府勢力との間の紛争が2003年より激化し、国内避難民と難民の総数は、2005年12月の段階でそれぞれ165万と20万とされている。
ジャンジャウィード(アラブ系民兵)、 スーダン解放軍(Sudanese Liberation Army)、正義と公正運動(Justice and Equality Movement)などがアクターである。
2004年上旬、国連NY本部内ではダルフールの大量虐殺に安保理などの政治的プレッシャーを与えるべきなのか、南北の和平締結を優先させるべきなのか意見が分かれていた。現役の政治リーダーへの制裁と長期的な安定との間にはトレードオフがある。結局、スーダン政府副大統領タハはダルフール紛争の黒幕とも言われたが、政治的プレッシャーは見送られ、和平締結が優先された。この一例はアフリカの紛争解決の難しさを物語っている。
ダルフールの状況について、アメリカはジェノサイド、国連は戦争犯罪と認定している。
ダルフールに関しては問題解決のインセンティブが少ない。SPLM前リーダーのGarangの死後、南部政府から北部政府への影響力は残念ながら低下。又、南北和平交渉中の様に国際的支援のcarrot(ご褒美)もダルフールでは掲げられていない。
アフリカ連合(AU)と国連との関係も現在は微妙で問題解決を難しくしている。
■ 東スーダン
ダルフールとの関連あり。スーダン政府とBeja Congressがアクター。2004年1月、スーダン政府とBejaとで停戦合意の紳士協定が結ばれたが、国連事務総長特使がその際に貢献。その後、一旦は政府とBeja Congress間で交渉が再開される見込みがあったのだが、エリトリア政府や国際NGOの介入でいまだ始まっていない。
■ 南スーダン
ようやくゼロスタート。LRAの脅威もある。
■ 周辺国との関係
スーダンは9カ国と接している。周辺国からの、また周辺国への影響が大きい
エリトリア:密に関係
エチオピア:エリトリアとの国境問題を介して影響を受ける。特使と大統領が近しい
チャド:ダルフールの反政府軍と同じ部族
エジプト:ナイル川の権益を気にしている。その為、南部スーダンの独立は望んでいない。
ウガンダ、コンゴ民主共和国:神の抵抗軍(Lord Resistance Army)のベース
ケニア:南北和平交渉の場所
■ Interdepartmental Task Force on Sudan
政務局、PKO局、様々なUN AgencyなどからなるInterdepartmental Task Force on Sudanにより、PKOの立ち上げ準備をNYの国連本部で2003年12月から行なっていた。この ITF設立は Brahimi報告(Report of the Panel on United Nations Peace Operations)からの提言に基づく。タスクフォースの設置は一つ目がアフガン、二つ目がスーダンだった。良かった点は、情報交換、一体感の醸成。本部では珍しく現地と毎週情報交換していた。タスクフォースにいた国連本部事務局34人がそのまま政治ミッションで現地入りした。私もその一人。一方で、政策決定まで至らなかった。また南北和平協定前での国連の役割を明確化するのが難しかった。
■ UN Advanced Mission in Sudan (UNAMIS)
国連安保理決議(2004年6月)に基づき設置。国連の役割がはっきりしない中で、PKO立ち上げの準備をするための政治ミッションとして 50名弱が派遣。現実に、和平合意が締結されていない中で、政府、南部のSPLMにとって国連はひとつのactorでしかなく、その中で活動をすることの難しさに直面した。
UNAMISにおける特使の安保理への義務の一つにダルフールの状況を毎月報告することがあげられる。私もこの月次報告書(Secretary General's Report to the Security Council)を書いたが、特に国連のアクセス困難な場所でのsecurityに関する正確な情報収集が困難であった。というのも、安保理への報告義務はUNAMISに与えられているにも拘わらず、現場でのsecurityのマンデートを持っていたのはAfrican Unionであった為、情報交換などの連携を図ることの難しさを体験した。特使はスーダン政府の外務次官とダルフール査察を何度か行なった。その中で、外務次官が薪を集めている女性たちに道端お金を渡すシーンを見た時には、スーダン政府の負の介入を考えると、複雑な気持ちになった。
■ UN Mission in Sudan(UNMIS)
2005年3月の安保理決議に基づく。今後6年半から7年はいるだろう。最低、南北国民投票があるまでの期間である。特使の活動例としては:
2004年11月にケニア、ナイロビで開催された国連安保理会議に出席。アメリカが議長国であった為、開催が可能だったと思われる。例外的にNYの国連本部外で実施。ここでは 2005年1月までに南北の和平を締結することをスーダン副大統領Tahaと南部リーダーのGarang氏との間で合意がなされた。
シャトル外交。エリトリアでの政治交渉(エリトリアのスーダン反政府軍Beja Congressとの交渉)、戻ってスーダンで交渉。
ナイジェリアでのダルフールについての政治交渉に度々参加。AUの交渉支援、又反政府軍とのミーティングを持つことによって、政治交渉を貢献。
ミッション中に、スーダン副大統領Garangの死があった。ハルツームで暴動が起きた。スーダン全体で130人死亡。SPLMの副大統領が即Garang の後任としてスーダン政府の副大統領に就任した。
ダルフールでの武装解除式
・自衛隊をハルツームの司令部に派遣すること:情報収集と政策支援
・文民警察の派遣:スーダン側に要望がある
・PKO派遣人数の拡大:現在4,000人中3人。
・日本大使館員の拡充:現在8名。大量の仕事を抱えるので、拡大できないか
鍵となる事柄として以下が考えられる:
スーダン政府と南部スーダン政府との信頼関係構築
アブジャでのダルフールの交渉
ダルフール・東スーダンでの停戦合意
ダルフールにおける国連軍の派遣
国際社会の関心(これまで比較的注目を受けてきたが、NYへのブリーフィングやプレスへの働きかけで更に関心を高めていけるか)
担当:中村