上杉勇司さん
広島大学大学院国際協力研究科 助教授
藤重(永田)博美さん
日本国際問題研究所 研究員
2007年2月6日開催
於:ニューヨーク日本政府国連代表部会議室
国連邦人職員会/国連日本政府代表部/国連フォーラム共催 合同勉強会
■Q■ 政治的要請と人道的要請が対立する事例として具体的にどのようなものがあるのか。
■A■ たとえば、難民帰還を支援する場合、人道援助機関としては、難民の受け入れ先の治安が安定しているか、地雷が処理されているか、また、難民が農民であれば、種まきのシーズンに間に合うかどうかなど、人道的観点に基づいて帰還が適切かどうかを判断する。しかし国連ミッションでは、安保理決議に基づいて選挙の日程が決定されるため、選挙の日程に間に合うように住民を帰還させることが政治的な要請となる。このため、たとえ人道援助の観点から時期尚早だという指摘があっても、政治的圧力のために住民を帰還させることがある。別の例としては、紛争後社会の治安を安定させるために、平和の配当を現地の住民に実感させることで人心の掌握を図るという政治的目的がある場合、こうした目的を達成するために効果が出やすい地域を選んで援助ミッションを派遣することがある。しかし、効果が出やすい地域が必ずしも最も人道援助を必要としている地域ではないため、こうした場合には政治的要請と人道的要請が対立することになる。
■Q■ 文民保護の観点から、PKO軍と人道援助機関が協力した方がよいのか、それとも人道援助の原則を優先した方がよいのかの決断を迫られる事例があるということだが、具体的にどのような場合か。
■A■ 国連平和活動が行われているような地域では状況が刻々と変わり、たとえある一定の時点では現地の住民がPKO軍に良い印象を持っていても、その直後にPKO軍に対する反感が生まれることもある。このような場合、PKO軍と人道援助機関が協力して活動していると、現地の住民からは、文民である人道援助機関もPKO軍の一部と見られることがあり、人道援助活動に支障がでるばかりでなく、攻撃の対象となることもある。こうしたケースを想定すると、人道援助の原則を守って、人道援助機関と軍との距離を保ったほうがよいともいえる。
■Q■ 東ティモールは国際社会の支援が平和維持から平和構築に移行し、その後暴動が起こったために再び平和維持が必要とされたケースである。元兵士の間で待遇に不満が生じていたことが暴動のきっかけとなったといわれているが、現場でSSRおよびDDRを実施するにあたって実際にどのような手順を取ればいいのか。東ティモールで行われた平和構築では警察の能力開発を重視し、警察官の訓練も積極的に行ったそうだが、それにもかかわらず暴動が起きたということは、SSRおよびDDRでは解決できない根本的な問題があったのではないか。
■A■ 東ティモールにおける暴動再発の原因は、西側の元兵士が解雇された後の待遇に不満を持っていたことや東西対立であるといわれていたが、これは表面的な見方にすぎず、根本的な原因はアルカティリ(前)首相とグスマン大統領の政治的対立だったのではないか。この事例からも、SSRだけでは平和を構築するためには限界があることがわかる。治安組織を改革しても、その上位にある政治的意思が、国際社会が望ましいと思うような改革を望んでいなかった場合にどうするのか、という問題がある。
この事例では、アルカティリ(前)首相が不満分子を集め、武装蜂起を仕掛けたとされている。しかし、アルカティリ(前)首相とグスマン大統領の対立は早くから指摘されており、この暴動は予防できた可能性が高いと思う。従って、PKOを縮小する過程において国連が政治的介入・調整を行って両者の対立を解決するべきだったのではないか。
東ティモールにおける警察組織改革は成功したとよくいわれるが、必ずしもそうではないと思う。国連側としては現地から早期に撤退したいという事情があるため、事務総長報告などでは現状の良い面しか書かれていなくても、実際には問題が残っていることが多い。東ティモールにおいても、現地警察の能力は必ずしも十分ではなかった。警察改革を行う際の一般的な問題として、警察官の訓練機関が短いことが挙げられる。東ティモールの場合、捜査方法などに関する基礎訓練と実務に関する訓練を3ヶ月間ずつ行った後、職場での実務を通じて6ヶ月間の教育訓練が行われ、合計約1年間で警察官として仮採用される。一方、たとえば日本の警察官は高卒であれば21ヶ月間、大卒であれば15ヶ月間と、東ティモールよりもはるかに長期間の訓練を受けている。平和な日本でもそれだけの時間をかけていることを考えれば、東ティモールのような紛争後社会では4〜5年間の訓練を行う必要があると思われる。
また、東ティモールにおいて、警察や軍はあくまでも実力装置にすぎず、その装置を実際に操っていたのは政治家である。東ティモールでは国連が早く撤退しすぎたという議論があるが、むしろ、国連が現地で行っていたことが正しかったのかを問うべきではないか。つまり、警察と軍を、政治家の私益の為に容易に操作されないような装置にする必要があったと思われる。
■Q■ 人道援助は政治的に決定されるべきものではなく、人道的な観点に基づいて自発的に行われるべきものではないか。
■A■ 統合ミッションにおいては、SRSGの命令に基づいて人道援助が行われることが前提となっている。しかし、人道援助の特性を考えると、必ずしも政治的存在であるSRSGの指揮下に入れないほうがよいのではないかという見方もあり、最近では人道援助を完全にミッションの中に入れるのではなく、半統合(semi-integration)という形を取る方がよいという議論がある。
■Q■ 人間の安全保障とは、極端にいえば、全てのミッションを現地の要望から定義するものである。その観点からすると、現状では半統合ミッションが最善の解決策であるとは思う。しかし、軍人、警察、文民という区分があるから問題が生じるのであって、たとえば、軍人でも警察でも人道援助に携わる文民のどれにも区分けされない新たな業務内容を作ることは理論的に可能か。
■A■ これは、たとえば日本が自衛隊を海外に派遣するにあたって、自衛隊の内部に平和活動を専門に行う組織を作ってはどうかという議論と同じではないかと思う。国連が軍人でも警察でも文民でもない準軍事的な組織を持つということになると、どこの加盟国がそのような組織を常設できるかという問題が生じてくる。また、軍民問題においては、実際の肩書きがどうかということよりも、現地の人々がそれをどうとらえているかということの方が問題である。新たに準軍事組織を作っても、現地の人がそれを軍と同じであるととらえれば、結局はジレンマが解決されることにはならない。
また、軍が有効に機能しているのは、階級や厳しい規律に基づいた組織が確立されているからこそであり、軍でも警察でも文民でもないという組織では、軍としての有用性はなくなってしまうのではないか。
■Q■ SSRの中心となる警察・軍・司法の改革や外部監視制度の構築は、治安を守る側を改革することによって合法的な暴力を制度化することを目的としているのに対し、DDRは治安組織によって守られる側を巻き込んで、暴力における合法・非合法の区別を明確にし、非合法な暴力を排除することを目的としている。このため、SSRの諸活動の中で、DDRだけは全く異なった活動であるといえるのではないか。
■A■ SSRの中にDDRを含めるかどうかという点については結論が出ていない。しかし、学者にはDDRを含めるべきと考える人が、実務家にはDDRは当然含まれないと考える人が多いようである。実務に携わる人がこのように認識しているということは、やはり活動の性質が異なっているということなのだろう。他方で概念的には、DDRは当然SSRに含まれるべきであると考える。DDRとは、合法的な組織が非合法な組織から武器を回収し、それをいかに集中管理して拡散させずにおくか、という問題であるために、治安組織と深く関わってくる。また、人員に関しても、DDRによって復員した元軍人や民兵がすぐに一般社会に馴染むことは難しいので、軍隊に採用することで彼らに職を与え、かつ管理することができる。従って、理論のみならず現場の実務においても、SSRの戦略を立てる際にDDRを含め、全体像を見渡すことが必要であろう。
また、DDRを実施する事によって、紛争直後には混然としている合法な暴力と非合法な暴力が明確に区別され、合法であるとされた側に対する改革はSSRとして位置づけられる。そういう意味で、DDRはSSRを始める前の儀式でもあり、合法と非合法を分けるうえでの入り口でもある。
■Q■ 実際の紛争後社会では、SSRを通じていくら警察改革を行ったとしても、治安を脅かすテロはなくならず、テロを防止するためにはむしろDDRが不可欠である。さらに、社会的に除外されている人々がテロを起こし、あるいは支援することが多いので、治安を回復するためにはテロの原因となるこうした社会的要因を解決しない限り、SSRだけを行っても意味がないのではないか。
■A■ SSRの究極的な目的は、国家の正統性と信頼性を回復することである。なぜなら、国家に対する信頼感が欠けているから国民が自己防衛のために武器を取るからである。テロが頻繁に起きているイラクやアフガニスタンのように、アメリカが破壊した国家をアメリカが再建しようとしているケースでは、再建後の国家が正統性を得ることは非常に困難だろう。
■Q■ DDRについては、日本もアフガニスタンなどにおいて支援を行っており、重要な分野だと思う。アフガニスタンでは昨年あたりから急激に治安が悪化してきているが、DDRは既に完了したということになっている。こうした状況の中で、非合法武装集団の解体(Disbandment of Illegal Armed Groups、DIAG)を行うために国際社会にはどのような支援が求められているのか。
■A■ アフガニスタンにおけるDIAGはなかなか進んでいない。DDRには、現地の人々に対して、「これから新しい世の中を作るんですよ、平和は素晴らしいものですよ」ということを政治的にアピールするという面もある。DIAGは非合法な武装部隊を相手に、自発的または強制的に武器を回収することを目的としているが、アフガニスタンの警察の現状をみると、強制的な武器回収は無理だと思われる。とはいえ、現在の情勢悪化に鑑みて、自発的な武器回収も困難だろう。
また、アフガニスタンでDDRを実施するにあたっては日本が主導国となっていたが、実際に現地で指揮を取っていた方によると、日本政府はDDRは完了したという見解を出しているものの、アフガニスタン全体でみると、どこまでDDRが成功したかは「成功」の定義によって変わってくるものであり、疑問が残る点もある。
■Q■ DDRの一環として武装解除を進めるためにはある程度の恩赦を行うことが必要になるとのことだが、この問題には体制移行期における正義の実現(transitional justice)が関係してくると思う。SSRの中にtransitional justiceがどの程度組み込まれているのか。個人的には、司法改革とは司法の制度および機関を構築することであり、SSRで実施されるような責任者処罰、国民和解、再発の防止は司法改革とは少し違うのではないかと感じているが、この点についてはどうか。
■A■ 確かにSSRの中では、司法の制度および機関を構築するというよりも、平和構築を進めるにあたって住民の間にある感情的なしこりを解消するために正義の実現を重視していることが多い。なぜSSRにおける司法制度と機関構築が遅れるのかについては、実務家の皆さんのご意見を伺ってみたい。
統合ミッションにおいても、transitional justiceは、特に人権と政治的要請の間のジレンマとして問題となることが多い。人道犯罪者であっても、その人物が和平合意をまとめてそれを実施するために重要な存在であれば、その人物を優遇して和平合意を進めることが政治的要請となる。しかし、人道援助を行う側からは、そのように人道犯罪者を優遇してしまうと、将来においても人道犯罪者の再発を招くのではないかという懸念が生じる。
■Q■ 統合ミッションにおける政治的要請と人道的要請の対立は、バランスの問題ではないか。将来的には統合ミッションがますます増えると思われるが、現在は軍事および治安に関する要請があまり高くない統合ミッションが多い。これらの要請が高い場合にのみ人道的空間を確保することが問題となるわけで、治安確保があまり求められないような統合ミッションであれば、政治的要請と人道的要請のバランスの取り方が変わるのではないか。
■A■ イラクやアフガニスタンでは、国連の活動が全面展開されているわけではなく、アメリカが中心となり、軍と文民が一体となって治安維持と復興支援を同時並行的に進める地方復興チーム(Provincial Reconstruction Team、PRT)による活動が行われている。アメリカが取っているPRTを用いたアプローチと、国連が取っている統合ミッションを用いたアプローチは基本的に同じものであるため、イラクのように治安が悪くPRTが機能していない状況ではたして統合ミッションが機能するのか、という疑念が生じている。軍も様々な活動を行っているので、個別のケースに応じて対処のしかたを変えていかなくてはいけないのかもしれない。たとえば、軍がどの程度地元の住民に受け入れられているかを指標として、政治的要請と人道的要請のバランスを取るための基準とすることも一案であろう。
■参加者からのコメント■
■ 1980年代から1990年代前半頃までは伝統的なPKOミッションが多く、人道援助と軍事活動を明確に区別することができた。しかし、最近では、国連機関としては明確に区別をしているつもりでも、現地の住民の側からは、人道援助と軍事活動を区別することが難しくなってきているのではないか。たとえばイラクでは、人道援助に携わる文民が攻撃された。このような状況で人道的空間を確保することは非常に困難だろう。また、かつてスーダン内戦が起きた際、UNICEFは中立性が確保できていたため、和平交渉に関する決定力を持っていたジョン・ガラン(スーダン人民解放運動リーダー、元副大統領)と直接交渉をすることが可能だった。しかし、現在国連ミッションが派遣されているような地域では現地の有力者にアクセスすることさえ難しく、それがなおさら問題の解決を遠のかせていると思われる。
以上
議事録担当:横山/大槻 写真:田瀬