村田 敏彦さん
国連食糧農業機関(FAO)対国連連絡事務所
村田敏彦(むらたとしひこ):東京生まれ。上智大学大学院コミュニケーション修士。米国スタンフォード大学大学院コミュニケーションと発展途上国開発修士。上智大学大学院コミュニケーション学専攻博士後期課程修了。コンサルティング会社勤務を経て、1982年よりJPOとしてUNICEF本部勤務。1986年よりFAO対国連連絡事務所にて現職。 |
私は大学院生活が長く、博士後期課程まで修めたのですが、当時日本における大学院修了後の就職先は主に研究機関に限られていました。しかし、私は、象牙の塔の中で自分自身の関心に沿った研究をし、ある意味で自己満足的になるよりも、自分の学問上の興味と実際の社会に接点を求めていくような仕事がしたいと思っていました。
例えば、アメリカでは、学者が学会から国家の行政機関などに一定期間出向するなど、学会と実際の社会との間の人材交流が盛んに行われています。このような自由なスタイルが自分の方向性に合っていると感じていました。そこで、そのような仕事をするには国連がよいのではないかと考え、国連を就職先として選択しました。
また大学の先輩で国連に就職された方々の影響もあったと思います。また、国連で働くとなると、一つの国を内側から眺めるのではなく、今や192か国の集合体としての視点から仕事ができるということも魅力でした。
Q. . 国連におけるこれまでのお仕事について教えてください。
JPOとして入ったUNICEFでは、広報部の事業支援コミュニケーション課で働きました。
UNICEFが行っている様々な技術支援においては、受益者がその事業の意義を理解していることが重要です。例えば、人々が汚染された水源から水を汲んできて病気に感染するのを防ぐために、井戸掘り事業を行ったとします。しかし、適切な情報をあらかじめ伝達しておかない限り、外部からの支援が終了した後、例えば井戸が壊れた際に、地元の人が井戸の修理や維持をすることはできません。結局、彼らは、昔使っていた汚染水源に頼ることになり、再び病気に感染したり、壊れた井戸の周りに水が溜まって、ハマダラ蚊が発生することでマラリアが流行したりということになりかねません。
このように、事業終了後にも事業の結果がきちんと維持され、持続的に活用されていくようにするためには、その事業の受益者達がその意義をきちんと理解している必要があります。そのために、識字率の低い途上国で新しい考え方や技術を広めていく上で、地域全体に影響力を持つオピニオン・リーダーとのコミュニケーションを戦略的に行い、事業を進めるなどしました。これは、まさに自分が勉強してきたことを現場で生かせる仕事でした。
また、当時鎖国をしており外部の人間はほとんど入ることができなかったオマーンに出張するなど、国連に入ったばかりの若い職員としてはありがたい経験をさせてもらったと思っています。
現在は、NYにあるFAOの対国連連絡事務所で連絡調整行政官として勤務しています。FAOの対国連調整事務所の連絡調整行政官は、連絡調整と行政業務双方の責務を負います。連絡調整に関して言えば、FAOは巨大な組織ですが、そのFAO本部を代表し、対国連の折衝ができることが何よりの魅力です。例えば、連絡調整行政官として、国連の政府間会議にFAO代表として参加する他、WHO、UNDP、UNICEF、UNESCOといった機関との協議にもFAO代表として参加したり、また、他の国連機関のトップとFAOを代表して挨拶を交わしたりすることもあります。これらは、私にとってとても刺激的なことです。毎回会議では、議題として様々なものが挙がりますので、広い分野の議題に対応できなくてはなりません。これらを、とても刺激的で楽しみなこととして捉えてきたからこそ、飽きることなくここまで仕事をやってこられたのだと思います。
また、連絡事務所は比較的小規模ですが、予算作成などの行政業務も全て取り仕切ることができることも魅力の1つです。UNICEFの仕事と異なり純粋なコミュニケーションからは離れますが、現在の職場は国際コミュニケーションの実践の場であり、本当に楽しんで仕事をしています。
Q. 国連で働く上で、どのようなことに魅力を感じますか?
日本の大きな商社や銀行などでも世界の色々な国で仕事をすることができますが、その場合、日本人や取り引き国の人としか仕事ができないことが多いと思います。一方、国連は、世界192か国の人々と文字通り一緒に仕事をすることができる唯一の組織であると考えています。このような環境は、最良の学びの場でもあると感じます。
また自分が実際に行った仕事の内容が、夜家に帰るとテレビで報道されているといった経験などは、国連だからこそ味わえる醍醐味です。また、国連の議題は時勢とともに常に変化を続けており、長年勤務していても決して飽きることがありません。さらに、コミュニケーションを専攻した者として、国連はコミュニケーションのあらゆる面をカバーする仕事ができるたいへん刺激的な仕事場だと思っています。
Q. 逆に、どのようなことがチャレンジだと思いますか?
幸いあまり大変だと思わずにここまできたと思っています。本当に自分が好きなことができてきたと思います。もちろん、細かい人間関係などの難しさはどこの職場に行ってもありますが、特に苦労だと思ったことはありません。むしろ、人種や国籍や文化によって異なるアプローチの方法や反応を楽しんでいます。
Q. 国際開発や国連において日本ができる貢献についてどうお考えでしょうか?
最近の中国の国際開発の南南協力の手法や規模等の話をFAOの内部で聞いていると、日本のような、アメリカに次ぐ世界第2の先進国が開発援助を行う場合は、中国が豊富に抱えている安価に提供できる南南協力の専門家のような人材は豊かに経済成長を遂げた日本では見付けようがないわけですから、日本独自の技術、知識に基づく援助を考えていかなければならないと感じています。中国はFAOと、今後6年間に3000人の南南技術協力専門家を提供する合意書にこの5月サインしました。それも、欧米のコンサルタントのコストと比べたら信じられないような低報酬でです。現在のFAOの南南技術協力専門家の数は30か国の発展途上国に600人ですから、中国の開発援助、特にアフリカ援助に対する力の入れようが分かります。そして、その技術援助を世界最大となった外貨準備で、世界銀行の助けを借りることなく、直接財政援助するわけです。ODAの予算額を削減していかねばならない日本は、地震等の災害など、日本が得意な援助分野に特化した、日本にしかできない国際貢献を考えていかねばならないと思います。
Q. グローバルイシューに取り組むことを考えている若者への一言をお願いします。
特にアドバイスはいらないと思います。最近の若い世代の方たちは、JPOや国連競争試験を問わず、型にはまらずに、様々な方法で国連なり国際開発の分野を目指していることにたいへん感心しています。コンサルタントやインターンなど様々な形態をとりながらも国連へ入る能力を備えている若い方の数は未知数だと考えています。また、これからの長い職務経験の中で、国連を将来へのステップアップの一環と考えるような方も増えているようで、頼もしく感じています。また、このフォーラムのような場を通して、国連機関で働くということに関して人々の理解が深まっているように感じます。このような形で理解を深めていくことが今後国連を目指す方々にとって多くの情報提供の機会となることを期待しています。
(2006年11月3日、聞き手:山下恵理子、UNDP資金戦略パートナーシップ局資金調達分析官、堤敦朗、元WHO災害精神保健技術専門官、写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAにて人間の安全保障を担当、幹事会・コーディネーター。)
2006年11月27日掲載