宮城島 一明 さん
国連食糧農業機関(FAO)/世界保健機関(WHO)
食品規格委員会事務局長
宮城島 一明(みやぎしまかずあき):東京大学医学部卒業後、厚生省に勤務。この間、フランス留学(国立行政学校)およびWHO本部派遣(食品安全)。その後、京都大学助教授(公衆衛生学)を経て、2003年から現職 |
Q.国連に入られるまでの経緯はどのようなものでしょう。
医学部を卒業した後、基礎研究に進もうかと思ったのですが、一生暗い実験室の中で動物と過ごすことに迷いを感じて、厚生省(当時)に志望して入りました。そこで12年ぐらい仕事をしている間に、94年から98年まで3年半弱でしたが、ジュネーブにあるWHOに出向するチャンスがありました。それが国連機関で働く初めての経験でした。その後一度日本に戻り、役所を辞め、大学で教師をしていたのですが、色々と思うところがあって今のポストに応募したところ、たまたま運よく選ばれたということです。
Q.WHOに出向された際のお仕事はどのようなものでしたか。
94年から98年にかけてはちょうど世界貿易機関(WTO)が設立されて、貿易のルールと公衆衛生のルールをどう噛み合せるかについて真剣に考えなければならない時期でした。私はWTOとWHOの間あるいはWHOとFAOの間で連絡調整の仕事をしました。
私は会議屋でしたね。食品規格をつくる会議は毎年20ぐらいの数があるのですが、そのうち公衆衛生に関わるものにWHOの代表として出席することもありましたし、WHOからFAOに身柄を一時的に移して、会議の事務局員として会議に参加することもありました。常に背中にWHOかFAOの看板を背負っていましたので、緊張の連続でした。
ジュネーブにアパートを借りていましたが、1か月のうち自分のアパートで暮らしていたのはだいたい一週間ぐらいでした。一週間から十日はFAO本部のあるローマにいて、十日ほど別の国の会議に出て、残りをジュネーブの自分のアパートで過ごすという生活でした。あるとき出張からジュネーブに帰ってきたとき、普通なら「ああ、自分の街に帰ってきた」とほっとしますよね。しかし当時の私にはそれが無くなっていたのです。ジュネーブに帰ってきたのに、まだ自分の出張が続いている感覚で。これは良くないし、危ないなと思いました。当時の同僚は「あなたはよくやっているのだから、もう少し残ったらどうだ」と言ってくれたのですが、契約を延長しないでほしいと申し入れ、日本に戻りました。そのときはかなり燃え尽きに近かったですね。
Q.今のお仕事はどのようなものですか。
食品の国際基準をつくる国際交渉のお手伝いをしています。食品規格委員会の加盟国が175カ国ありますが、具体的には食品表示や添加物の使用量、許される汚染物質量の限界、農薬や獣医薬品の食品残留許容限界などを定めます。
大多数の規格は食品安全に関わるものです。規格をつくる前には科学的データを集めて、ある特定の物質が食品に入っていても、どれくらいの量までなら健康に害がないかを調べます、どれくらいなら健康に害がないかというのを調べます。これを危険評価と呼んでいますがわれわれの会議ではやりません。科学者の仕事です。私たちの仕事は、科学者の仕事を土台にしながら、貿易を歪めず、かつ、公衆衛生に資する国際基準をつくれるよう努力することです。加盟国が集まる会議では、科学的な部分と政治的な部分が混ざった複雑な交渉が行われます。事務局は中立の立場から加盟国が合意しやすいような環境を整備します。基準策定にはだいたい3年、長いものであれば10年かかることもあります。
Q.朝オフィスにこられてからの一日のスケジュールはどうなっていますか。
会議がある日とない日でかなり違いますね。会議がないときにはオフィスにきてメールを見て返事を書いたり、何十という書類を決裁したり、電話をとったり、同僚と打ち合わせをしたりと忙しいです。日によっては分刻みのスケジュールですね。残業をすることも多くあります。こういうことをいうと組合に怒られてしまいますが、忙しい季節には毎月100時間以上残業をします。3か月間連続で週末出勤したこともありました。
加盟国が集まり規格案を議論する会議がある週は、非公式の打ち合わせの後、朝9時ぐらいから議長の隣に座って、一日中議長の補佐をします。具体的には「そろそろ調停案の出し時では」とか「ルールに従うかぎり、この提案は受け入れられませんね」といったことを議長と話しあいます。会議が終わると夜6時ごろから、その日の議事録作成に取り掛かります。これが深夜1時ごろまでかかります。ですから、会議がある一週間のうちは眠ることはほとんどできないです。私の前任者は定年少し前にやめましたが、本当に体力が必要な仕事です。定年までやれるような仕事ではないと思っています(笑)。
Q.激務と呼んで差し支えないとおもいますが、それを支えているモチベーションはどのようなものでしょう。
難しいですね。「モチベーションがあります、これを目指しています。」といった話があれば綺麗な話になるのでしょうが。自分の仕事を理解してくれる人や、「いい仕事をしているのだから、がんばって」と応援してくれる人のことを考えながらやっています。後は加盟国の代表から「今回は事務局が非常によくやった」など一言いってもらえれば嬉しいですね。
Q.国連という職場と厚生省(当時)を比較した際の共通点、相違点はありますか。
日本の役所ではチームで仕事をします。外から問い合わせの電話が入ってくると、担当者が不在でも、他の人が努力してなんとか要望に応えようと努力します。いない人の分をチームでカバーしますね。また課内会議が頻繁にあって、皆で情報を共有します。そういうのは国連機関ではありません。自分の隣で同僚が何をしているか、基本的にはわからないのです。上司と自分だけの間の関係になりますから。
さらに情報共有の仕方が違います。日本だと情報は大抵口頭で伝えます。ともすれば課長が「こういう方針でいこうか」と言い、係長が「はい、それがいいでしょう」という感じですよね。日本では最近、行政側の対応について訴訟が起きたりして大きな問題になっていますが、情報提供や意思決定が口頭で行われているので証拠が残らないのです。国連機関だとこういうことはありません。すべての決断は紙に書かれて証拠に残ります。上司からこうしろといわれた際、責任の所在をあとあとはっきりさせるため、『「あなたがこうしろと指示した」という内容のものを紙やメールでください』と言ったり言われたりすることがあります。すべてを書き残す文化です。国連で初めて働かれる方はそこに驚かれるかもしれません。
また、国連でも機関ごとに性格が異なりますね。私はWHOとFAOで仕事をしましたが、個人主義が強いのはどちらかというとWHOのほうかも知れません。スタッフ一人ひとりの独立精神が非常に旺盛で、良くも悪くも、一国一城の主という気概があります。対してFAOはWHOに比べると日本的なファミリ−意識があって、みんなでチームワークを持ってやろうという雰囲気があります。節目節目にみんなでお酒やジュースを飲んだりという集まりはFAOのほうが比較的あります。
Q.文書や資料作成に割かれる時間も多そうですね。英語やフランス語はどのように鍛えられたのでしょう。
英語については話す・聞く力も大切ですが、書く力でかなり差が出てきます。私の場合、中学生高校生のときに比較的よく勉強しました。日本の英語教育は話せるようにならない、といった批判もありますが、それでも文法は大切です。文法ができていなければ語彙を豊かにしても伸びません。
最初WHOに出向した際は、そんなにひどい英語を書いていたつもりはないのですが、それでも英国人の秘書が私の文書をみると、すべての行に間違いを見つけて、直してくれましたね。3年たった後、間違いの頻度が4行に1つくらいになりました。今も間違いはあるでしょうが、英語を母国語としない以上、間違いをゼロにすることは不可能です。論理の骨格さえきちんとした文章を書けば意図は伝わります。
フランス語もよく使います。私の場合、大学院がパリだったこともあり、フランス語にはあまり不自由しません。食品企画委員会事務局は英語・フランス語・スペイン語が日常でよく使うWorking Languageです。問い合わせもいずれかの言語で来ます。ですから二つ以上の言葉ができないと国際会議で事務局をするのは難しいです。時々、フランス語圏やスペイン語圏の人が発言したあと突然議事が紛糾することがあります。なんのことはない、翻訳のミスがあって誤解の輪が広がっているだけ、ということがよくあるんですね。そういうときに英語だけができても何が起きているのかわかりませんから、フランス語かスペイン語どちらかができるとだいぶ楽ですね。
Q.二つの国連機関で勤務されて、お感じになられることはありますか。
国連が創設されて60年以上経ちますが、どんな組織でも60年経てば創設当時のメカニズムは制度疲労というか、新しい環境に合わせて自分が順応していく能力を失うと思います。FAOのように古くて大きい機関ほどそれは顕著です。トップダウンで大改革をやろうとしても、組織のほうが改革を否定してしまう。FAOの場合、UNICEF、UNFPA、UNHCRなど新しい機関が次々出てきている中で当初のコンセプトが通用しない部分がでてきています。このままではいけないなと思っても、私の力ではどうすることもできないし、場合によってはトップマネージメントの人でもどうすることもできないのでしょう。これは大きな問題ですがどうやって解決していいのかわかりません。
私が仮に10時間働いたとしたら5時間ぐらいはそうした官僚主義(Bureaucracy)との戦いに費やされます。例えば、ある事柄について組織としての決断をするとき、数人以上の順送りの決裁が必要な場合があります。そのうち1人が休みをとっていたりすると途中で決裁が止まってしまうわけです。本来であれば組織としての決断が数時間以内に下されるべきものでも、3日4日それ以上かかってしまう。私は国際機関でも「顧客志向」、すなわちユーザーの要望に如何にすばやく正確に応えられるかが重要だと思っています。それが今までの国際機関だと、自分たちがやっている仕事は自分たちしかできないし、競争相手もいないし、ゆっくりやってもお客さんは逃げていかないといった部分はあったと思います。今は国連機関の間でも縄張り争いが熾烈だし、あるいは国連機関とNGOのコミュニティの間でも常に仕事の重複があります。国連機関はスピード・ローコスト・クオリティの面で他より優れている、という面を見せないとどんどん仕事を他にとられてしまうと思うんですよね。このような状況の中で組織の柔軟性が乏しいのは由々しき問題です。
国連機関でなければできない仕事はどんどん少なくなってきていると思います。一つひとつの仕事を解剖していって、最後に突き詰めて残る国連の武器は「主権国家の総体としての意思を実現する機関」である点でしょう。いわゆる正当性(Legitimacy)の問題です。そこがぎりぎり、最後の砦じゃないでしょうか。行政権力の執行に似ているというか、「主権国家の集まりが決めたことだから守らせよう」ということです。先ほど申し上げた食品安全の問題でも、仮に食品安全は行政の仕事ではないということになり、食品が民間の基準のみに基づいて輸出入され認証されるようになると、われわれの国際基準にも正当性がなくなってしまいます。国民国家の集合である国連は、国家の持つ正当性が背骨になっていますね。
Q.国連を目指す若者にメッセージをお願いします。
一番困る質問ですね(笑)。やはり辛いことが多いと思います。自分が選んだ道であれば、少なくとも悔いのないようにしてほしいです。また「これは違ったな」と思えばそこでやめてもいいわけです。昔は日本も終身雇用の国でしたし、そういう状況で日本を飛び出して国連にいくのは相当の勇気が要ったと思います。幸いなことに今は日本も雇用関係が流動化してきましたよね。例えば国連で自分を3年試してみて、少し違ったら日本に戻るという道もあるでしょう。そういう意味では国連は特別なものではなくなったのでないでしょうか。
また、英語に加えてフランス語かスペイン語、どちらかができたほうが色々なところで得をするかもしれません。言語は大切ですからきちんと鍛えられたほうが良いと思います。
(2007年12月27日、聞き手、写真ともに國京彬、早稲田大学、幹事会東京事務局)
2008年1月28日掲載