第109回 「ユネスコの危機と展望~国連システムへのインプリケーション~」

日時:2017年2月16日(木)19時00分~20時30分
場所:コロンビア大学ファカルティハウス1階 ガーデンルーム2
スピーカー:松浦晃一郎 前ユネスコ事務局長、田瀬和夫 国連フォーラム共同代表(モデレーター)

■1■ はじめに

第109回目の勉強会は、ユネスコ前事務局長の松浦晃一郎(まつうら こういちろう)さんをお迎えし、「ユネスコの危機と展望~国連システムへのインプリケーション~」と題して開催しました。

外務審議官、駐仏大使などをご歴任された後、1999年から2009年までの10年間、アジア人初のユネスコ事務局長を務められ、様々なユネスコの危機に対し、就任中、アメリカのユネスコ再復帰の実現、マネジメント改革の遂行、無形文化遺産条約の採択に代表される文化遺産の保護促進のための6条約の作成などユネスコ改革を主導されました。“行動する事務局長”としても知られる松浦前事務局長に、ユネスコ改革とユネスコの展望、さらに国連システムの課題や展望についてお話し頂きました。松浦前事務局長にはご多忙極めるスケジュールの中で、この日のために東京よりお越しいただきました。またモデレータとして国連フォーラム共同代表の田瀬和夫も参加され、質疑応答セッションは双方向で活発な議論が交わされました。

なお、以下の議事録の内容については、所属組織の公式見解ではなく、各発言者の個人的な見解に基づくものである旨、ご了承ください。

写真①

講師経歴:松浦晃一郎(まつうら こういちろう)氏
山口県出身。1937年生まれ。59年外務省入省。経済協力局長、北米局長、外務審議官を経て94年より駐仏大使。99年から2009年までアジア初のユネスコ(UNESCO)事務局長。現在はアフリカ協会会長、日仏会館名誉理事長、立命館大学特別招聘教授、パソナグループ社外役員等。『国際人のすすめ』、『「世界遺産」ユネスコ事務局長は訴える』、『アフリカの曙光』などのほか、英語および仏語による著書も多数。

モデレータ経歴:田瀬和夫(たせ かずお)氏
福岡県出身。国連フォーラム共同代表。デロイト トーマツコンサルティング執行役員及びCSR・SDGs推進室長。東京外国語大学博士後期課程在籍、大阪大学大学院国際公共政策研究科・招聘教授、筑波大学大学院・非常勤講師。前国際連合人道問題調整部・人間の安全保障上級顧問。1992年外務省に入省し、国連政策・人権人道・アフリカ開発・国際機関拠出金・人間の安全保障などを担当したのち、2004年から2014年まで国際連合人道問題調整部人間の安全保障ユニット課長。

■2■ 激動の国際社会における日本の役割

「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」に標榜されるトランプ旋風。その予兆は2010年代頃から世界のどこそこで起きていた。東西冷戦が終わり、ソ連解体後に始まった90年代は、国際社会にとって過渡期だった。その後、グローバル化が進んだことにより、今度は、短期的な国益を優先させる国がでてきて、その一端が昨今のイギリスのEU脱退問題や2016年のアメリカ大統領選に表出した。アメリカのような大国であればモンロー主義的な政策を採っても自国民の生活維持には困らないが、日本はそうはいかない。世界が転換期に直面しているいまだからこそ、日本が世界に役割を果たしていくことが大切だと思う。

■3■ ユネスコ事務局長選挙 ~"行動する事務局長”誕生秘話~

第8代ユネスコ事務局長選は自分を含め11人が立候補した。特定の国や地域に権力が集中することを防ぐため世界の各地域から順に大陸ごとに選出されることが慣例化している国連事務総長選と異なり、ユネスコではそのような慣行が確立しておらず、前代まで欧米諸国が覇権を握っていた。ユネスコの選挙は、58カ国が執行委員会を作り1国1票の原則に従い投票するため、選挙活動における自国政府の支援が鍵となる。自分の選挙でも日本政府が積極的に選挙活動を行い、アフリカ諸国を筆頭に多くの支持が集められた。投票は3回行われたが、1回目だけでもすでに20票得票することができた。2位が9票だったことを考えると、1回で20票に届いたことが素直に嬉しかった。2日後に行われた投票に向けては、当時の小渕総理自らが選挙参謀を務めてくれた。現役の総理が自ら選挙参謀まで務め選挙活動を行ってくれたというのは、恐らく史上初めてだったのではないか。小渕総理のおかげで、2回目は 27票得票し、3回目は34票に届き当選できた。

■4■ アメリカのユネスコ再復帰

ユネスコの始まりは、1945年11月16日、20カ国がユネスコ憲章に署名したところに端を発する。憲章の前文に「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と定めてあるように、ユネスコは教育、文化、科学の分野で国際交流を促進し、諸国民間の誤解を解き、ひとりひとりの心に平和をつくることで、戦争の未然防止に寄与するという目的で設けられた。安保理などを有する国連本体がハードパワー(他国の内政・外交に影響をおよぼすことのできる軍事力・経済力のこと)を担うのに対し、ソフトパワー(価値観、文化的な存在感、政治体制などが好感を持って迎えられ、国連外交に有利に働くような力のこと)を担うのがユネスコである。

ところがアメリカは、1984年にユネスコから脱退して以降復帰していなかった。行財政改革を進めてアメリカを復帰させるという目標をマニフェストの一つに掲げて事務局長選を戦い、実際にユネスコ事務局長になってからは、行財政改革とプログラムの選択と集中を積極的に推し進めた。その結果、2003年にアメリカはユネスコに復帰してくれた。当年、ブッシュ大統領夫人をユネスコ総会に招きお話し頂いたのは、いい思い出である。

その後わかったのだが、ブッシュ政権、すなわち共和党政権時代には共和党議員を議会で説得するのがさほど難しくない構図だった。その後オバマ政権に変わり民主党政権になると、ユネスコ分担金に対する議会の承認を得るのが難しくなった。自分の時は、ホワイトハウスが議会の説得に回ってくれた。その結果、議会で3分の2の共和党議員が反対したものの、残りの3分の1の議員が幸い賛成してくれ、アメリカのユネスコ分担金も復活した。

最近は、2011年のパレスチナのユネスコ加盟によりアメリカは再び分担金を凍結させている。後任の事務局長には難しい梶取りが求められるが、脱退しなかったのが幸いだと思う。

■5■ 無形文化遺産条約の採択

有形文化遺産については世界遺産条約に基づき保護する枠組みが1970年代に整えられてきた。しかしその対象となるのは建物群、遺跡などの文化遺産や地形や生態系などの自然遺産に代表される有形の不動産のみで、芸能や伝承、社会的慣習などの無形文化遺産については保全保護の対象となっていなかった。

90年代に入りグローバル化が加速する中で、文化の多様性が失われてはならないという認識、強い危機感が急速に芽生えた。「文化」という言葉は狭義では芸術的な価値があるもののことを指すのだが、広義には生活様式やものの考え方なども含まれる。自分は広義の文化の保全保護を促進すべきと考えた。

2001年のユネスコ総会で「文化的多様性に対する世界宣言」を採択し、2003年のユネスコ総会で「無形文化遺産の保護に関する条約」を採択するなど、広義の文化の保全、促進に力を入れた。

■6■ ユネスコでの教育改革

同じく力を入れたのが、教育分野の改革だ。2000年9月にミレニアム開発目標(MDGs)が採択され、第二の目標に普遍的な初等教育の普及、すなわち、すべての児童に対して初等教育の全課程を修了できるようにするという目標が設けられた。2000年当時と比べれば、現在世界で初等教育を受けられない児童数は減少したものの、未だ10%近くの子どもが学校に行けておらず全課程を修了できない環境に置かれている。より一層、教育分野に力を入れる必要がある。

政策レベルで力を入れたのは教育分野における現場主義の導入である。当時、ユネスコは本部中心主義で、各国で国連機関が組織する国連カントリーチームにも参加していなかった。しかし初等教育の徹底には現場主義を導入する必要があると考え、開発途上国に優秀なスタッフを派遣する方針を立て、本部の人員を増加させずに地域事務所に人員を積んだ。かなり強引に現場主義の仕組みをつくったのだが、最近では優秀なスタッフが進んで現場に行きたがってくれるということを聞いて本当に嬉しい。

ほかにも、世界銀行やユニセフと協力し、教育大臣会合をユネスコが主催した。ユニセフはとても感謝・評価してくれた。最近は、ユニセフによる子どもに関する活動の幅が広がってきているので、重複が生じないようユネスコでは中高等教育機関の教員の育成などに力を入れ、補完関係を築いている。

■7■ ユネスコの展望

写真②

第8代ユネスコ事務局長(ディレクター・ジェネラル、DG)を務めた10年間を振り返ってみると、いい時代だったと思う。最近は、アメリカ第一主義に代表されるように短期的な国益を各国が求めて、世界情勢が厳しくなってきている。アメリカやイスラエルがユネスコへの分担金を削減しようとしている。後任のイリナ・ボコヴァ現ユネスコ事務局長は自分の時代からの「コンティニュイティ(継続性)」を重視し、2期8年間に渡りユネスコの運営に従事してきた。ところが、世界情勢が厳しすぎるために批判もあびている。今ユネスコにとって苦しいのは各国政府の義務的な分担金だけでなく民間拠出もどんどん減っていることである。

今まさにユネスコが苦しんでいる財源の縮小は、他の国際機関や国連本部が直面している課題そのものだ。アメリカは国際機関、国連本部に対し拠出に見合うだけの成果があるのか問い始めた。2011年以降アメリカはユネスコに対し分担金を支払っていないが、 アメリカがこれまでの分担金を支払ってくれるのか憂慮している。もし成果が見合わないと判断されたら分担金を削減するという。最悪の事態は脱退だ。

トランプ政権そのものや類似政権が別の国で生まれたら、分担金の削減や脱退を主張し始める国が続出するかもしれない。こうした事態に、国連事務総長ができることは限られている。国連は加盟国が支えなければ 成り立たない。そのことに日本も留意されたい。

■8■ 質疑応答

写真③

Q:(田瀬共同代表より)質疑だけでなく深い議論となるよう軸を提示していきたい。はじめに、昨今の変化の時代、すなわち平等や包摂などの思いやりある「価値」から排他的な「価値」がまかり通る時代になって、ユネスコも国際機関もなんらかの変革が必要とされている。ユネスコや国際機関はどういった付加価値を生み出していかねばならないと思われるか?国連が次の3年、5年でやっていかなければならないことは何か?

A:大きな看板を掲げなければいけない。世界共通の目標という点から一つ、可能性があると思っているのは持続可能な開発目標(通称、SDGs)である。SDGsは、途上国のみを対象にした目標ではなく、世界全体に向けた目標で、その達成のために先進国も大きな責任を負っているという意識を政策レベルで反映させていく必要がある。国連はそれぞれの機関、国の履行をまとめていく役割を果たさなければならない。

Q:SDGsを看板にしていくという考えは共感できるが、SDGs自体が大きすぎるという問題があるのではないか。指標だけでも169項目ある。それだけたくさん目標があって、世界にアピールできるのか。

A:17の目標169項目の指標全て等しく均一にやるべきということでは決してなくて、優先課題を見つけて成果を出していくことが大切だと思う。第4の目標「質の高い教育の普及」を例に挙げると、教育分野のどこに重点を置くのか、しっかりと定めなければいけない。個人的には、ミレニアム開発目標(MDGs)と同じように、まずは初等教育に力を入れていくべきだと思っている。

A:(田瀬共同代表より)SDGsに対してよくある誤解として、17分野169項目の指標を達成するためには169の方程式を解かなければいけないと思っている人が意外に多い。だが実は、それぞれの項目は相互に関連(インター・リンケージ)していることが理解されていない。開発の分野では、ある一つの目標を達成することで他の目標が改善する分野をレバレッジ・ポイント(梃子の力点)と言う。たとえば、学校給食。学校給食を達成すれば、学校に来る児童が増える。児童の就学率が上がる。児童労働が減り、子ども兵も減る。犯罪も減る。教育レベルが高まることで将来の就労機会も増える。レバレッジ・ポイントがどの分野なのか、特定することが極めて大切。

Q:新しい国連事務総長は、SDGsより紛争や災害の予防(prevention)に力を入れているように見受けられるが、国連本体は予防にどうリソースを割いていくべきか。

A:ユネスコがやっていることはまさに紛争の予防だが、予防という概念は、成功した時には成果が見えにくく、失敗した時には可視化される。たとえば、バーミヤン破壊など、予防がうまくいかなかった時の結果は見えやすい。ユネスコは紛争の予防においては、たとえばアフリカにおける無形文化遺産の保全など、放っておけば廃れていってしまう伝統的な文化を保全し、それを他国が支援していくことで貢献している。紛争がいざ起きてしまった後の中途介入などは国連本体でしかできない。しかし、いざ紛争の中途介入を行おうとすると、国連本体よりも加盟国の意志がその命運を握り、国連本体ができることは少なくなる。だから国際機関は、紛争を起こさないように、未然に対立を防止・解決することに務めるのが重要な責務だと思う。

Q:SDGsの達成には、各国がどれだけ義務を履行するか、そのために各国内で議論をいかにまとめ協力体制を築くことができるかが鍵だと思う。様々な利害関係者が同じ認識に基づいて議論するために、国連ができることの一つは、統計などを整備、提供することではないか。その取り組みについてご教示願いたい。

A:ユネスコ事務局長時代、グローバルで比較可能な統計の作成にかなり力を入れた。以来、ユネスコでは毎年、グローバルな教育統計及び個別国の教育統計を発表し、ユニセフなど他国際機関にデータを提供している。ただ統計はあくまで基礎であり、その基礎を踏まえた上で、政策に何をどう反映させるかがより大切だと思う。

Q:(田瀬共同代表より)国連システムの予算の使い方をどう思われるか。

A:ユネスコ事務局長時代に特に力を入れたのは、監査(audit)と評価(evaluation)の部署を一本化し、強化することだった。国連システム全体で初めて実現した。拠出金・分担金が 本来の目的に合わせてきちんと使われたかどうか、どういった目標に対して、実際にどのような政策が行われ、何が達成されたかという点は、監査と評価を一体化しないと見えてこない。しかしこれを国連本体で実現しようとすると、組織体系を根本から変えねばならず、難しい。

Q:共通の価値について伺いたい。加盟国から成る国連という場では、国際機関間の調整が難しいと日々感じている。どういった「価値」を推し進めていけば、調整が進みやすくなると考えられるか。

A:国際社会が共通に合意できる価値を設けるのは難しい。たとえば「民主主義」という価値をひとつとってみても、常任理事国5カ国間での合意はとれない。そもそも、安保理の仕組み自体が民主的になっていないにも関わらず、民主主義を信奉する国々が、安保理の仕組みを維持しようとする。建前では同じ価値を共有しているようであっても、実践レベルではその価値に必ずしも重きが置かれないことはしょっちゅうである。個人的には、一つひとつの物事に応じた実践的な対応をするしかないのではないかと考えている。たとえば、北朝鮮はユネスコの加盟国であり、自分の時代に初めて世界遺産を作ることができたのは、前体制と個人的に信頼関係が築けていたためだと思う。しかし独裁国家と何がしかの普遍的な価値、共通の価値を分かち合い、実現するのは難しい。

Q:(田瀬共同代表より)国際社会における普遍的な価値の一つが国連憲章だと思うが、一方でこうした価値を分かち合いつつ、他方で各利害を調整する難しさについて、今まさに国連で働いている人たちはどう感じているのだろうか?

A:(国連職員の方より)異なる組織との調整が難しいと日々感じているが、この「調整の難しさ」は国連に限ったことではなく、民間企業でも同じだと思う。かつて民間企業で働いていたときも、各部署にそれぞれ個別の優先課題があり、部署横断的なプロジェクトには時間を割けないなどの課題に常に直面してきた。松浦前事務局長はどうお考えになられるか。

A:現在、民間に在籍している身としてお答えしたい。民間企業はトップに社長がいて、最終的には社長が決める。だから民間では部署横断的なプロジェクトも社長の手腕次第で実現可能である。役人にも官邸がある。最後は、官邸の強いリーダーシップがあればプロジェクトを遂行することができる。ところが国連システムには、最終的な決定権を持った機関がどこにも存在しない。国連事務総長は強い法的権限をもっていない。だから各機関がばらばらに動きやすい。

2000年4月にセネガルのダカールでユネスコが主催した「世界教育フォーラム」には、教育に取り組む世銀、ユニセフ、UNDPなどが参加した。教育のどの分野に特に力を入れるべきか決めるための調整をお願いするため、アナン事務総長にも参加してもらった。しかし蓋を開けてみると、 強い法的権限を持たない事務総長が独立した各機関間の調整を行うのはとても難しかった。最終的に、2015年までの達成を目指し6つの目標を共同採択することができたが、各機関のトップ同士がどのくらい個人的に仲良くして提携する意志をもつかがより鍵となったように思う。国際機関の調整は、民間企業や役所よりもさらに難しいと感じている。

Q:付加価値の創造についてお伺いしたい。平等などの価値から排他的な価値が蔓延するようになったのは、行き過ぎた功利主義や客観性至上主義の結果、国際社会でも感情が表出されるようになったからではないか。紛争や武力対立なども根本的には、感情が関わっているのではないかと思う。国連が、今後「感情」に着目して力を入れていく可能性は?

A:自由と規制のバランスは一国内でもなかなか難しい。たとえばピケティの『21世紀の資本』は、資本を持っている人がどんどん豊かになっていくことをデータから示したが、この理論に照らし合わせると、トランプ政権の政策はますます貧富の格差を広げることになるだろう。ピケティの議論は国際社会にも当てはまる。成長する国はどんどん成長し、停滞する国は停滞する。それにも関わらず、日本はODA予算、なかでも無償援助を削減してきた。その政策は、アフリカ諸国などの底辺で暮らす人たちの生活に大きな影響を及ぼしている。この構図こそが、いま国際社会が直面する最も深刻な課題のひとつだと思う。解決するのは簡単ではないが、貧富の格差の拡大を防ぐことが、国際社会の最重要課題の一つと考えている。

A:(田瀬共同代表より)以前は「経済成長が格差を生む」という定説だったが、昨今はその逆で、「経済格差が成長を阻む」という流れになってきている。最近では、OECDが2013年に「主観的な幸福(subjective well being)」 を計測するためのガイドラインを発表したように、感情に着目したアプローチも生まれてきている。

写真④参加者による議論の要約の様子

Q:(田瀬共同代表より)最後に、激変する国際社会において、日本は今後どのように国際社会に貢献していけるだろうか。

A:日本は、一国史上4度目の過渡期に差し掛かっていると思う。第一は明治維新、第二は第一次大戦後、第三は第二次大戦後、そして第四が2010年代、いまである。世界でグローバル化が進み、経済貿易をはじめ各国が密接に関わりをもつようになり、その関係を深めていくことが長期的な国益になるにも関わらず、多くの国が短期的な国益を追求し排他的な価値を求める時代となってしまった。大変残念なことに、日本も例外ではないと思う。こうした時代に、日本は何をすべきか。歴史を踏まえて、世界の動きにどう対応すべきか。真剣に考えなければいけない時期にきていると思う。若い世代にはそのことを伝えたい。

■9■ さらに深く知りたい方へ

このトピックについてさらに深く知りたい方は、以下のサイトなどをご参照ください。国連フォーラムの担当幹事が、勉強会の内容をもとに下記のリンク先を選定しました。

● 国際連合広報センター:国連教育科学文化機関(ユネスコ)とは
http://www.unic.or.jp/info/un/unsystem/specialized_agencies/unesco/

● 文部科学省「日本ユネスコ国内委員会」:ユネスコの教育活動とは
http://www.mext.go.jp/unesco/004/index.htm

● 文化庁:無形文化遺産の保護に関する条約
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/mukei_bunka_isan/

写真⑤

2017年6月26日掲載
企画リーダー:竹内晶子、中島泰子
企画運営:原口正彦、三浦弘孝、西村祥平、洪美月、古林安希子、建道文子、志村洋子、我妻茉莉
議事録担当:天野彩佳
ウェブ掲載:中村理香