カンボジア・スタディ・プログラム - 第3章第3節第7項:トゥール・スレン虐殺博物館見学

第7項:トゥール・スレン虐殺博物館見学

見学地のバックグラウンド

現地プログラム最終日の11月24日(土)午後11時頃、ワットプノンにあるトゥール・スレン虐殺博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)を訪れました。ここではクメールルージュ時代、知識人と見なされた人そしてその家族が収容され、のべ15,000人から20,000人が亡くなったとされています。生還できた人数はたったの8人であり、敷地内には看守による残虐な行為の爪痕が今でも残されています。この収容所は当時暗号名としてS21とも呼ばれており、犠牲者の顔写真なども展示されてありました。

写真①
写真②

CSP参加者感想①:奥田さん

私たちが11月24日に訪れたトゥール・スレン虐殺博物館は、かつて高校の校舎だったそうです。ここで、わずか2年9ヶ月の間に、ポル・ポト政権下で反革命分子とみなされた知識人や技術者、農民など延べ2万人が収容され、拷問の末虐殺されました。私自身、今回のプログラムで初めてカンボジアに訪れましたが、カンボジア人の人々と出会ってみると、皆やさしい笑顔を持った人々という印象を受け、とてもこの地で20世紀最悪と言われるような大虐殺が起きたのだとは信じられませんでした。

しかし、今回この虐殺博物館を訪れると、被害者の写真や衣服、拷問に使用された道具など、当時の虐殺の風景が蘇るような生々しい展示がされており、ここで虐殺が実際に起きたのだということを改めて知らされました。インドシナの平和とうたわれたこの国で、このような虐殺を起こすほどのイデオロギーの持つ力とは何なのか、考えさせられました。

写真③
写真④

CSP参加者感想②:藤居 由依さん

「なぜカンボジア人はカンボジア人を殺さなければならなかったのでしょうか?」現地ガイドをしてくださった方の訴えかけるようなこの問い掛けが今でも私の頭にこびりついています。経済発展の上昇気流に沸く熱気あるプノンペンでも、この場所は静かに、しかし切実に命の尊さについて人々の胸に語りかけています。カンボジアの黒い過去を「異国の地のもの」だとか「過ぎ去っていったもの」だとかでは終わらせない力がこの博物館にはありました。ここまで残虐な行為に至らしめる魔物のような物が誰の心にも宿る可能性があり、私たちはその可能性をしっかり見つめて自身を世界情勢や国の政治で流されることのないように努める義務があると強く感じました。