第10回 相互扶助に基づいた援助~文化の違いを超えたダイアログとは~ 菅波茂さん

菅波 茂さん

「国際仕事人に聞く」第10回では、国連経済社会理事会総合協議資格を持つAMDA(特定非営利活動法人アムダ)グループ代表でいらっしゃる菅波茂氏にお話をうかがいました。菅波氏はこれまで、医師として、そしてAMDAの創設者として、アジア諸国を中心に世界中で援助や開発に携わってこられました。今回は、国際協力における相互扶助の意義、AMDAの活動、日本のNGOの今後などについてお話いただきました。国連フォーラム幹事及びコーディネーターの田瀬和夫(OCHA)が聞きました。(2009年9月1日 於岡山市)

田瀬:菅波代表とは実は以前、国連大学の特別講義でお互いに講師としてお会いしたことがありますね。そのときの菅波さんの印象は、挑発的とも言えるくらい率直な表現をされ、しかし論理的に、建設的な議論を戦わせる人、ということだったのですが、人と議論をする上ではどのようなことに重きを置いていらっしゃいますか?

菅波:ええ、よく覚えています。あの時の田瀬さんも強烈な印象でした。海外にいる日本人と話をする機会がありますが、これだけは言っておきたいという風に、強烈な個性でもってきちんと自分を主張できる人に会ったことがありません。日本人は、何かを発言する前に、こう言った方がいいのではないだろうかと考えてしまうことが多いのではないでしょうか。その点、当時の田瀬さんが「今日私の話を聞いて人間の安全保障が理解できない人は、おそらく一生理解できません」と言ったのは、これが日本人か、というほど印象的でした。そこまで言い切れる日本人はあまりいないのではないでしょうか。多くの日本人は自分の思っていることをはっきりと言わないので、ディスカッションが成り立たないんですよね。

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菅波茂(すがなみ しげる)
AMDA グループ代表
特定非営利活動法人AMDA理事長
1946年生まれ。広島県出身。1972年岡山大学医学部卒業後、同年医師免許取得。1977年岡山大学大学院医学研究科修了(公衆衛生学)。1981年、菅波内科医院(現アスカ国際クリニック)を開業。1984年にAMDA(当時の名称:アジア医師連絡協議会(The Association of Medical Doctors of Asia))を設立。2001年、岡山県の公設国際貢献大学校の初代校長に就任。2003年、吉川英治文化賞受賞、2004年、沖縄平和賞受賞。2007年、ガンジー人道支援賞(インド)とグシ平和賞(フィリピン)受賞。2009年、ヘルシー・ソサエティ賞(医療従事者部門)受賞(個人表彰)。現在では医療法人アスカ会理事長、財団法人岡山県国際交流協議会理事、岡山発国際貢献推進協議会理事などを務める。著書に『遥なる夢-国際医療貢献と地域おこし-』『医療和平 多国籍医師団アムダの人道支援』など。

人間関係の言葉のやりとりには3種類あります。1つ目は日常的なおしゃべりである「チャッタリング(Chattering)」、2つ目は物事を決める「ディスカッション(Discussion)」、そして3つ目は新しい物を生み出す「ダイアログ(Dialogue)」です。例えば、私はメディアの人たちと話す機会が多くありますが、私はメディアとの関係はチャッタリングでもディスカッションでもなく、ダイアログだと思っています。彼らは私が気付かないものを引き出してくれて、それをプラスアルファとして付け加えて文章にし、記事にしてくれます。そして、それは私の財産になります。ですから、私はメディアの人たちには自由に、好きなように書いてほしいと思います。メディア以外の日本の人たちにも、もっと自信を持って、しっかり自分の意見を伝えることができるような、ディスカッションやダイアログをしてほしいですね。

田瀬:なるほど。国連職員や政府職員は、会話をしているときには保守的になってしまいがちですね。しかし、彼らは公職に就いているのですから、そこでできることは何でもするくらいの思い切りを持って、何事も恐れずに取り組んでいかないと、きちんとした公益というのはかなわないのではないかと思います。

田瀬和夫(たせ かずお)
国連事務局・人道調整部(OCHA)人間の安全保障ユニット課長
1967年生まれ。東京大学工学部卒、同経済学部中退、ニューヨーク大学法学院客員研究員。1991年度外務公務員I種試験合格、92年外務省に入省し、国連政策課(92年-93年)、人権難民課(95年-97年)、国際報道課(97年-99年)、アフリカ二課(99年-2000年)、国連行政課(2000年 - 01年)、国連日本政府代表部一等書記官を歴任。2001年より2年間は、緒方貞子氏の補佐官として「人間の安全保障委員会」事務局勤務。2004 年9月より国際連合事務局・人道調整部・人間の安全保障ユニットに出向。2005年11月外務省を退職、同月より人間の安全保障ユニット課長。外務省での 専門語学は英語、河野洋平外務大臣、田中真紀子外務大臣等の通訳を務めた。

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菅波:そうですね。今、「公益」とおっしゃいましたが、「公益」と似て非なる物に、「公共」というのがあります。「公益」と「公共」の違いは何かと言えば、あればみんなの役に立つものが「公益」で、なければみんなが困るものが「公共」なんです。「公益」は、あればみんなの役に立つわけですから、これは利益を生む可能性があります。ですから、公益性が高い物に関しては、民間部門が担えばよいのです。しかし、「公共」のような、なければみんなが困るものには、時に利益を生まない物がありますね。公共性が高いものに関しては、利益が出ない可能性があるので、政府は税金を投入する必要があります。すなわち、「公益」と「公共」では、税金を投入すべきかどうかというのが違ってくる訳です。

田瀬:それでは、日本の税金を使って途上国の人たちにとってなくてはならないことをする、国際協力というのは、日本にとって「公益」と「公共」のどちらなのでしょうか。税金を投入してはいますが、国際協力はなくてはならないものでしょうか、あればよいものでしょうか。

菅波:日本にとって国際協力というのは、税金を使う以上は、公共であると言えるでしょう。そうやって税金を使うときに、それがなければそこの人たちが困るというのであれば、公共性が高いということになります。ですから、援助をするときにも、発展途上国で公共性の高いものに税金を投入するのであれば、皆が納得できるのではないでしょうか。一方で、あればその国の人たちが役に立つものに税金を投入したときには、なぜそれをする必要があったのかということを説明しなければならないでしょう。

国際協力や国連での活動は、外務省による外交の一環です。外交というのは国と国との政治がぶつかり合うところにあり、政治は納税者である国民一人ひとりが安心して暮らせるようにするためのものです。政治とは、「民を食わして、民の血を流さず」ということだと私は思うのですが、民の血を流す可能性を持っている人たちとどう関わっていくかというのが外交であり、外交を行う際に各国が協力したり、国際社会のルールをつくったりする場が国連なのではないでしょうか。民を食わして民の血を流さないために国際社会の場で税金を使う場合、それは公益になるのか、公共になるのかと言えば、国際社会の場での活動がなければ民の血が流れるかもしれない訳ですから、そういう意味では公共性が高いと言えるでしょう。

田瀬:日本の多くのNGOは東京にありますが、AMDA (※語句説明1)は岡山に本部が置かれているのはなぜでしょうか。

菅波:岡山に本部を置くのには、3つ理由があります。1つ目は、私たちNGOにとって重要なジュネーブ、ニューヨーク、ワシントンは、東京にいても岡山にいても変わりがないからです。また、アジアで活動するときにはシンガポールと香港がロジスティックで重要なポイントになりますが、これも東京でも岡山でも一緒です。2つ目は、岡山県民の精神風土ですね。岡山では、弱者の視点がないプロジェクトは失敗することが多くあります。阪神大震災のときには岡山県民はとてもよく頑張りましたが、それは岡山県の人たちが弱者が存亡の危機に瀕したときに動くという精神を持っているからです。AMDAは1995年5月にはサハリン、1996年2月には雲南、2001年1月にはインド西部大地震(※語句説明2, 3, 4)にチャーター機を飛ばしましたが、その時には岡山中からAMDAにボランティアの方々が集まりました。岡山県の人たちのそういった精神には圧倒されます。そして3つ目は、私は自分の病院を岡山に建て、ここを自分自身の拠点にしているということです。

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田瀬:菅波代表は在学時代から現在のような活動を始められ、1984年に正式にAMDAを発足されました。ただ、ここに来るまでいろいろなご苦労があったのではないでしょうか。

菅波:1993年にソマリア難民がジブチに逃れた時、当時の駐日ジブチ大使の要請で、私は初めてアフリカに難民支援のために行きました。しかし、3ヶ月目にオランダの国境なき医師団(MSF: Medecins Sans Frontieres)がやって来て、「我々はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と契約をした。UNHCRは一つの活動に対して一つのNGOとしか契約をしないのだから、AMDAはもう難民キャンプを出て行ってくれ」と言い始めたのです。ほかの日本人だったらそこで引き下がってしまうのでしょうが、私は違いました。3ヶ月間かけてようやく秩序をつくり、活動を続けてきた自分たちはなんだったのだと思い、彼らと闘争を始めたんです。

まず、私たちAMDAはジブチの特命全権大使から要請を受けて来た、すなわちジブチの国家主権から要請をされて来たのだと言いました。MSFオランダは国連主導で来たのかもしれないが、難民キャンプにおいて、国連権限と国家主権、どちらが優先されるのか、という闘争をしたのです。話し合った結果、AMDAは医療を続け、MSFは水供給とワクチン投与を実施するという取り決めが決まりました。そして、2つ目の問題として、UNHCRがMSFのコーディネーターに支払った給与の額が、私たちのコーディネーターに支払った給与より2倍か3倍も高かったのです。そこで、私はジュネーブのUNHCR本部に抗議文を届けました。UNHCRのジブチ所長と交渉を重ねた結果、UNHCRの予算には限りがありますから、AMDAのコーディネーターの数を半分にして、MSFのコーディネーターに支払っている額と同じ給与額にするということで合意をしました。

そして今度は前回のジブチの経験が功を奏して、1994年にアンゴラで活動を始めるために事業を申請したときに、コーディネーターの給与はMSFと同じ額に変更してほしい、それがスタンダードなんだということが言えた訳です。UNHCRにも予算配分などの問題がありますから、そういった支払いに関しても交渉が必要なんだということが分かりました。そうして、国連機関やNGOと現地で相撲を取っていくことで学び、自分たちを鍛え、ここまでやって来られたのだと思います。

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田瀬:AMDAでは「医療和平」(※語句説明5)というものを提唱していますが、スリランカ医療和平プロジェクトでは激戦区となった北部地域で被災者のために、民族の分け隔てなく巡回診療を行ったと伺っています。菅波代表個人としては、平和構築に対してどのようなお考えをお持ちなのでしょうか?

菅波:AMDAは、すべての子どもがワクチンを接種できるまで停戦をしましょうとアフガニスタンに呼びかけ、1998年には北部同盟とタリバンを岡山に招聘しました。こうして彼らはワクチン停戦に合意したのです。残念ながら、アメリカによるアフガニスタン侵攻が始まったために、この医療和平が実現することはありませんでした。しかし、彼らがワクチン停戦に合意するまでに状況を持っていけたということは、私が平和構築のコツを知っていたからだと思います。

アフガニスタンは、とても厳しい身分社会です。そういった社会にいる人々のことを理解し、彼らを相手に和平交渉を行っているのだと認識しなければ、いくらアフガン和平を唱えてもうまくいかないでしょう。簡単に、「彼らはイスラム原理主義だから」と言うのは間違っていると思います。そもそも、イスラム原理主義とは何かを知らなければなりません。アフガニスタンのイスラム教にはシーア派とスンニ派があり、シーア派は予言者モハメッドの血が流れていて、スンニ派はコーランに加えて「スンナ」というモハメッドが書いたものを経典にしています。ですから、スンニ派、すなわち世界のイスラム教徒の8割を理解しようと思うのなら、この「スンナ」を読まなければならないのです。

私は、タリバンが岡山に来たときにこう聞きました。タリバンはAMDAと一緒に人道支援のために世界中に一緒に行ってくれるかと。すると、タリバンは「We can」と言ったのです。そして、彼らが経典とする「スンナ」の中の一文を紹介しながら、こう言いました。「モハメッドは7世紀にイスラム教をつくったが、彼はもともと商人で、市場を巡回する習慣があった。すると、いつも見かける女乞食が見当たらなかったので、彼女はどうしているのかと探したところ、彼女は病気にかかって家で寝ているとのことだった。次の日、モハメッドは巡回して女乞食の家に行って、お金を渡した。彼女はイスラム教徒ではなく、異教徒であったが、偉大なる予言者のモハメッドは異教徒に対して喜捨した。だから、私たちもAMDAと組んで世界の異教徒のために世界の人道援助に貢献することができるのだ」と。もちろん部族の慣習というものもあるので、さほど単純ではないにしろ、少なくともコーランとスンナを読めば彼らを理解することができるのだと思いました。平和構築とは、こうやって相手のメンタリティーに存在するキーワードを考えていくものではないでしょうか。

田瀬:確かに宗教上の構造の違いなど、人間が何を目的として生きているのかというところの理解は非常に重要ですね。この理解を深めるために、これからAMDAでは、何を目指していかれるのでしょうか?

菅波:私たちが一番知らなくてはいけないのは、誰が世界を動かしているか、です。そして、彼らとのコミュニケーションがとれなければなりません。世界を動かしているのは誰かというと、一神教の人たちです。日本は、一神教の人たちとコミュニケーションがとれなかったために、太平洋戦争で負けたのだと歴史は教えてくれています。これからも一神教の人たちが世界を動かすと思いますね。彼らは知恵がありますし、大帝国をつくることができます。イスラム教やキリスト教のように、一神教の人たちは目に見えない神との対話の中で、イメージまたは陣地を作り上げていきます。そして、革命を起こすことができます。

こういった一神教の人たちにとってのメッセージ、すなわち預言者の預言、というのは非常に大切です。行動よりも理由が大切なのです。メッセージは神の言葉で、実行するのは人間です。例えば「有言実行」というのは、神の言葉を聞いてその通りに実行するものなので、一神教の人々にとっても一番よいことでしょう。「有言不実行」であっても、彼らにとってみればメッセージは送っているのだから仕方がないと考えるでしょう。また、「不言不実行」は、神の言葉がなく人間も動かないのですから、理論としてはわかりやすいですね。しかし、日本のように、メッセージもないのに急に動き出す「不言実行」というのは彼らにとって理解ができないのです。日本人には感情を隠したり、コミュニケーションをとらなかったり、ノーを言わない傾向があります。一神教の人たちは、言葉を発する事によって、それをヒントに交渉していくのです。ですから、この「不言実行」が主流である日本が巨大であればあるほど、日本人と世界の大多数を占め、世界を動かしている一神教の人たちとの摩擦を増やしてしまうことになります。その意味でも、日本は何を大切にしていて、そのためにこれをする、と言うようなメッセージをもっと世界へ向けて発信していく必要があるのです。特に新聞やテレビなどのマスメディアは大きな役割を果たせますし、果たすべきであると思います。

田瀬:ではAMDAとしては、どういったメッセージを世界に発信していくのでしょうか。

菅波:AMDAのメッセージは、困ったときはお互い様という、「相互扶助」です。世界の8割が血縁共同体社会ですが、その人たちには慣習法があります。それが相互扶助なのです。血縁共同体社会の中では血がつながった共同体だけが助け合いますが、AMDAが目指しているのは「開かれた相互扶助」です。自分たちの共同体以外の人でも、困った人がいたら助けにいくという、これをAMDAは実現していきたいのです。人道支援の理由としては、一神教の人たちの間でも自分の魂の救済という意味でヒューマン・ライツという概念が世界の潮流になっていますが、実はこれはいまいち理解されていません。ほとんどの発展途上国の慣習法には相互扶助というのがあります。AMDAは開かれた慣習法、相互扶助として世界にアピールしていき、一神教の人たちに、そういうことで人を助けるのか、ということを理解してもらいたい。ヒューマン・ライツと相互扶助、この2つの言葉が並んだときに、世界の人々が今以上に助け合うことができるのだと考えます。

田瀬:今後、日本のNGOの活動はどのように変わっていくと思われますか。

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菅波:3つの点で変わっていくと思います。まず1つ目は、NGOは命の普遍性をテーマにして活動をしています。一方、NGOと似て非なるNPOは生活の公共性をテーマにしています。生活で、それがなかったらみんなが困るということを企業の公益性だけでやれないからNPOという団体ができて、生活面での公共性をどう確保してやっていくのかという。このように、それぞれの団体の持っているアイデンティティがあると思います。NGOはどちらかというとネットワーク型で活動をしていますが、NPOというのは専門性が高い。近い将来、NGOとNPOが組んで国境を越えていくでしょう。2つ目は、最近はJICAがNGO的な活動をしていますが、これはやめた方がいい。JICAは国家主権の元で、国益を目的として活動をしているはずです。つまり、他の国家間の紛争の際にはJICAは入っていく事ができないはずです。一方で、NGOは命の普遍性を目的として活動をしているのですから、そういった状況の際にはすぐにでも入っていけます。ですが、JICAがNGO的な活動を実施しているがために、日本のNGO が伸びないのが現状なのです。JICAは現場で汗を流すようなことをするのではなく、アメリカのUSAID(※語句説明6)やカナダのCIDA(※語句説明7)のように、その活動資金をNGOにまわす事ができれば、日本のNGOは事業委託によってより多くの経験が得られ、いい活動ができ、成長できるのではないかと思います。そして3つ目は、日本の宗教団体には資金が潤沢にありますから、彼らがNGOを始めるというのも案だと思います。欧米の小さな教会でも命の普遍性を掲げてよいNGO活動を行っているように、日本の宗教団体もよい人道支援ができるのではないでしょうか。この3つをすることによって、今後の日本のNGO活動は大きく飛躍できると思います。

田瀬:パブリック・ギビングに関して言うと、日本は米国の数十分の一に過ぎません。そしてその出資者の多くは個人だそうです。アメリカでは公共のために自分も何かしなければならないという意識が非常に強いですよね。

菅波:それは、アメリカには成功者の定義があるからです。アメリカでは、他人に機会を与えること、チャンスを与えることができる人が成功者であると思います。そして、命の普遍性や人の役に立つということが、人間の幸せ、また、成功に結びついているところが大きいのではないでしょうか。例えばマンハッタンに大きなビルを持っていたとしても、他人にチャンスを与えていない人は、成功者になる途中であって、まだ成功者とは言えないのです。一方で、日本にはそういったコンセンサスがないですし、何をもって成功とするのかという定義はありません。日本でも、他人にチャンスを与える事ができるというのが成功の定義となれば、今後変わっていくでしょうね。

人に機会を与えることは、人間関係においても大切です。今から800年ほど前に吉田兼好が書いた「徒然草」の中に、「いい友」というのが書いてあります。「いい友」とは、医者、知恵をくれる人、そして物をくれる人。それでは、現代でいう「いい友」とは一体何なのでしょう。1つ目は、自分の時間を作ってくれている人。2つ目は、自分のお金を使ってくれる人。そして3つ目は、自分の人脈を使ってくれる人。人脈というのは、お金も時間も使って作り上げるものですよね。自分と本気でつきあってくれているのかどうか、本当の「いい友」かどうかというのは、この3つを見ればわかります。AMDAをやっていてよかったことは、こういった「いい友」が増えるということです。自分の時間を使って、自分のお金を使って、自分の人脈を使ってくれる人がいる。「いい友」、これが私の人生最大の財産です。でもこの「いい友」の定義は、800年も前にされています。歴史には、ちゃんと知恵が入っていますね。

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【語句説明】

  1. AMDA
    AMDA(The Association of Medical Doctors of Asia)は、アジア医師連絡協議会を指す。1979年、現AMDA理事長で医師の菅波茂氏と、2人の医学生がカンボジア難民救援に携わったことが活動の原点。1980年から毎年、アジア医学生国際会議を開催、また東日本アジア医学生連絡協議会の設立、西日本と東日本を統一したアジア医学生連絡協議会、アジア医師国際会議の開催などを経て、1984年にAMDAが正式に発足。災害被災者や、紛争後の難民のための緊急救援活動や復興支援活動に多く従事している。
    参考:http://amda.or.jp/about/content0011.html (日本語)
  2. サハリン大地震
    サハリン大地震は、2007年8月2日に、ロシア極東に位置するサハリン沖で発生した。深夜1時37分にマグニチュード6.4の地震が発生。少なくとも2人が死亡、8人が負傷を追い、2千人以上が家を失ったと言われる。
    参考:http://www.reliefweb.int/rwarchive/rwb.nsf/db900sid/LRON-75QBQY?OpenDocument&rc=4&emid=EQ-2007-000119-RUS# (英語)
  3. 雲南地震
    1996年2月3日、多くの少数民族が居住する中国雲南省の麗江で、マグニチュード7の地震が発生し、死者309名、負傷者17366名以上、18万人が家を失った。白沙郷文凱村、文治郷、また町自体が重要文化財とされている大研鎮が被害の中心地であった。
    参考:http://www.worldbank.org/yunnan/overview.htm (英語)
  4. インド西部地震
    インド西部地震は、2001年1月26日に、インド西部に位置するグジャラート州で発生し、2万人以上の死者、20万人もの負傷者を出した。マグニチュードは7.9で、震源の深さは20キロにも及ぶ内陸地殻内地震。インド西部地震発生日は、第51回インド独立記念日であり、多くの国民がインド独立記念日を祝福している最中であった。
    参考:http://www.indianembassy.org/new/earth_quake_2001.htm (英語)
  5. 医療和平
    「医療和平」はAMDA が提唱した概念であり、中立の立場で、紛争当事者への国際医療協力を通じ、紛争緩和、和平プロセスに貢献。AMDAは過去に、コソボ紛争、ワクチン停戦、スリランカ政府とタミールの虎との紛争などにおいて、医療支援を行ってきた。医療和平において不可欠である三条件命は、「普遍性への共鳴」、「AMDA(人道援助活動)への信頼」、そして「日本政府への期待」である。
    参考:http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/1560508suganami.pdf/$File/1560508suganami.pdf#search='医療和平' (日本語)
  6. USAID
    米国国際開発庁 (United States Agency for International Development) はアメリカの非軍事の海外援助を行う政府組織。国務省の監督の下、開発途上国の経済成長、農業開発、保健などを支援する。
    参考:http://www.usaid.gov/about_usaid/ (英語)
  7. CIDA
    カナダ国際開発庁 (Canadian International Development Agency)はカナダの政府組織。国際協力省の下、貧困に苦しむ世界の人々の支援を目的とする。
    参考:http://www.acdi-cida.gc.ca/acdi-cida/ACDI-CIDA.nsf/eng/NIC-5313423-N2A (英語)

2009年9月1日、岡山市にて収録
聞き手:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネーター。立ち会い:小山久美子、AMDA代表部参与
写真:藤田真紀子、UNDPラオス事務所、元AMDA職員
ウェブ掲載:岡崎詩織
担当:池田、岡崎、桐谷、植村、志村
2009年12月2日掲載