第30回 チャカール 亜依子(チャカール あいこ)さん

モニタリング業務を終えて、県レベルのリーダー&ユニセフ職員と

第30回 チャカール 亜依子(チャカール あいこ)さん

早稲田大学 アジア太平洋研究科国際関係学修士課程2年
インターン先:UNICEF東ティモール事務所
インターンシップの期間:2008年7月から9月(2か月)

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科所属のチャカール亜依子と申します。第27回「国連でインターン」を書かれた丸山 隼人さんとほぼ同時期に、東ティモールにて2か月間のインターンシップを経験しました。受け入れ機関はユニセフの「青少年と参加セクション」でした。以下、参考になれば幸いです。

■インターンシップの応募と獲得まで■

私の場合、ユニセフ・インターンシップに応募したのは、インターン開始2カ月半前の2008年5月でした。この時点で、インターンシップ希望先はユニセフ東ティモール事務所と決めていました。まずユニセフのウェブ上にあるインターンシップ応募の手続きに従いオンライン上で応募を済ませ、その後、非公式的な方法として、元ユニセフ職員で、私の指導教員でもある勝間靖教授から、ユニセフ東ティモール事務所長の久木田純さんへ直接連絡を取って頂きました。その際、私の履歴書とカバー・レターも送って頂きました。結果、すぐに久木田所長からメールを頂き、そのままスカイプでの面接となり、1か月後、希望通り「青少年と参加セクション」での2か月間の研修が確定しました。

私は現在、大学院で、「東ティモール紛争後平和構築における若者の役割」をテーマに研究しています。そのため、もともとは、夏に個人で東ティモールを訪れ、フィールド調査を行う予定でいました。しかし、教授と相談したところ、個人の調査よりも、国際機関でインターンシップをした方が、情報や資料を収集しやすいのではないかというアドバイスを頂きました。また大学院修了後、開発や平和構築の分野で仕事をしたいと思っていたので、国際機関でのインターンシップは非常に魅力的に思えました。その際、応募する機関は、子ども・女性・青少年へのプログラムを実施しているユニセフと決めました。このように私の場合、応募がぎりぎりではあったものの、インターンの希望先・目的がはっきりしていたことと、そして何よりもネットワークに恵まれていたことが、インターンシップ獲得の決め手になったと思います。

ユニセフの緊急対応準備トレーニング参加中

■インターンシップの内容■

インターンシップでは、様々な業務に関わらせて頂きましたが、ここでは私の研究分野とも重なる東ティモール青年評議会(Timor-Leste National Youth Council)の活動支援業務について紹介したいと思います。東ティモール青年評議会とは、東ティモールの若者により設立された若者のための活動グループで、現在、青少年の社会参加を促す取り組みとして注目されています。ユニセフ・東ティモール事務所も、同評議会を支援しています。ちょうど、私のインターン中に、この青年評議会の大会が全国53郡において開催されるところだったので、私の業務もその設立と開催に際するサポート及びモニタリングが中心となりました。

東ティモールの青少年は、インドネシア併合時代(1975-1999年)、独立運動を通して社会・政治の分野において重要な役割を担っていました。ユニセフが支援する東ティモール青年評議会も、もともと1999年に、CNRT(Concelho Nacional da Resistencia Timorense: ティモール民族抵抗評議会)の支援のもと、青少年により設立され、国民投票の際に、独立のためのキャンペーンを実施するなどの重要な役割を果たした若者のグループの集まりでした。その後、独立後に、青年評議会は、活動目的を国づくりのための貢献へと方向転換します。またネットワークも、20に及ぶ若者グループ、13県の青年評議会(District Youth Councils)、52郡の青年評議会 (Sub-district Youth Councils)にまで広がりました。青年評議会のリーダーらは、90年代に学生として独立運動や抵抗運動に参加していた熱意ある20代後半から30代の若者です。彼らは、現代の青少年(10代から20代前半の若者)が活躍できる場をつくるべく、青年評議会という組織を通して活動しています。また同評議会の活動は、独立後の東ティモールにおいて、若者(特に10代から20代前半の男子)による暴動への関与や武術(マーシャル・アーツ)グループ、ギャングによる治安の悪化を是正する取り組みとしても注目されます。東ティモール政府も、青少年政策(National Youth Policy)において、同評議会を政府の「可能性ある」パートナーと位置付けています。

まず私の仕事は、青年評議会のリーダーが行う会合に出席し、9月に予定されていた全国大会の計画や調整を支援することでした。とは言っても、現実には言語(テトゥン語)の面で、私にハンディがあったので、できる仕事といっても議事録を作成し、上司に現状を報告したり、青年評議会のリーダーからユニセフ側に寄せられる支援面での質問に対応するなどに限られていました。特に、最初は、リーダーの連絡先も書面化されていない状態だったので、ひとまず国、県、郡それぞれのレベルの青年評議会のリーダーやコーディネーターの連絡網を作成したり、青年評議会についてのプロファイルや情報を収集・ファイル化するなどの、アドミの仕事をしました。また青年評議会のリーダーは、たいていNGOや政府などでフルタイムの仕事をしており忙しく、同評議会の活動は多くの場合遅れがちです。そのような時は、リーダーと直接連絡をとり、会合やスケジュールの作成を促すなどのソフト面でのサポートをする必要がありました。

議論する青年評議会のリーダーたち

実際に全国13県、53郡において青年評議会が設立・開催された際は、モニタリング業務のためにフィールドに出ました。モニタリング業務に際しては、モニタリング・評価項目や、地方の青少年の意見や現状を把握するためのアンケート用紙を作成しました。またフィールドへ出るための細かい手続きや調整などでかなり時間がかかることがわかりました。結果ですが、当初計画していた、東部、中央部、西部の各県からモニタリング地を選出して比較報告書をつくるという目標は、様々な理由から達成できませんでした。しかし、限られた中でのアウトプットとしては、コバリマ県ティロマール郡青年評議会へのモニタリング業務から得られた情報や青少年の現状を報告書にまとめ、今後の地方における10代から20代前半の若者のための支援の方向性に、ほんの少しでも貢献できた点だと思います。特に地方の若者は、情報、交通、通信のアクセスがほとんどない状況に置かれています。そのような若者にとって、青年評議会という組織が与える参加や情報の機会は、想像以上に大きいものです。2日間行われたティロマール郡青年評議会において、青少年が議論に参加する態度や度合が驚くほど上がっていく様には、私自身、圧倒されました。今後は、地方、郡レベルの青年評議会が全国で定着すること、また地方の若者が、自らの目的や目標のために自らを組織できるような必要最低限の環境の整備(資金、情報、場所へのアクセス改善など)を支援の方向性として見ることが必要ではないかと思います。

コバリマ県ティロマール郡青年評議会グループワークの様子

■ その後と将来の展望■

私は修士課程を2009年3月に修了しますが、その後は、JPOとして国際機関で勤務することが決まっています。JPOへは当インターンシップの1か月前に応募し、東ティモール滞在中に、家族から書類審査通過の知らせをもらいました。その後、面接は、東ティモールから帰国してすぐに行われ、無事合格することができました。私が今回JPOに合格したのは、言うまでもなく、インターンシップの経験と、現地で知り合うことができた方々のサポートがあったからです。特に、ユニセフ職員の方々には本当にお世話になり、久木田所長には、JPOの模擬面接までしていただくほどでした。

私は修士課程に入るまでの間、長年社会人として様々な経験を積んできました。米国で学士(経済学)を取得後、合計5年ほど、日本にて外資系の証券会社に勤務しました。また2年間、世界を旅行し、途中、スペイン語を習得しました。ただ今までの私に足りなかった部分は、開発や平和構築の分野での実務経験でした。その点で、ユニセフ・フィールドオフィスでのインターンシップは本当によい経験でしたし、今後のキャリア形成上欠くことのできない要素になったと思います。JPOとしての派遣先はまだ決まっていませんが、東ティモールを含め、色々な可能性を視野に入れながら柔軟にポジションを探したいと思います。またJPO後も、国連職員として、社会に貢献することができるよう、これからも言語習得や専門性を身につけるなど、地道な努力を続けていきたいと思います。

■資金確保、生活、準備等■

もともとフィールド調査のために東ティモール滞在予定であったため、調査費を工面する目的で、大学を通して、笹川財団ヤングリーダー奨学基金プログラム(SYLFF)に応募していました。結果、無事奨学生となることが決まり、東ティモールへの渡航費、滞在費及び調査準備費はこれですべてカバーすることができました。同プログラムは、奨学生の研究及び社会奉仕活動を支援する基金なので、私のように、開発・社会奉仕分野での研究をしている学生にはお勧めの奨学金ではないかと思います。

東ティモールでは、丸々2か月間、ユニセフ職員宅でお世話になっていました。最初の1か月間は、出張中の久木田所長が、ご好意で家を貸して下さいました。残りの1か月間は、別のユニセフ職員宅に居候させて頂いていました。現地では、国連職員の皆さんをはじめ、多くの援助関係者の方々にお世話になっていました。特にユニセフのインターナショナル職員の方々からは、研究から私生活、今後のキャリアについてなど、貴重なアドバイスを頂きましたし、週末や仕事帰りにも彼らに誘われて、色々な集まりに参加させてもらいました。私の場合は、2か月間という短期滞在でしたが、彼らにとっては、これからも現地で仕事が続きます。そのような中でのストレス解消法や、メンタリティーの持ち方など、とにかく色々なことを教えて頂きました。おかげで公私ともに非常に充実した日々を過ごすことができました。

アイナロ県の美しい山岳地帯

■ 経験の感想■

国際機関でのインターンシップは、「自分次第」というようなことをよく聞きますが、実際その通りでした。立て続く会議や政府関係省庁訪問などで、上司やセクション内のスタッフがデスクにいる時間は非常に限られているので、積極的に自分からアプローチをかけていかなければ、ただデスクにいるだけで1日が終わってしまいます。私も自分なりに現状を把握した上で、貢献ができそうな分野や業務についての報告書をつくり、セクション・ミーティングで提案しました。そうすることで、スタッフや上司から、ある程度現状を把握しているということを理解してもらい、自然とチームの一員として受け入れてもらえるようになったと思います。ただ、私の反省点は、現状把握に時間を掛け過ぎてしまったことです。アプローチをかけるためには下準備が必要ですが、その準備に時間を掛けすぎるのもダメということを学びました。

また今回のインターンシップで常に感じていたことは、言葉の壁です。私の場合、青少年と直接関わる仕事を任されながら、現地の言葉を話せないという大きなハンディがありました。デスクで仕事をする分には英語やポルトガル語ができれば問題はありませんが、上記のように、若者が集う青年評議会の会合や大会はテトゥン語やその他の地方の言語で行われます。現地の言葉をすばやく習得することも非常に大切ですが、同時に、言葉はあくまでもコミュニケーションの道具に過ぎません。特にインターンシップのように期間が限られる場合は、その代わりとなる別の道具を探すことが効果的かもしれません。例えば、勘を鋭く働かせてポイントを素早く理解することや、輪の中にすぐに溶け込めるような人間性や柔軟性を備えることが非常に重要であると感じました。

また今回のインターンシップを通して、東ティモール青年評議会のメンバーから多くのことを学びました。青年評議会のリーダーの多くは、かつて独立のための学生運動に参加していた若者です。彼らが過去について話すことは、ほとんどありませんが、現在の彼らからは、自分達の国を自分達でつくって行きたいという強い意志が感じられます。特に、独立後の困難な状況の中で目的を見失っている、彼らよりも年下の若い世代の青少年に、社会参加の機会を与えたいというリーダーの気持ちには、熱いものがあります。また若い世代の青少年も、機会が与えられれば、驚くほど参加の意欲が上がることが、今回のモニタリング業務でわかりました。長期的なモニタリング業務に参加できず、残念ですが、今後、上記のような若者の取り組みを支援できる人材になれるよう、私自身、これから同分野での専門性を身につけていきたいと思っています。

最後に、現地にてお世話になった皆様にこの場を借りて、心から感謝致します。ありがとうございました。

2009年3月27日掲載
担当:青木
ウェブ掲載:秋山