第42回 三上 知佐さん 国連開発計画 東京事務所 広報・市民社会担当官

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プロフィール

三上知佐(みかみ ちさ):大阪府出身。東京大学教養学部卒。シティバンク勤務を経て、コロンビア大学にて国際関係論修士号を取得。UNDPキューバ事務所、東京事務所を経て、今年7月よりUNDPグアテマラ事務所副代表。

Q. 国連職員になったきっかけはどんなことでしたか?

海外に住んだことはなかったのですが、小さい頃から父の仕事の関係で、海外のお客さんが家に遊びに来る機会が結構多くありました。海外のことに興味を持つようになり、それが下地になりました。そして、大学で中南米の地域研究を専攻し、メキシコに一年間留学した時に、非常に大きなショックを受けました。見ること聞くことのすべてが日本とはまったく違い、普段の生活の中で、ストリートチルドレンや物乞いをするおばあさんなど、貧困というものがすぐ身近にありました。そういう状況を日々見ていて、日本に帰ってきた時に、それをまるでなかったことのようにその後の人生を送ることはできない、国際協力に関わる仕事をしてみたいと考えたのが最初のきっかけでした。

Q. 中南米を選んだのはどうしてですか?

大学で第2外国語を選ぶときに、卒業する年にバルセロナオリンピックがあったこともあり、スペイン語を選びました。語学の先生にチリ人の先生がいらして、中南米のことにも興味を持つようになりました。当時、ベルリンの壁やソ連が崩壊し、これから国際関係のことを勉強するのだったら、東西の枠組みより南北の枠組みかなと思いました。アジアだと比較的日本で生活する中で情報は入ってくるし研究者もいる、逆に、アフリカは、大学の地域研究科にアフリカ科というのがなかったので、だったらスペイン語も好きだし中南米のことをやってみようと。

Q. 国連で勤務される以前はどんなお仕事をされていたのですか?

メキシコ留学から帰り、国際協力の仕事をしたい、というのがあったのですが、国際機関の場合は大学を卒業してすぐには入れないので、将来の国際機関での就職を視野に入れ、英語のブラッシュアップもできるし、開発金融の方に進むときにも金融の知識があったらいいだろうと、外資系の金融機関に就職しました。そこでは、留学するまでの三年三か月、経理本部というところで、主に日本の会計基準で作られた財務諸表をアメリカの会計基準に直して報告する、という仕事をしました。

Q. これまで国連ではどのようなお仕事をされていたのですか?

JPOとして、キューバ事務所に行ったのが最初の国連での仕事でした。はじめの二年くらいは主に環境とエネルギー分野を担当し、同時に日本担当ということで、日本政府が拠出しているファンドなどを調査し、日本からの資金調達に取り組みました。当時、人間の安全保障基金はできたばかりでお金が余っているという話も所長に報告し、キューバ事務所として取り組むことになりました。

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三年目には、人間の安全保障基金のプロジェクトが動き始めて、案件形成の段階にきていたのに加え、新たにできた世界エイズ結核マラリア基金(世界基金)からも資金調達をしよう、ということになり、HIV/エイズも担当するようになりました。当時は30人弱の小さな事務所で、その時々の事務所の要請に応じて何でもやりました。結局キューバにはJPOで三年、そして、承認された人間の安全保障基金と世界基金のプロジェクトを実施していくHIV/エイズのプログラムスペシャリストという形でもう一年半、併せて四年半いました。

現在は、UNDPの東京事務所で広報と市民社会を担当しています。社会の各方面、いろいろな方にUNDPの活動を知っていただくために、メディアを通して紹介したり、講演会などでお話をしたり、出版物を作っていろいろなイベントで配ったりします。後は、紺野美沙子親善大使のサポート、『人間開発報告書』の宣伝、ウェブサイトの管理、運営などです。広報の仕事は、いろいろな方にお会いできるので楽しいです。

Q. 今までで一番思い出に残っているお仕事は?

一番思い出深いのはキューバでHIV/エイズの仕事をしていたときです。プロジェクトで一緒に働いていた方の中にも陽性の方がいらっしゃったのですが、そういう方たちは、普段、見かけ上は分からないのですが、急に具合が悪くなったりするんですね。一度、一人の方の具合がすごく悪くなってしまって、幸い退院できたんですけど、本当にみんなで心配して、交代でお見舞いに行ったりしました。そうやって人の命に関わる仕事をしている責任感みたいなものをすごくその時に感じました。

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ちょうどその頃、人間の安全保障のプログラムで、HIV/エイズの予防センターをつくるプロジェクトがあったのですが、その開所式で、「チサのお陰でこの事務所が出来た」と本当に喜んでいただいて、このプロジェクトを頑張ってやって良かったと思いました。また、世界基金のプロジェクトでHIV/エイズ問題への関心を喚起するために映画を作った時のことです。でき上がったから見に来て欲しい、と言われて見に行って、実際に陽性者の方がカメラの前で自分の話をする映画なのですが、「すごく良い映画ができたなあ」なんて思っていたら最後にスペシャルサンクスのところに私の名前が入っていたのです。その時もとても嬉しくて、この仕事をしていて本当に良かったと思いました。

Q. 逆に一番たいへんだったことは?

仕事は国連に限らずどこにいってもたいへんなことはあると思います。ただUNDPの中では特にそうですが、「Challenge is opportunity」(「難題は機会である」の意)という感じで、仕事でたいへんなことはいろいろありましたが、それをどう克服して生かしていくか、という形で今までやってこられました。

そういう意味で、質問の趣旨にあうかは分かりませんが、思いがけずたいへんだったと思うのは、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)です。私の場合は、東京事務所に来て、結婚しました。主人は、キューバ時代に知り合ったキューバ人なのですが、もともと日本に来ることは考えていませんでしたし、彼には日本語も教えていませんでした。最初、彼に日本の生活に馴染んでもらうというところで、自分ひとりだったら仕事だけやって自分のことだけ考えていればよかったのですけど、結婚するとそれが変わってくるなと感じました。それでも彼は大人なのでいいですが、また子どもができるとたいへんなのかな、と。私の同僚にも子育て中のお母さんがいますが、仕事をしながら子どもも産んで、育てていくのはすごくたいへんなことなのだろうと思います。

7月にはグアテマラへ異動するのですが、主人は当初、自分ひとりでも東京に残るなんて言い出して(笑)。東京に来て三年、今ではすっかり東京が気に入ってしまって、言葉も何とか話せるようになって、仕事も軌道に乗って、きっと自分としてはこれからなんて思っていた時期だと思うのですよね。一応、今回こういうところに応募しているという話はしていたのですが、もう一年ぐらいはかかるだろうと思っていたのに思いのほか早く決まってしまって。でも、それは最初の反応で今は一緒に行く気になってくれているようです。グアテマラは一応スペイン語圏で言葉はですが、彼の仕事はどうなるのかなど、そういったことが心配です。

Q. 最後に、グローバルイシューに関わっていこうと思う人々へメッセージをお願いします。

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一生をかける価値のある仕事だと思います。ただ、国連や国際機関の職員になりたい方はすごく多く、JPOなどの競争も激しくて、なれないという方もいらっしゃると思います。でも、国際協力へのかかわり方はそれだけではありません。グローバルイシューへの関心というのは、濃淡とか関わり方の違いはあれ、これからの世の中を生きていく上では誰しもが考えていくべき問題ではないかと私は思っています。国連で働くということを一つの目標にするのもいいのですけど、グローバルイシューへの関心を常に身近な生活の中でも持ち続けて、できることからやっていっていただけるといいなあと思います。私自身も、UNDPでずっと働ければいいですけど、そうでなくても何か別の形で関わっていきたいと思います。

(2007年 5月28日、聞き手:杉山章子、幹事会。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会、コーディネーター。)

2007年7月2日掲載