第39回 宍戸 健一さん 国際協力機構(JICA)地球環境部次長 アフリカと日本がともに明るい未来を拓くために
プロフィール
宍戸 健一(ししど けんいち)さん
前アフリカ部参事役(TICAD担当)。東京大学農学部卒。1986年に旧国際協力事業団(現JICA)に入団。本部、インドネシア事務所、森林環境協力課長などを経て、2004年よりガーナ事務所長、その後、国内勤務を経て、2007年7月から2011年3月までスーダン駐在員事務所長を務めた。兵庫県出身。著書に「アフリカ紛争国スーダンの復興にかける~復興支援1500日の記録」(佐伯印刷)。
はじめに
1984年、エチオピアの難民支援を訴える”We are the World”という歌が流行し、アフリカは悲惨な大陸と言うイメージが広がりつつあったが、日本では、好景気でアイドル歌手全盛期だった。その頃、私は大学の農学部で森林水文学を学んでいたが、研究にも閉塞感があり、自分の専門性が仕事にどう生かせるのか悩んでいた。そんな時偶然にもJICAの広報映画「マリの地下水開発」を見る機会があった。映像では、日本人の専門家が井戸を掘りあてると、コミュニティの人たちから歓声があがり、歌と踊りで喜びを表すアフリカに人たちの姿に心を動かされ、こんな現場で仕事をしてみたいと思った。
こんな出会いから、私がJICA(当時国際協力事業団)に入団したのが1986年。最初に関わったアフリカの仕事は、1989年のセネガルでの植林事業を支援する無償資金協力事業だった。以来、何度かアフリカを訪れる機会には恵まれたが、ごく短期間の出張だった。当時は、JICA内でもアフリカは厳しい勤務地として、現地駐在を希望する職員は多くなかった。
だが、2003年にJICAの理事長として緒方貞子さんが着任されてから、その様相は一変した。人間の安全保障、アフリカ重視、紛争後の復興支援強化などの方針が次々と打ち出され、アフリカにあるJICA事務所も大幅に拡充・強化されることとなった。その渦の中で、私も2004年ガーナへの転勤を命じられ、以降、アフリカ開発により深くかかわることとなった。
1.アフリカの現状
アフリカ大陸は大きく多様である。よく言われるのが、アメリカと中国とインドと欧州全体を足してもまだアフリカ大陸の方が大きい。アフリカ大陸全体としては成長を続けているものの、54か国は実に多様で、資源が豊かな国々、近年石油開発が進んだ国々や成長を続け他のアフリカ諸国に積極的な投資を行っている国々がある一方、今なお紛争に苦しむ国々もあるが、どの国も不安要因や様々な課題を抱えている。そんなアフリカを概観してみたい。
(1)民間投資による経済成長
21世紀に入り、新興国の成長に伴う資源価格の高騰による経済成長が著しい。2005年には対アフリカへのODA総額を民間投資総額が逆転し、援助より民間投資主導の開発が進展している。(注:中国などの新興国の資金はODAにカウントされていない)。
他方、地方部の主な産業である農業部門や雇用を生む製造業への投資は割合としてまだ少なく、資源依存型の成長から脱していないと言われている。
(2)MDGsの達成は困難
アフリカ大陸全体において、経済発展が続き、貧困削減や基礎教育、保健などMDGsの指標の多くは改善傾向にある。特に2008年には絶対貧困者の数が初めて減少に転じたことは特筆に値する。他方、MDGsのほとんどの指標において、2015年までの目標達成は困難と指摘されている。また、アフリカ大陸では、60%の人が農業に従事しているにも関わらず、食糧の75%しか自給できておらず、大陸外からの輸入に依存している。
(3)長期化する地域紛争
アフリカの角(ソマリア)、南北スーダン、サヘル(マリ、ナイジェリア)、太湖地区(コンゴ民、ルワンダ、ウガンダ)などの紛争は、根本的には解決していない。こうした紛争の中には、近隣国などが政治的あるいは軍事的に介入するケースも多く、当事者間の問題にとどまらず、地域全体を不安定化する要因となっている。また、武器が近代化したことにより、紛争の数に比して被害者の数が増え、難民の数は増加傾向にある。近年、特にアフリカの角やサヘル地域では、イスラム過激派による脅威が大きな問題となっている。
2.アフリカ開発を考える上で重要な視点
そのような状況であるアフリカにおいて、どんな視点を持ってアフリカ開発を考え、取り組むべきか、私の考えを3点指摘しておきたい。
(1)人口増加と都市化 ~機会とリスク
アフリカの人口は、約10億人(2010)で年間凡そ2~3%増加している。増加率の鈍化傾向はみられるが、2050年には25億人、2100年には40億人に達するという予測もある。また、年齢構成の面でも若年層(15歳未満の人口が約40%)が多いピラミッド型の人口構成が特徴として挙げられる。併せて、アフリカにおいても都市化が進行し、アフリカ開発銀行は、2010年に40%であった都市人口が2030年には50%に達すると予測されている。
これは、市場としてアフリカを見た場合には大きな機会であるが、アフリカの首都の都市問題(インフラ、エネルギー、環境など)や食糧問題、都市の若者の雇用問題という面からみれば、大きなリスクとなる。2011年の「アラブの春」の背景には若年層の失業問題があったように、アフリカにおいても農業関連産業や製造業の雇用創出が社会の安定の鍵となる。
(2)内陸国や小国への対応 ~地域の視点
アフリカには16か国の内陸国がある。また、人口が100万人に満たないような小国も多く存在する。これらの国々は、経済発展や安全保障上、大きなハンデを背負っているが、これらの国々が、その弱点を克服して、発展を続けていくためには、地域(Region)としての取り組みが重要である。
近年、アフリカ連合(AU)やアフリカ開発銀行は、国・地域間を連結するインフラ(道路・電力・通信網)の整備計画(PIDA)の立案を主導する他、各地域機関は、経済統合(通貨統合、関税撤廃など)を進めている。紛争においても、一国の問題が地域の安全に直結するため、地域内、大陸内での協力は重要であり、近年、AUや地域機関などが和平交渉や平和維持の面で大きな役割を果たしている。このようにアフリカでは、当該国だけでなく、地域・大陸という単位での課題を見る視点も重要である。
(3)脆弱性への対応 ~バランスのとれた協力
アフリカ開発においては、人口・都市化の問題、農業や生活基盤を脅かす気候変動、治安リスクなど様々なリスクが存在し、相互に連関するが、アフリカの各国政府や社会経済はなお脆弱である。経済発展のためには、平和は大前提であるし、バランスとれた経済開発や社会開発なくして、平和と安定は達成されない。様々な問題分析のもと、バランスのとれた「開発計画」を立案・実施することが必要である。
3.TICADVに関わって
私は、2011年4月にスーダンから帰国後、アフリカ部に配属され、2013年6月に開催されたアフリカ開発会議(TICADV)を担当した。TICADでは次の5年間のアフリカ開発のアジェンダについて、アフリカ諸国と参加機関で「横浜行動計画」として合意するのだが、私は幸運にもそのプロセスに関わることが出来た。2008年、福田政権の際に開催されたTICADIVでは、日本政府は対アフリカ向けODAを5年間で倍増するという方針を打ち出していたが、次のTICADVでは、新興国の存在感が高まる一方、厳しい財政事情の中で、何を打ち出していくのか議論が続いていた。
TICADは、1993年の第1回会合から、日本政府が主導し、2008年のTICADIVまでは国連、世界銀行の3者で共催してきたが、TICADVからアフリカ連合(AU)が共催者に加わり、アフリカ側の意向が強く反映されたプロセスとなった。その中で、アフリカ側から聞かれた声は、「援助より投資が欲しい」、「アフリカの問題はアフリカで解決したい」、「対等な関係を求める」などというものであった。
ここからは、私なりの解釈になるが、90年代までは、援助(先進国、世銀、国連機関など)がアフリカ開発をけん引してきた。先進国は、多額の援助を行う一方で、構造調整など途上国の政策にも条件付け(口出し)をしてきた。21世紀に入り中国を始めとする新興国が台頭し、アフリカにおいても資源目的の投資が急増した。こうした資金の流入により、発展を続けることが出来たアフリカ諸国は、先進国の援助頼みでない開発の選択肢を手にすることが出来た。1960年はアフリカの年と呼ばれ、多くのアフリカ諸国が独立したが、それから約半世紀経って、ようやく真の独立と自信を持ち始めたのだという印象を持った。
さて、TICADVの準備段階での議論に戻ると、アフリカ側が優先度を置く「経済成長重視」について、持続的な成長のためには、資源依存の経済成長でなく、産業構造の転換を伴った雇用を生むような成長が重要であり、また、成長の恩恵が多くの人にいきわたり「社会開発」や「平和と安定」が達成されることが重要、との方向で議論がまとまっていった。
他方、日本にとっては、国内の政治・経済情勢を踏まえれば、TICADVは外交的イニシアティブをとるということのみならず、日本にとっても経済的価値のある必要があった。TICADVでは、アフリカの経済発展に資する日本企業のアフリカ進出促進(支援)を一層強く打ち出すことにより、投資を求めるアフリカ側と日本の経済へのメリットを打ち出したい日本側との利害が一致し、ODAはこれを促進・補完する役割と位置付けられた。
こうして、TICADVの成果文書が出来上がって行った。各論は各分野の専門家にお任せするが、次の章では、私がTICADVに関わった経験やアフリカ勤務の経験から、今後のアフリカ開発に向けての総論的な提言を述べたい。
4.提言
TICADが始まってから20年の間、国際情勢も社会経済状況も大きく変化してきた。さらに今後20年後という単位で見たときに、アフリカと日本が今後どのような関係を構築していくのか?私は自問自答しつつ、日々の仕事を続けてきたが、私の感じたところを述べたい。
(1)中長期的ビジョンと日本の役割
アフリカ諸国と日本では、それぞれ有する資源(天然資源、人口⇔技術)の種類が全く異なる。私の勤務したスーダンの例では、失業率が20%程度もあった。石油など天然資源がありながら、技術を持つ人材が不足しているため、油田や関連ビジネスでは、多くの外国人労働者が働いていた。多くのアフリカ諸国では、人材育成は緊急ともいえる課題であるが、これは資源がない日本の得意分野でもある。アフリカと日本でお互い不足する部分を補完しつつ、双方が抱える問題を克服して、共に発展をするという長期的なビジョンやシナリオを描く必要性がある。
また、協力分野としては、直接的な経済的利益のみならず、アフリカが安定して発展していくために、教育や保健、環境など社会開発分野や平和と安定においても一定の貢献をすべきである。日本のODAや民間ビジネスが短期的利益のためだけでなく、アフリカの立場に立った質の高い援助や事業の展開していることが、アフリカ諸国から高い信頼と評価を受けていることは重要であり、今後ともこのブランドは堅持すべきだと思う。
また、アフリカと日本の間には、不幸な歴史がなく、中立的な立場でアフリカの平和と安定を支援していける可能性がある。PKOでの自衛隊派遣も評価されているが、イスラム勢力との対話などを通じた貢献なども一案かと思う。
(2)すべてのアクターの参加と人材育成
アフリカとより強固な関係を構築し、共に発展を続けていくためには、政府、国際機関、NGO、民間企業、研究機関などそれぞれの立場からそれぞれの強みを生かして取り組んでいくことに加えて、お互いに協力していく必要がある。開発に占める民間資金の割合が増え、またアフリカの開発問題もより高度化していることを考えると、日本国内においてもアフリカ開発に関係するアクターが参加するプラットフォームを設置することも一案だと思う。
また、アフリカと日本は歴史的文化的にも遠く、中長期的な関係を構築していくためには、お互いをもっと知る必要がある。アフリカの若い世代の人たちに留学・交流の機会を通じて、日本をより理解してもらう必要があるのはもちろんのこと、アフリカのネガティブな面ばかりが強調された報道がなされがちな日本においても、若い世代の人たちが、もっとアフリカの良い面も学ぶための取り組み(留学やボランティア経験など)の必要があると思う。
5.あとがきに換えて
私が、学生時代に描いた夢が本当に実現しているだろうか?時々初心に帰ってそう問いかけることがある。私自身は、日本のODA事業を企画・実施・評価などの仕事に携わってきただけで、自分の手で井戸を掘ったこともなければ、子供の命を救ったこともない。そして、”We are the World”から30年の時を経て、どれだけアフリカの人たちが幸せになっただろうか?
確かに、近年のアフリカは、経済発展を続け、社会指標も随分と改善された。しかし、長かった植民地支配や停滞の時代にアフリカの人たちが失った自尊心は取り戻せただろうか?自分たちの免罪符を得るための援助の対象から、共存するための対等なパートナーに変わっていくためには、私たち日本人も偏見や先入観を捨て、次の時代を見据えて、改めて協力の在り方を考える時が来ているのだと思う。
私のガーナ勤務時代に随分と意見を戦わせた某現地NGO代表から、離任する際に、「あなたが私にくれたのはお金じゃなくて自信だ。あなたに会えてよかった。」という言葉を頂き、この仕事の達成感を覚えた。私は、アフリカの人たちに、また、「あなたに会えてよかった」といわれる現場のスタッフでいたい。アフリカを意識し始めた30年前の学生時代に流行ったアイドル歌手の歌を口ずさみながら、これからも一歩ずつ歩んでいきたい。
2014年11月9日掲載
担当:菅野文美、中島季沙
ウェブ掲載:藤田綾