第41回 池亀 美枝子さん AU-NEPAD (アフリカ連合) 開発機構総裁特別顧問 アフリカと国連 −TICAD VIに向けて−

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プロフィール

池亀 美枝子(いけがめ みえこ)さん

AU-NEPAD (アフリカ連合) 開発機構総裁特別顧問、横浜市立大学 客員教授、日本国連友好協会 ニューヨーク代表、民間企業上級コンサルタント。東京女子大学、加ブリティッシュコロンビア州立サイモンフレイザー大学を経て、ストックホルム大学国際大学院、同大学社会人類学大学院にて開発経済学及び社会人類学修士取得。

1980年日本人女性初の外務省JPOとして、ローマに本部を持つ国際農業食糧機関(FAO)に入り、JPO80人中1人しかなれない正式な国際公務員として勤務。その後、国連世界食糧計画(WFP)において、パキスタン・ブータンの森林灌漑プロジェクト、アフガニスタン難民緊急援助、学校給食制度及び義務教育普及活動に従事。事務総長室に抜擢された後は、WFP業務全体の企画・調整活動を経て、ニューヨーク国連本部における今日の国連事務副総長室に在籍し、第1回「アフリカ開発に関する東京国際会議」(TICAD I)の開催・実施に尽力。国連開発計画(UNDP)上級企画調整官、FAO南南協力推進部長、国際金融機関、民間セクター、市民社会とのパートナーシップ部長、国連本部「アフリカ問題担当事務総長特別顧問室」等を歴任。国連退職後、2013年より現職。

この記事は、2015年12月26日(土)、政策研究大学院大学(National Graduate Institute for Policy Studies: GRIPS)での国連フォーラム ネットワーキングカンファレンス第一部で開催された”The UN and Africa - Towards TICAD VI”での講演を和訳し、一部修正・加筆を行ったものです。実際の講演は、GRIPS留学生登壇者や参加者との対話式で行われました。

<GRIPS留学生登壇者>

  • Mr. Fabien Majoro:ルワンダ出身、本国では首相ガバナンス顧問。GRIPSでは、Department of Policy Studies、 Global Governance Programの修士2年。
  • Mr. Nicolaus Herman Shombe:タンザニア出身。民間セクターJT(日本たばこ産業株式会社の現地法人)に務めた後、財務省に入省してエコノミストとして10年間勤務。金融分析や支払リスクのモデル分析を専門とする。GRIPSでは、Department of Policy Studies、 Global Governance Programの修士2年。
  • Mr. Gebremedhin Belay:エチオピア出身。本国では、通信産業へ従事した後、首相官邸のインフラ担当副大臣に就任。GRIPSでDepartment of Policy Studies、 Global Governance Programの修士2年。
  • Mr. Edwin Mhede:タンザニア出身。本国では、産業省エコノミストとして活躍。2008年~2010年修士をGRIPSで取得し、現在はDepartment of Policy Studies、State Building and Economic Development Programの博士課程に在籍。民間セクターを積極的に巻き込むための政策分析を行っている。
参加者を巻き込んだインタラクティブなセッションが実現
GRIPS留学生(パネリスト)

1.はじめに

「一期一会」という言葉をご存知でしょうか?今回本セッションにお集まりいただいた皆さんは、実に多様なバックグラウンドや環境をお持ちです。私の若いころと違い、ここにいる皆さんのうち7割にアフリカ渡航歴があることにも驚いています。

私はこれまで33年間国連の世界で働いてきました。国連職員としての最後のポストは、国連本部でのアフリカ問題担当事務総長特別顧問室のディレクターでした。国連本部では唯一の地域特化型組織であり、事務総長に直接レポートするオフィスでした。

そんな「国連人」とでも呼べる私が、この度3ヶ月以上日本で生活するのは初めてのことで、しばらく暮らしてみると、私が日本人らしくないということも含め、いろいろなことがわかりました。本日のセッションでは、皆さんとの出会いを大切に、意見を交換しながら互いに学び、この 「一期一会」を大切にしたいと思います。

2.国連の歴史的背景

<国連の潮流>

国際連合は1945年、第二次世界大戦直後に戦後の社会システム再構築を目的に設立されました。当時の加盟国は、5か国の安保理常任理事国を含む51か国からのスタート。うちアフリカからは当時の独立国であったエチオピア、南アフリカ、エジプト、リベリアの4カ国が参加していました。一方でアジアの加盟国はインド、中華民国、フィリピン、イラン・イラクといった国々でした。しかし、1960年代より国際社会は、世界の平和と繁栄の達成のためには、これら開発途上国との協力が不可欠であり、彼らへのより一層のサポートが不可欠であることを認識するようになりました。

国連の役割も、国を復興・繁栄させることから、国の独立を”legitimate(正当・合法化)”することへと変わって行きました。当時、国連の承認なしには、長い間植民地化されていたアフリカの国々は独立ができず、多くの国々が国連からの承認プロセスを経て加盟国となってきました。

また、1990年には冷戦終結という、世界の力関係を大きく変化させるような出来事が起こりました。米ソの二大勢力の対立が事実上終わり、その結果、ソ連の解体により多くの国が独立していきました。彼らも含め現在では、国連の加盟国は193カ国となっています。また、1970-80年に多くの国際機関が設立されましたが、国連事務局というのは、この国連システム全体の「本部」を務める組織なのです。

<国連の中で日本が果たしてきた役割とその変遷>

第二次世界大戦の敗戦国、いわゆる「敵国」とみなされていた日本が国連への加盟承認を受けたのは1956年のことです。同じ枢軸国であったイタリアは1955年に、ドイツは1973年に加盟しました。

そんな当時の日本の国連への拠出金はわずか1%。ところが、その後の日本の経済成長は目覚ましく、円の為替レートの上昇により、1970年代より現在まで、世界で2番目の国連分担金拠出国となっています。欧米諸国は、日本のその経済成長を脅威としてとらえずにはいられなかったでしょう。

一方で、発展途上国は日本をどう見ていたかというと、実に尊敬と敬意の念を持ってモデルカントリーとしてとらえていました。経済成長を遂げるには欧米文化を持たなければならないと信じられていた中、日本はG7諸国の中で唯一、欧米に所属せず、独自の文化を保ち続けていました。こうしたことから、開発途上国にとってその理論を覆した日本はひとつの「希望」として見られていたのです。

そんな日本は、主に経済分野において国際協力へ注力し始めましたが、国際社会での役割が大きくなるに従い、経済成長の大前提である「平和と安定」も含めた、より包括的・全体的な役割も求められるようになりました。

また、日本はアジア地域での協力に焦点を当てていますが、国連の70%の仕事はアフリカ諸国で行われています。アフリカへの理解なしに、いまの国際協力はありえないでしょう。こうした背景から、日本にもまだまだ国際協力への課題があり、特にアフリカへの進出が不可欠であったため、1993年の国連総会を通して、TICAD開催を発表しました。

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3.アフリカの国際社会での位置付け

<近現代のアフリカ>

今日のアフリカの政治的・経済的課題を考える上では、1867年のアフリカ分割から理解しなければなりません。そこには一人のアフリカ人も出席せず、ヨーロッパ人のみで一方的に国境が決められたのです。現在の直線的な国境線は、住民の意見や歴史的背景への配慮なしに、ヨーロッパ諸国の力関係や資源の奪い合いによって決められたのです。地図を見れば、アフリカ大陸がいかにヨーロッパに近いかがわかりますが、18世紀~20世紀にかけ、欧州域内の人口増加もあって、彼らは資源を求めてアフリカに進出していきました。
アフリカはヨーロッパに地理的には近いですが、文化や社会、経済、政治制度をはじめ様々なシステムが異なります。欧州諸国が決めたルールや計画を、統治される側であったアフリカはただ従い実行するだけでした。植民地支配から事実上独立しても、産業の発展にはやはり宗主国としてヨーロッパ諸国の影響力が強く、また欧州諸国もその立場を維持しようとしたのです。

このような状況の中、アフリカ諸国は独立に向けて、ヨーロッパという一つ共通の敵に立ち向かうため協力し合いました。アフリカ最初の独立国ガーナの初代大統領となったウンクルマに代表される、独立後アフリカで連帯する動きは「パン=アフリカニズム」と呼ばれています。しかしながら、一度独立が達成されると、今度は国内の民族対立が深刻になっていったのです。

また、冷戦中、アフリカ大陸は戦場としても利用されました。ソ連(及び中国)が片方の民族に金銭的・軍事的援助を行えば、アメリカはもう片方の民族に対して援助を行う。その結果、アフリカの土地と人々は、この権力争いの犠牲者となったのです。そんな中、現在では中国は経済的拡大を目指し、市場を求めてアフリカ諸国にどんどん進出していますが、その根底には、冷戦時代のアフリカへの軍事的支援に基づく政治的基盤が存在するのです。

このように、今日のアフリカは、これまでアフリカが世界の政治的力関係の中でどのように利用されてきたかを物語っているのですね。

<現在のアフリカ>

近年、アフリカでは内戦・紛争が急減してきました。また、過去10年間に亘って、アフリカ54カ国の平均経済成長率は6%を維持しており、どの地域よりも早い人口増加率を示しています。世界の人口は100億人に達すると予測されている中で、うちアフリカが占める割合が46パーセントとされているほどです。さらに、アフリカは多くの鉱物資源も有しており、世界全体の実に60%にのぼる未開の耕地が残されているともいわれています。このように、これだけ大きな人口と資源のポテンシャルを持つアフリカからは、産業発展の大きな可能性が伺えます。

一方で、食糧問題はアフリカが抱える大きな課題の一つです。近年中国人が日本の銀座で大量の「安全な」食糧を買い占めていくように、世界的に食糧問題は将来深刻な課題になっていくでしょう。今後40年で人類が必要とする食料は、過去4,000年の間に人類が生産した食糧の量にあたると言われています。世界一の耕地をもつアフリカは、こうした食糧問題に最も大きく影響を与える地域なのです。

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4.アフリカ開発会議(TICAD)と、ビジネスパートナーとしてのアフリカ

<TICADの変遷>

上記に挙げたように、日本が国際社会において、政治・経済を含む包括的役割が求められるようになり、アジアのみならず、アフリカへの協力拡大を期待される中、日本はアジア地域で、史上初といえる閣僚レベルのアフリカ開発に関する国際会議として、アフリカ開発会議 (Tokyo International Conference on African Development: TICAD)開催を決定しました。実は日本政府としては、1度きりの開催にするつもりだったのですが、アフリカ諸国の強い要望もあり、5年ごとに開催する運びとなったのです。

TICAD は日本の呼びかけから始まりましたが、これまでのTICAD実施プロセスには、以下のようなものがありました。

  • TICAD II:アフリカの欧米依存体質脱却のため、アフリカは戦略的パートナーとして日本および他のアジア諸国との関係を強めようという企図により開催されました。
  • TICAD III:アジア・アフリカ協力の強化に焦点。アフリカ23カ国の大統領含め50カ国以上のハイレベルの参加者に加え、インド、中国、タイといったアジア諸国も参加。
  • TICAD Ⅳ:全体的に日本の戦略的な会議だったといえるでしょう。中国が実施している「中国・アフリカ協力フォーラム」(Forum on China-Africa Cooperation: FOCAC)において、アフリカ諸国の本会議に係る費用を中国が全額負担していた中、日本におけるTICADでは、当事者たちが価値があると判断すれば彼らは必ず参加してくれるだろうという信念のもと、一切の金銭的支援を行いませんでした。それにもかかわらず、アフリカ39カ国の大統領を含め、ほとんどすべてのアフリカ諸国が参加したという事実は、彼らにとっても本会議が非常に価値のあるものだと認識していたことの表れといえるでしょう。
  • TICAD V:対アフリカODA (Official Development Assistance、政府開発援助) の最も重要な転換点となりました。「援助から投資へ」を謳い、民間セクターを積極的に包摂していくことが述べられました。
  • 来たるTICAD VIは、初めて、アフリカ大陸のケニアで開催されます。共催者として、日本政府、アフリカ連合(African Union Comission)、国連事務総長アフリカ特別顧問室、国連開発計画(United Nations Development Programme) と世界銀行 (World Bank)があります。

<日本・アフリカのビジネスの歩み寄り>

今日、多くの日本企業は、物理的・文化的・心理的にアフリカに距離があるように感じているでしょう。一方アフリカ側は、TICAD V後に開催されたJapan-Africa Business Forum等を皮切りに、日本とのビジネス機会を待ち望んでいるのです。このような状況から、日本企業はビジネスパートナーとしてもっとアフリカを訪れ、ビジネスを展開していくべきなのです。アフリカには、ダイナミックで革新的な民間セクターが積極的に活動しています。JETRO(Japan External Trade Organization、日本貿易振興機構) によると、アフリカに存在する253の日系企業のうち、70%の企業がアフリカでビジネスを拡大したいと回答しているとのことです。距離があると感じながらも、進出意欲は多分にあるのでしょう。

どのようにしたらアフリカと連携し、互いにより良い発展を目指していけるのでしょうか?私たちが今後考えていかなければならない課題の一つといえます。

5.質疑応答

(1) 池亀さんの横浜市立大学で開講している授業は、一般人も聴講可能ですか?(質問者:社会人男性)

→集中講義で、英語で行われるハードな授業です。もともと一般公開する予定だったので、聴講可能か確認をしてみますが、2016年は11月5日、12日、19日、12月3日に行う予定です。詳細は大学へ直接お問い合わせをお願いします。

(2) 政府やJICA等が本邦企業の投資を増やすためにできることは何かありますか?まだまだ心理的障壁があるのは事実ですが、何かできるはずだと思っています。(質問者:JICA職員)

→アフリカ自体を巻き込むアクションを起こすのです。JICAなら貿易や投資環境整備の案件を形成できるでしょう。例えば、アメリカがアメリカ市場へのアフリカ製品の関税を免除したAGOA (Africa Growth and Opportunities Act、アフリカ成長機会法)のように、日本政府も同様の措置が可能だと思われます。ちなみに、MIGA (Multilateral Investment Guarantee Agency、多数国間投資保証機関)といったリスク保証機関・リスク保証基金はありますが、複雑なしくみになっています。日本はこのMIGAへも拠出金を出しているのですが、私は日本版MIGAを設立してみては、と考えています。何しろアフリカ進出の鍵の1つはリスクマネジメントにあるのですから。

(3) アフリカの開発における個人の役割、日本の役割と存在感は?(質問者:GRIPS留学生、カメルーン出身)

→大切なのはリーダーシップです。ルワンダを例に取ると、カガメ大統領は自らのリーダーシップで女性の登用を進めており、今やルワンダの国会議員における女性議員の割合は63%にまでなっています。リーダーが先陣を切って変化を生み出すことが大切なのです。政治腐敗が深刻なアフリカ諸国において、自国のことを真剣に考えているリーダーは数少ない存在です。投資を呼び込むには、リーダーシップとガバナンスが非常に重要なのです。

TICADプロセスの中でも、TICAD Vにおいて、安部首相は自分と一緒に日本企業を連れてくるというとても大きなコミットメントをしました。リスクマネジメントは確かに課題でしょう。しかし、対アフリカ投資を行えば、平均20%以上もの利益を得ることができるという事実を考えれば、対アフリカ投資の促進は当然の帰結といえるでしょう。日本はいささか臆病すぎる節があるため、アフリカを見習い、大志と勇気を持つべきだと思います。リスクを取ることなしに成長はありえません。

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6.アフリカ留学生からのコメントと池亀氏のフィードバック

コメント1:新植民地主義を一部体現するようなワシントンコンセンサス体制においても、人道的な緊急支援や開発援助は未だに必要性を感じる。アフリカへの国連の介入は不十分ではないか?(Mr.Fabien Majoro、ルワンダ出身)

→「国連」とは、米国と同じようなものです。国連は国際的な意見を必ずしも反映させられないときもあり、時にはあまり公平とは言い難い状況を作り出すこともあるのです。例えば、常任理事国は、拒否権を持っており公平な民主主義的決定体制になっているとはいえません。しかし、人道的緊急支援は重要であり、開発途上国の発展のための政策環境整理などは、国連を通じて各国が対応すべきです。また私は、これまでの世銀が、これまでアフリカで実施してきた構造調整プログラムには大きな疑問を持っています。

コメント2:第一に、リスクを取って行く能動的な態度が大事である。第二に、アフリカへのマイナスイメージを払拭させるべき。ポジティブな可能性がアフリカにはたくさんある。第三に、アフリカの課題は、人材流出とインフラ開発の遅れにある。アフリカにおいて人口は確かに増加しているが優秀な人材が母国に帰ってこない。(Mr. Nicolaus Herman Shombe、タンザニア出身)

→仰る通りで、そのような現実・情報を客観的に正しく認識することが大事です。そのような中で、私は報道の役割が非常に重要だと考えています。多くの情報を取捨選択しなければならない中で、日本では報道の視点をより多様化することで、現実と真摯に向き合うことができるようになるからです。同じ現象を様々な異なる視点から読み解くためにも、メディアの多様化は重要です。また、近年、母国の将来に寄与したいと考える若いアフリカのリーダーたちが増えています。自分たちが誇りを持ち、自身を信じることが重要です。

コメント3:日本はメディア戦略を考えるべきである。海外メディアをもっと活用するべきではないか。積極的に進出してきている中国と比較すれば、日本はまだまだ消極的に見える。AGOA(Africa growth and Opportunities Act、アフリカ成長機会法。米国市場へのアフリカ製品流通促進措置)が出来る前は、民間セクター開発も未熟であったが、質の高いサービスを提供出来るようになった。(Mr. Edwin Mhede、タンザニア出身)

→アフリカでは、2014年時点で200もの中国の報道企業が設立されています。一方で日本は、まだ一つもありません。中国は報道市場にも進出している中で、日本はそういった報道戦略はあるのかどうか、興味深いところです。アフリカの中小企業を中心とした民間セクターの強化が必要不可欠といえます。

コメント4:アフリカへの認識を見直し、より民間セクターでの連携を進めるべきだ。アフリカは54カ国の集合体で、一つの国ではない。(Mr. Gebremedhin Belay、エチオピア出身)

→民間セクターの活性化は重要です。一方、官民連携(Public-Private Partnership: PPP)の役割も無視できません。マクロデータには集計されない、零細企業を含むインフォーマルセクターはアフリカでの生産の50%を占めます。彼らのフォローに国を挙げて注力すべきです。

最後に、日本人の皆さん。
日本人の皆さんは、自分たちの住む日本のこと、そして国際社会における日本の立場を良く知り、自分自身の意見をしっかり持つことが肝要です。私が国連にいた時に求められたのは、日本人としての意見ではなく、私個人の意見でした。ご清聴ありがとうございます。

2015年12月26日セッション開催
2016年5月5日掲載
担当:志賀裕文、渡辺直美、藤田綾
写真:岡本昂
ウェブ掲載:藤田綾