第19回 政務局における紛争予防と平和構築の役割

2006年3月7日開催
於・UNDP

梅津 伸さん
国連政務局 政務官

(略歴)うめず・しん 1991年 上智大学法学部国際法学科卒業、1993年 ジョンズ・ホプキンズ大学School of Advanced International Studies (SAIS) 修了、1994年 国連競争試験(政務部門)合格、1995年 国連政務局(Department of Political Affairs, DPA)入局、安保理・ユーゴスラビア制裁委員会、イラク制裁委員会、シエラレオネ制裁委員会、アンゴラ制裁委員会などを担当、98年にはカンボジアのOffice of the Secretary-General's Representative in Cambodiaでモニターとして勤務、1999年から2000年にかけてはボスニアのUN Mission in Bosnia and Herzegovina(UNMIBH)でCivil Affairs Officerとしてブルチコやスレブレニツアなどで勤務。2000年にニューヨークに戻りDPAアジア・太平洋部に異動後は、東ティモール・インドネシアを担当し、8回ほど現地を訪問。2005年末、DPA欧米部に異動し、現在はキプロスを主に担当している。

■1■ 政務局について

政務局(DPA)の仕事は、ニュースのヘッドラインを飾るような事柄に関わることが多い。日々、国連加盟国191カ国・全ての国について、情報を集め、政治分析をし、事務総長やその他のSenior Officialsに事務局の方針を提言する。また、ギニア・ビサウや東ティモールなどの平和構築ミッションも含め、26のSpecial Political Missions を担当している。国連組織内においてDPAはconflict prevention, peacemaking, peacebuilding, electoral assistanceのfocal point であり、それらが活動の中心である。その他、Security Councilの事務局業務も行う。簡潔に言えばDPAは、国連活動の政務部門という主要業務を担っている。詳細はウェブサイトを参照して欲しい。http://www.un.org/Dpts/dpa/

それにもかかわらず、DPKO(PKO局)、DPI(広報局)、DESA(経済社会局)などの人員の多い部局と比べると、DPAは、規模が圧倒的に小さい。本部の人員は、DPKOと比べると、その数分の1しかいない。例えば、自分が以前在籍していたアジア太平洋部は、中東、イラク、イラン、インド・パキスタン、スリランカ、中央アジア、ミャンマー、東ティモール、北朝鮮、中国・台湾などを扱っているが、desk officersの数はたった20人弱。うち、イラク担当が5人。東南アジアチームは、3人。UNDPやDPKOなどと比べると、政務は、人数が限られている。人員不足は常に深刻な問題。

■2■ Political Analysis

DPAの主要業務・Political Analysisでは、具体的には、以下のように少なくとも5つの活動をしている。

第一に、Political analysis、そしてそれに基づくRecommendations。国連がどのような方針で、紛争を解決するか分析する。Analysisに基づいて、事務総長或いは事務局としてはどう対応したらよいかについてのRecommendationsを書くことは大切な業務の一つ。どのように必要な情報を収集するかは後述する。

第二に、事務総長声明の執筆。種々の案件についてほぼ毎日声明は発表されており、それをDPAが執筆することが多い。例えばアジア太平洋関係で言えば、最近ではアチェの和平交渉成立について、歓迎の声明を発表した。

第三に、事務総長のためのbriefing notes & talking points の執筆。人道問題調整事務所(OCHA)やDPKO、UNDPなどの各部局やAgenciesからインプットをもらい、DPAがまとめることが多い。それをカードにプリントアウトしたものを事務総長は受け取り、会談や会議などに臨む。

第四に、安全保障理事会や総会に対しての事務総長報告書(SG Report)の執筆。ミッション・リポートなど、フィールドや各部局のInputを、DPKOがまとめることもあればDPAがまとめることもあり、またDPAが単独で書くこともある。例えばキプロスに関して言うと事務総長のgood offices missionについては、DPAが書いているが、PKOミッション(UNCYFIP)の報告書(今は6ヶ月に1本)はDPAや他のInputを基にDPKOが書き上げる。

Peace&Securityに関しての事務局の方針を、DPAがとりまとめることが多い。ECPS(Executive Committee for Peace and Security)は、USG(Under Secretary-General for Political Affairs (Head of DPA)であるイブラヒム・ガンバリ (ナイジェリア出身)が委員長を務め、各部局の長に加え国連諸機関の長を召集して、平和と安全保障に関する案件を審議し必要なrecommendationをとりまとめ、事務総長に提出する。しかし最近では、国連事務総長が自ら委員長を務めるPolicy Committeeができ、最高決定意思決定機関として機能している。中東・イラクなど、重要な事項についてはPolicy Committeeで事務局の方針が決定され、ECPSはPCのサポート的役割を担うようになりつつあるのではないか。

■3■ Sources of Information

Political analysisを行うにあたっては、いかにして情報を入手するかが重要。国連の事務局は独自の情報機関や現地支部を有しているわけではないので、主な情報源としては以下の少なくとも七つが挙げられる。

第一に、各国に展開する国連ファミリー、即ち国連諸機関(UNDP、UNICEF等)のフィールド・オフィス、PKOミッションまたはその特別代表(SRSG)とシニア・アドバイザーなど。

第二に、加盟国。現地に大使館を持っている加盟国は有益な情報を持っていることが多い。

第三に、専門家(experts)。大学の先生、NGO、シンクタンク、宗教の関係団体等、知見を有する専門家は世界各地で活躍している。ただし、バイアスがかかっていないか、バランスの取れている内容かどうか等、入手した情報の確実性については自分で判断する必要がある。また、必要とする情報を有している専門家に連絡を取りそして情報を入手するまでに時間がかかることもある。

第四に、政務局デスクオフィサーの現地出張。現地出張には、familiarization mission、fact finding mission、assessment missionに加えて、事務総長のdelegationや安保理のミッションへの同行等、様々な種類がある。DPAはDPKOに比べると予算の規模が格段に小さく、従って出張費のための予算も少ないので、現地出張は通常では一年に数回程度と限定されている。現地の状況を知らずして仕事を出来るはずがないわけで、現地出張はもっと増やす必要があるが、そのための予算が増えているわけではない。

第五に、brainstorming meeting。懸案事項に関する第一線の専門家に加え、DPA、DPKO、OCHA、UNDP等国連の担当部局がニューヨークまたは現地で集まって開催する。Substantiveな事項についての専門的な分析を聞ける、かつ専門家と面識を作ることができる、等のメリットがある。東ティモールやインドネシアに関してもよくbrainstorming meetingを行った。

第六に、conference。これはbrainstorming meetingよりもフォーマルなもので、通常は当該国の政府関係者なども出席する。当該国の公的な立場にある人間との面識ができ、後々の情報入手にも役立つというメリットがある一方、率直に話ができなくなる可能性もある。インドネシアで行ったconferenceの場合は、出席者の間では有意義な議論ができたものの、作成されたconference paperがその後十分に活かされたかどうかは甚だ疑問だ。また、最近4~5年にわたって、ASEAN諸国と国連が合同で東南アジアのconflict prevention, peace-making & peace-buildingに関するconferenceを開催しており、今年はマレーシアで開催される予定になっている。このconference seriesは政府関係者とcivil societyのメンバーそれぞれ半分ずつと国連関係者で議論を行うものだが、政府側の率直な意見を聞くことができ、大変興味深い。インドネシア外務省の高官がアチェなどをわりと活発に議論していたのは大変意義深かった。

第七に、一般に公表されている新聞やニュース、刊行物等。但しインターネットから豊富に情報を得ることができる情報過多ともいえる状況の中で、有益な情報を自分で選別する必要がある。

以上、自分で情報を集めて分析し、事務総長やその他の事務局高官、そして他の部局などに対しての勧告などを作成したりするのが、政務官の主な仕事である。

■4■ アジア太平洋部での平和構築支援

東南アジアを担当していた頃の初めての現地出張は、カンボジアへの軍縮局のミッションへの同行だった。カンボジア社会には拳銃が横行しており、軍縮局が小型武器の撲滅に取り組んでいたので、軍縮局からの要請を受け、political adviceを行うために同行した。このように、国連内の様々な部局からpolitical adviceの要請を受けることは多い。

東ティモール担当desk officerとしては、2000年11月に安保理ミッションに同行して現地に出張したのを皮切りに、何度も現地とNYの間を行き来した。

■5■ 安保理ミッション

安保理ミッションには理事国の大使が参加するため(全員参加することもあれば7-8人の大使がミッションを組んで行くこともある)、DPAはミッションの手配、現地で行われるミーティングの記録作成に加えて、ミッション中或いは帰国後にミッションが安保理に提出するレポートの作成等を行う。

2000年11月の安保理ミッションは、2000年9月に西ティモールで起きたUNHCR職員3名の殺害事件を受けて派遣されたもの。安保理はこの事件を深刻に受け止め、事件直後に決議を出し、現地にミッションを派遣して状況を確認するということになった。

西ティモールの中心地であるクパンの空港で安保理ミッションとインドネシア政府代表団の第一回会合が開催された。安保理側は、なぜUNHCR職員が殺害されたのか、犯人は逮捕されたのか、対策はどうなっているのか等インドネシア政府側に対して厳しい質問を浴びせ、会合は非常に緊迫していた。その後、東ティモールの首都ディリに飛び、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)事務総長特別代表だったセルジオ・デ・メロ氏やUNHCRの職員と会って、ミッションの方針についての打ち合わせなどを行った。

また、当時東西ティモールの国境沿いにあった難民キャンプでは、1999年まで併合派民兵だった人々が未だに暗躍しており、そうした組織が人を募ってアタンブアにあるUNHCR事務所を襲撃したとの報告を受けていたため、難民キャンプも視察し、難民とも話した。

安保理ミッションとインドネシア政府代表団の第二回会合はジャカルタで開催された。現インドネシア大統領のスシロ・バンバン・ユドヨノ氏(当時はCoordinating Minister for Political, Legal and Security Affairs)がインドネシア政府代表として出席していたが、この第二回会合も緊迫した雰囲気の中で行われた。

安保理ミッションの最後の日にジャカルタでプレス・カンファレンスを行い、安保理ミッションとしての声明文を発表した。こういった声明文の下書きをするのもDPAの仕事の一部。

■6■ 選挙支援

2001年には東ティモールは独立に向けた準備を始めた。2001年8月にはConstituent Assemblyの選挙が予定されていたため、その準備のための現地出張に2001年2月にNeeds Assessment Mission(NAM)に行った。これはDPAの中の選挙支援部(EAD)が中心となって派遣するもので、アジア太平洋部からは自分が参加した。当時現地では、後にイラク選挙に関する国連顧問となるカルロス・バレンスエラ氏など、優秀な選挙専門家チームが選挙の準備にあたっていた。NAMでは提言や選挙までのタイムテーブル等をレポートにして事務総長に提出する必要があったため、現地に出張している2、3週間の間に、東ティモールの全地域を回り、一般市民の人にも話をして選挙を行ううえでの事務手続、選挙教育、法的枠組みの準備状況について調査した。当時はまだ憲法ができていなかったため、「将来の憲法はこうなるであろう」という予想に基づいて選挙法や政党法を手探りで制定している過程にあった。現地の国連職員やNAMで一緒に現地に入っていた仲間達と毎日夜中まで法律の草案を議論していたのをよく覚えている。将来の東ティモールの指導者達 (シャナナ・グスマオ(現大統領)やラモス・ホルタ(現外相)、マリ・アルカティリ(現首相)等)の間でもどのような選挙システムが一番良いのかといったことに関する意見は異なっていた。しかし、当時最終的な決定権限を有していたのはUNTAET事務総長特別代表であるセルジオ・デメロ氏であったため、国連内で、そして東チモール指導者や政党関係者、NGOs、教会など関係者達とあらゆる議論を尽くした上で、最善と思われる法律草案がデメロに渡され、彼が署名をすることで法律として施行されていったわけである。2001年8月にはもう一度現地に出張し、選挙当日も手分けして3~4つの地域を回った。選挙結果が出るまでには10~14日間かかるため、preliminary resultに関する進捗状況を毎日メディアに発表するために、バレンスエラは毎日記者会見を行った。最終的な選挙結果を報告したのは2001年9月10日であり、その翌日が、9/11テロだった。

事務総長特別代表・特使に対するサポートもDPAの役割の一つ。現地と話をして政治動向に関する情報を得る必要があるため、東ティモールを担当していた頃は、現事務総長特別代表の長谷川祐弘氏とも頻繁に電話で話をしていた。キプロスでもpeace-makingの段階にあるため、SRSG (Michael Moller) や彼のスタッフとも密に連絡を取っている。他にもミャンマーに関しては、ラザリというSpecial Envoyが最近までいたが、DPAは彼とも連絡を密にとり彼の活動を支えた。現在は、ラザリは退任しミャンマー担当のSpecial Envoyのポストは空席になっている。

■7■ Transitional Justice

近年、DPAは純粋に政治的な事項だけでなく、東チモールやコソボの例のように、transitional justiceや人権問題を含めた広範な事項を扱うようになっている。

東ティモールのtransitional justiceの案件についても、本来はジュネーブの人権高等弁務官事務所が担当するべきだったのだが、官房長からの指示もあり、ニューヨークにあるDPAが担当することになった。99年の騒乱については、東ティモールとインドネシアの双方で裁判を行ったが、被告の大多数はインドネシアに在住しているために東チモールで起訴されても裁かれることはない。またインドネシア側の裁判では有罪判決を受けて刑に服しているものは未だに一人もいない。そういった経緯から事務総長は横田洋三氏を含む専門家を3名任命し(Commission of Experts)、これらの専門家によるレポートが去年の春に安保理に提出された。専門家のレポートを踏まえて、現在はDPAが安保理に提出する事務総長レポートを作成中である。

質疑応答

■Q■ 昨今国連諸機関や部局の統廃合が議論され、国連システム一貫性に関するハイレベルパネルも設置された。DPAの観点から見て、DPKOとの統合は適切か、また可能か。あるべき姿は何か。

■A■ DPAとDPKOは、統合するのは可能であると思うし、しても良いとは思う。昔は、Special political departmentというのがあったがその後92年にDPAができた。両局の間に軋轢が生じるのは、似たような仕事をやっていて業務内容に重複があるから。前USG for Political Affairs (Kieran Prendergast) はDPAは頭脳、DPKOには day-to-day の細々したことをやらせておけば良いなどと公言していた。DPKOのoperation部やadministration部の業務内容は、個々のPKOの日々の活動の管理・運営なので、軍隊や文民警察のローテーションなどを考えたりしている。PKOを展開しているところだけを見ている。それがPKO局の限界の一つだ。例えば、DPKOは東ティモールだけ見ていて、インドネシア側や或いは東南アジア全体でで何が起きているかを、把握していないことがままある。そのような場合に、DPAが地域的視点から業務に参加することの付加価値は確実にある。その点から言うともしDPAとDPKOが統合したら、PKOという名称はなくならざるを得ないだろう。何故ならその新しい部局はPKOが展開している場だけではなくて、全世界をカバーしなければならないからだ。個人的には、これまでDPKOとの軋轢を感じたことはない。何故ならば担当してる案件に関して、DPAとDPKOの間にうまい具合に住みわけが出来ているからだ。例えば東ティモールに関して言えば、DPKOは日常的な管理業務、DPAはjustice & reconciliation を担当するというように役割が明確に分かれていた。キプロス紛争に関しても、DPKOが管理業務を管轄し、DPAが事務総長のgood offices mission についてリードを取るということで完全な業務分担ができている。ただ、両局間の情報の共有度合いについては、ミッションによってケースバイケースで一概には言えない。

■Q■ 平和構築委員会の設立後の組織形態についてどう考えるか。

■A■ 本来であれば、平和構築委員会サポート・オフィスが事務総長室に直結するのは不自然。何故ならば官房内にはfunctionalなオフィスが設立されるべきではないから普通に考えれば、平和構築のフォーカルポイントであるDPAの中にサポートオフィスが出来るべきだが、事務局上層部の協議の結果事務総長室に設置されることになったと聞いている。事務局改革や平和構築など、国連改革に関する情報はDPAにすらあまり入ってこず、加盟国側から教えてもらうことの方が多い。

■Q■ 政務局は小規模な組織とのことだが、個々人の仕事の負担が増えること以外に人員不足の影響はあるか。

■A■ 最も影響を受けるのはデスクオフィサーであり、例えばヨーロッパ局では何十という国を10人弱のオフィサーで分担している。近年は仕事の範囲が純粋に政治的な事項から更に広範囲な事項へと拡大しているが、一方でポストはほとんど増えていないため、結局は人員不足が仕事の内容に反映されることになりかねない。国連改革の中では、DPAには16ほどの新ポストが増設されると聞いているが、各 regional divisionにとってはせいぜい1人増える程度。JPOを受け入れたりもしているが、2年で任期が終わってしまう。上層部には人員増加を頼んでいるが、あまりまともに取り合ってくれない。結局は予算委員会に掛け合うのを避けているのだろうか。事務総長が活発になればなるほど、DPAは忙しくなるわけである。

■Q■ 実際に紛争が起きた場合、DPAの中でどのように有機的な対応を取っているのか。また、DPAで行ったpolitical analysisは国連内の他部局にどのようにフィードバックされ、共有され、生かされているのか。

■A■ 状況に応じて対応は異なるが、ありうる対応としては紛争勃発後、まずDPA・DPKO・OCHA・UNDPなどの主要な部局やAgencyが協議し事務総長に勧告したりする。必要とあらば事務総長声明を発表する。状況が許せば、現地国政府の合意を得たうえで現地にミッションを派遣したりすることもあるだろう。この場合、現地国政府との交渉は基本的にはDPAがリードする。当該国の合意を得ることは、国連の大原則。政治的交渉が進めば、それぞれの活動が始められる。大まかに言えばCrisisに関しての政治交渉であればDPA、人道援助であればOCHA、平和維持活動になるということであればDPKOがそれぞれ積極的に動くことになるが、最近は比較的臨機応変に対応していることが多い。担当案件によって対応が異なることもある。近年は、ブラヒミ・レポートを受けて、案件毎にタスクフォースを設置して一環した計画を立てるという方向性ができつつある。スーダンはその好例だった。イランに関してもタスクフォースのようなグループが設置されており、そこにはIAEAも含まれ、毎日協議していると聞いている。安保理付託はアメリカ等P5が決めることで、国連事務総長の役割は限られてはいるものの、DPAはいつ付託されてもいいように準備だけはしなければならない。現アナン事務総長は部局・機関間のコーディネーションに非常に配慮しており、ECPS、ECHA、UNDG等ハイレベル委員会を設置して国連内の風通しをよくしていこうと努力してきた。そうした努力の成果が出始めてきたのではないか。DPAのpolitical analysisも、そうしたハイレベル委員会の場で関係部局・機関に提供されることになる。他の部局に情報を提供しない人もいるかもしれないが、ガリ前事務総長の時代から比べたら、情報の共有は格段に改善されたのではないだろうか。
 

■Q■ DPKOが独自の情報に基づいて政務局のpolitical analysisと異なる主張をすることはあるのか。

■A■ 例えばキプロスに関していえば、両局間の情報共有は極めて良好。本部からフィールドに向けて公電を打つことがあるが、特にどちらか一方の局から送信するということは決めておらず、どちらの局から送信されたとしても、もう一方の局にコピーが入るようになっている。電報に限らず、電話や電子メールでの情報もほぼ共有されている。このため、両局間で分析結果が異なることはほとんどない。また先述した通り、役割分担が明確なので仕事はしやすい。good offices missionについてはDPAがリードをとってきたし、逆に、DPKOの領域であるといえるforce commander(Head of the Peace-keeping Force) などの人事に、DPA側から口を出すこはあまりない。

■Q■ 東ティモールのjusticeに関するレポートを政務局が作成するようになった経緯は何か。

■A■ Justiceに関する懸念はインドネシアでの裁判が行われることになった2000年頃からあった。そのとき既に、ラモス・ホルタ(現外相)とセルジオ・デ・メロ(当時、UNTAET事務総長特別代表)の間で、専門家の調査分析は必要なのではないかという話があり、それが発展してCommission of Experts (CoE)になったわけだ。独立後セルジオ氏が東ティモールを離れて、国連人権高等弁務官となった後も、彼のイニシアティブを受けて、2003年8月にDPA・PKO局・OHCHR・法務局の4人のUSGの連名で事務総長への提言を作成した。しかし、2003年8月19日にバグダッドの国連爆破テロが起き、セルジオ氏が亡くなり、話も頓挫してしまった。推進力となっていたセルジオ氏の亡き後11月頃までは一種の空白状態となり、ジュネーブの人権高等弁務官事務所と事務総長室側は双方とも相手が行動を起こすのを待っていた。そこで、DPAが双方に状況を説明したところ、当時の官房長の instructionによりDPAがこの案件を担当することになった。2004年末にはCoEのメンバーを公表する目前となっていたが、スマトラ沖大地震及びインド洋津波被害が起き、公表を遅らせた。結局CoEが正式に任命されたのは2005年2月となってしまった。

■Q■ 安保理の中で意見が分裂した場合、DPAはどのようなアプローチを取るのか。

■A■ 火中の栗を拾わないという人もいるし、事務局が安保理案に刷り合わせすることもある。P5の意見にはやはり重みがある。図式をごく単純化して言うと、キプロスではアメリカ・イギリスがトルコ系キプロス人側とトルコ側、ロシア・中国がギリシャ系キプロス人側を支持し、フランスどちらかというとギリシャ系キプロス人側にやや近い立場にあった。このように、安保理常任理事国の中で意見が分裂すると、冷戦構造同様、膠着状態に陥ってしまい、そこに事務総長が入っていく余地はあまりない。国連の最大にして最後の主役はあくまでも加盟国である。事務局は、最終的には脇役の弱い立場に置かれることは多い。DPAが安保理にレポートを提出する際、レポートの内容が理事国の意向と乖離しないよう事前にすり合わせすることはままあることであるが、ブラヒミ・リポートにもあるように、事務局としての独立性を保つことも重要である。安保理に阿ったレポートを作成するというわけではない。例えば、現在執筆中の東ティモールとインドネシアの裁判に関する事務総長レポートについても、安保理内には、それぞれの国で異なる意向があるがあるため、いちいち理事国の意向を気にばかりしていてはレポートも書けない。レポートの性質や内容にもよるが、たとえ安保理の意に反していても、必要があれば事務局独自の意見を提出する覚悟は常になくてはならない。

担当:大槻、藤澤