ヨルダン・スタディ・プログラム - 「4.2.4 保健」
1)渡航前の学びおよび仮説
(写真)渡航前第2回勉強会の様子
健康・保健分野に関して渡航前勉強会では、(1)難民支援における保健分野について短期的および中長期的なフェーズに分けて理解し、(2)保健分野が教育、水と衛生、シェルター、雇用といった他セクターと相互作用し合っていることについて学んだ。
一般的に、短期的フェーズにおいては『「今危険に晒されている命」を救うこと』が目的として設定される。具体的な支援対象は、負傷者、妊婦、新生児・乳幼児、透析等の継続的な治療を必要とする人たちが考えられる。このような様々な人々を支援するにあたり、現地政府や、国連機関、各国支援団体、NGO、難民によるボランティアなどの多くの機関が連携して支援を行なっている。具体的には、専門職の派遣による医療現場での治療・手術の提供、薬の提供、またヘルスポスト1の建設が行われる。短期的フェーズにおける問題点としては、無料で受けられる保険医療サービスの認知度が低いことが挙げられる。難民が医療施設において上記のサービスを受けるためには、まずMOIカード(内務省発行のカード)に登録し、ワクチンや、健康状態のチェックをすることが必要となる。しかし、そのシステム自体を知らない難民が約半数にも上っている2。認知度が低いことで受診率の低下を招き、感染症が流行することが懸念される。
中長期的フェーズにおいては、避難生活の長期化に伴って発生する体調や持病の悪化、心理的な不調といった二次的健康被害を防止することや、持続的な医療機関へのアクセスを可能にすることが重要である。具体的な支援としては、感染症予防や保険制度の整備、メンタルヘルスに対するケアが行われる。
さらに、保険制度の問題点も挙げられる。保険に加入しているヨルダン人の医療に関する自己負担額が0%であるのに対し、難民登録しているシリア都市難民と保険未加入のヨルダン人は20%、難民登録できていないシリア難民は100%を支払わなければならない3。このような制度の中で、ヨルダン人の約3割が保険に加入していない一方で4、約331,000人のシリア難民は内務省発行のカードを持ち、保健省にて少ない自己負担額で医療を受けることができる5。
メンタルヘルスに関しては、難民は内戦でのトラウマや難民として置かれた厳しい状況により、様々な精神症状をきたす可能性がある。しかし、ヨルダン人やシリア人の間ではメンタルヘルスについて公に議論することがタブー視されており、公式な統計データもない状態となっている。一般的に医療アクセスの格差を議論するときには、難民とホストコミュニティの間の格差について議論されることが多いが、上記のような中長期的フェーズにおける問題点を考察すると、医療アクセスにおける格差は一概に難民とホストコミュニティの間だけで比較することはできず、より複雑になっていることが分かった。
2)現地渡航における学び
i)UNRWA
・清田明宏先生のご経歴6
UNRWAヨルダン本部を訪問し、清田明宏保健局長(以下「清田先生」)にお話をいただいた。清田先生は、日本の医師免許を保有し、2001年から特にUNRWAの保健分野の業務に従事している7。具体的には、乳児死亡率の改善のために母子手帳のアプリを開発したり、年々大きな問題になっている生活習慣病の改善とプライマリーヘルスケア(Primary Health Care)の浸透などをはじめ、パレスチナ難民に対する保険制度の改良などが挙げられる。
・ヨルダンのパレスチナ難民の保健事情と清田先生の取組
ヨルダンにおけるパレスチナ難民の保健課題について、清田先生の知見録を以下にまとめる。
ヨルダンでは、乳児死亡率が高いことに加え、生活習慣病で亡くなる人が6~7割ほどであることが大きな問題となっている。例えば、パレスチナキャンプの一つであるバカーキャンプに入ってすぐの場所にパン屋があるが、美味しいことに加え、政府の補助により1JD=約150円で3~4kgのパンを非常に安価に買うことができる。そのため、貧しい人は、肉や野菜・果物ではなくパンを主な食事にしていることから、栄養が偏っている。さらに、ヨルダンは車社会であり、普段の生活で体を動かす機会が少ないことに加えて、道路の整備が不十分で交通事故のリスクが高く、ウォーキングやランニングを気軽にできる環境もないことから運動不足になる。加えて、ヨルダンは大変喫煙率が高いため、癌や心疾患といった生活習慣病に罹患しやすい。
UNRWAではこのような現状を変えるために、運動の重要性を啓発するプロモーションビデオを作った。加えて、この問題を改善するために、家庭医の導入を検討した。家庭医とは、細分化された専門ごとの医療でなく、いわゆる「かかりつけ医」のような存在で、患者を包括的かつ継続的に診る医療者をさす。そこで、家庭医の導入という「改革」を行なおうとしたが、サービスが削られるという不安などから、各方面から反発がきた。しかし改革にあたっては、難民、UNRWA職員、裨益国、ドナー国の四者を全てが100%満足する取り組みを行うことは難しい。つまり、上記四者のうち誰を主要なターゲットに設定するのかというのが大切だ。UNRWAの場合は難民を中心とした取組を第一に考えている。このような新しい改革を行う際には、現場では「物事をいかに単純にするか」が大切である。
さらには、シリアの首都ダマスカスの南に位置するヤヌルークのパレスチナ難民キャンプを訪れた際に、生活環境が過酷な状況にある人々には薬を処方しても病気はよくならず、精神的な健康の問題点を認識し、メンタルヘルスの重要性を感じた。このような過程を踏んで現在UNRWAでは、医療従事者の教育、メンタルヘルスの導入、母子手帳のアプリケーションの作成・普及などを中心的に行なっている。
厳しい状況にある難民に支援が行き届かない怒り、またSDGsのGoal 16にも関連するが、「平和無くして、健康はない」という思いを旨に、UNRWAでの活動を行っている。
・清田先生からのメッセージ
皆さんには、日本がどういう国か、難民を受け入れられるような、インクルーシブ(包摂的)な社会かということを考えて欲しい。世界の中の日本は、教育面や寿命の長さという面ではトップクラスであるが、ジェンダーの問題や政治の問題、そしてインクルーシブな社会などの分野ではランキングが非常に低い。「難民の受け入れ率がとても低い日本のあなたが難民問題について何を言えるのか」とヨルダンの人に言われたらどうするか。日本はどうするべきかについて考えて欲しい。
また、途上国支援とは、途上国に住む人々の不幸で自分は仕事を得ているということだ。貧困をビジネスとして私腹を肥やすような「援助で儲ける」という有名な話がある。清田先生の日給は、一緒に仕事をしている現地の人の月給よりも高い。だからこそ、自分は一生懸命働いて然るべき。しかし同時に、自分は外国人であるから、現地の人々が最終的に物事を決めるという意識を忘れてはならない。尊敬の念と感謝の念をもつことが大切である一方で、萎縮せずに、「良い時は良い、悪い時は悪い」ということを伝えられる姿勢が肝心である。自分のために仕事をすることが難民のための仕事になる、というサイクルができ、仕事が楽しく続けられるというのが理想的であると考える。
・UNRWAヘルスセンター
(写真)UNRWAヘルスセンター
UNRWAヨルダン本部とともに、UNRWAが活動を行うバカァキャンプのヘルスセンターを視察し、母子保健として行う下記の4つのサービスについてお話を伺った。(1)妊娠前ケア(既婚女性が健康面で良好な状態で妊娠に至るように準備するためのサービス)、(2)出産前ケア、(3)産後ケア、(4)家族計画についてである。特に家族計画は、当難民キャンプにおける家族人数の平均が約15年前は7.5人であったのに対し、現在では平均4.7人に減少したという成功実績があるそうである。以前は子どもは労働力として認識されていたが、今は子どもの人数が多いと教育費の負担が大きくなることが認識されるようになったことが成功要因の一つとして考えられる。
また、幼児ケア、学校保健ケアも同ヘルスセンターでは行われている。加えてメンタルヘルスについても、パレスチナ難民のメンタルヘルスやウェルビーイングを向上させることを目的として、2018年12月から心理社会面の支援を実施している。全体として、プライマリーヘルスケアを重視している印象を受け、日本であまり馴染みのない妊娠前ケアの存在は特に強く印象に残った。上記のように医療体制についても、年齢やカテゴリーに分け、取り残される人が出ないような医療制度が構築されており、個々の多様な状況に対応し包括的なケアが行なえるように取り組んでいることが伺えた。
・考察と所感
ヨルダンの大きな保健問題の一つが、糖尿病をはじめとする、生活習慣病であるということが大変印象的だった。食生活や経済状況、喫煙、交通状況など、わずかではあるがヨルダンに実際に訪問することで身を持って感じることができた。このように様々な要因が関わってきている問題を「保健」の分野からアプローチする際には、清田先生が取り組んでいらっしゃる「家庭医」のシステムのさらなる発展が大切であると考える。包括的に地域の人と関わることで、保健・健康面以外の側面にも多く触れる機会が増えるだろう。このことにより、病気の二次予防の面に医療からもより多くのアプローチできるようになるのではないか。
ii)WHO
(写真)WHOにおけるブリーフィング後の写真
・プライマリーヘルスケアについて
プライマリーヘルスケアは、全ての人に医療・健康を届けることを目指している。基本的人権の一つである健康を支える重要な役割を果たしている。
プライマリーヘルスケアは、医療ケア(Medical Care)や疾病管理(Disease Control)とは異なる。つまり、単に病気を治すことではなく、予防から、その後の生活(学校や、コミュニティや家庭まで)を包括的にケアすることを意味する。「病院」を基盤にした医療者が提供する医療から、対象を広く持って包括的に予防からアフターケアまでを広くとらえて活動する方向へと変化してきている。それに伴い、医療従事者だけではなく、家族やコミュニティ、学校の先生までもヘルスケアに携わる人々としてとらえられるようになっている。このため医療従事者への教育も、病院だけで提供される医療からの大きな転換点を迎えている。
・WHOの役割について
WHOは、専門機関として一定の独立性を保ちつつも密接な連携関係にあり8、国連や加盟国への提言を行っている。カウンターパートはヨル ダンの保健省である。WHOはクリニックの運営などサービスを提供するのではなく、ガイドライン、ヘルスケアの方策や法律を作るなどを政府と協働して行う。
UNICEFやUNHCRは、1年毎に計画を立て活動しているのに対して、WHOは10年単位などの長期的視野に基づいて活動している。WHOでは、エイズやマラリア、糖尿病をはじめとした疾病横断的なプログラムを策定するとともに、ヘルスシステム、お金、情報、データや薬、働く人などをどのように管理・活用するかなどのヘルスケア・システム・プログラムを策定している。疾病横断的なプログラムとヘルスケア・システム・プログラムが車の両輪となって働くことが想定されている。
・所感と考察
電子カルテの活用や家庭医制度の採用など、その地域の人々の課題とニーズに合った解決策を実行しており、それらの解決策は患者との病院内外でのコミュニケーションから汲み取られ、採用されたものである。一方で病院への交通アクセスやバリアフリーなまちづくりなど、都市としての保健に対する機能は発展途上なところも多くみられた。
1 コミュニティレベルで住民に妊産婦健診や予防接種など一次保健医療サービスを提供する役割を果たす診療所のこと。明石秀親他「開発途上国における医療施設のアセスメントに関する一考察」『日本評価研究』4-1(2004年)、121−130ページ。
2 97%の人々が内務省発行カードを持っていると答えたアンケートにおいてすらも、保健省による医療費補助について知っているのが65%、UNHCRが提供する保健サービスについて知っているのが53%(いずれも2017年)ということである。UNHCR, https://reliefweb.int/sites/reliefweb.int/files/resources/UNHCR-HealthAccess%26UtilizationSurveyinJordan2017-Syrians.pdf, accessed on 5 January 2020.
3 2018年2月から2019年2月まで、登録難民の自己負担額が80%になったこともあったが、渡航時には20%の自己負担に戻ったようである。The World Bank, https://reliefweb.int/sites/reliefweb.int/files/resources/69371.pdf, accessed on 4 January 2020.
4 2017年5月発行の世界銀行資料に依拠した。 The World Bank, http://documents.worldbank.org/curated/en/331761497578505275/pdf/Jordan-Emergency-Health-PAD-06022017.pdf,, accessed on 4 January 2020.
5 2017年5月発行の世界銀行資料に依拠した。 The World Bank, http://documents.worldbank.org/curated/en/331761497578505275/pdf/Jordan-Emergency-Health-PAD-06022017.pdf, accessed on 4 January 2020.
6 UNRWAの詳細は4.2.1.4 パレスチナ難民キャンプを参照。
7 渡航中に別途行った清田先生のインタビューは以下のウェブページを参照。国連フォーラム, http://www.unforum.org/unstaff/wp/173-2/, accessed on 4 January 2020.
8 WHOについては以下ウェブページを参照のこと。UNIC, https://www.unic.or.jp/info/un/unsystem/specialized_agencies/who/, accessed on 27 December 2019. なお、国連専門機関については、以下ウェブページを参照。外務省, https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/page22_000754.html, accessed on 4 January 2020.