ヨルダン・スタディ・プログラム - 「5.参加者の声」
5.1 概要
今回も、学生、民間企業で働く社会人、国際協力の現場スタッフなど、多様なバックグラウンドを持つメンバーが集まり、自らの経験・知識・能力・アイデアを持ち寄ってつくりあげてきたスタディ・プログラムであった。参加したことに対して、メンバーたちは以下のようなメリットや、自分自身の変化を感じている。
<参加したことのメリット>
- 職場とは異なる人たちとタスクを進めることにより仕事の能力を磨けた。一生付き合いたいと思える友人と出会えた(30代/民間企業/女性)
- 大学や学生団体では出会えない社会の最前線で働いている方と一緒にプログラムを作り、その背中から多くを学んだ(20代/大学生/女性)
- 日本でやるべきことが明確化した(20代/公務員/女性)
- 様々な立場から具体的な切り口を通して国際協力について考え、議論し、自分のキャリアや生き方を考えることができた(20代/国際機関/女性)
- 学生でもたくさんのことをやらせてもらえ、周りが温かくサポートしてくれる環境があった(20代/大学生/女性)
- 自分の本業を俯瞰して見ることができ、民間企業や自身の立ち位置・役割を感じられた(20代/民間企業/女性)
- 個人では行けないような機関を多く訪問し、それぞれの取組みや関係を実際に見ることができた(20代/大学生/女性)
<自分自身の変化>
- 今の専門にプラスアルファで自分が深めたい分野や克服したい弱みなどを発見することができた(20代/大学生/女性)
- 熱量があがった(20代/民間企業/男性)
- 自分に自信がなかったが、周囲に支えられて物事をやり遂げたことが自分の自身になり、前よりも自分のことが好きになった(20代/大学生/女性)
- 自己開示が苦手な性格だったが、前よりはオープンになれたし、なるよう努力しようと思えた(20代/民間企業/女性)
- 国際協力に関わりたい、現場に近い場所にいたいという思いが強くなった(20代/民間企業/女性)
- 多様な背景を持ったチームをオンラインでまとめるためのコツをつかんだ(20代/民間企業/男性)
- 自分のこれまで考えていた課題が、国際協力という分野での一部に過ぎないことを認識した(20代/大学生/男性)
自分とは異なる背景を持つメンバーと、話し合いを重ねて現地渡航を具体化し、渡航国の抱える課題について一年を通して議論することや、勉強会や報告会等のイベント企画や、報告書の執筆を通して、多くの学びや経験を得ることができるのが、このスタディ・プログラムの大きな特徴である。
ここでの経験は、単に知識習得の機会ではなく、いかに将来、この学びを社会に還元していけるのかを考える機会ともなる。
スタディ・プログラムは今年で10回目を数え、これまでに約250人が参加してきた過去の参加者の中には、スタディ・プログラム後に国際協力の道に進んだり、大学院への進学や転職をしたりなど、このスタディ・プログラムがキャリアを考える大きなきっかけになった、という人も多い。
今回のスタディ・プログラムは、難民という大きな課題に対して「どうにか状況を改善する手立てはないか」をメンバーの間で真剣に議論を重ねてきた。今後この経験を経て、他のメンバーがどのような将来を描き、どのような道を歩んでいくのかは、参加者の一人としても非常に楽しみである。
5.2 参加者の声(Part1)
U.I [所属:報告会チーム]
参加したきっかけ
私はもともとパレスチナ問題に興味がありました。そんな時にヨルダン王国にて難民に焦点を当てたスタディーツアーが実施されると知り、数多くのパレスチナ難民を抱えるヨルダン王国を訪問することで、ヨルダン側からパレスチナ問題について実際に自分の目で見、さらにプログラムを通して勉強することでより理解を深めたいと思い応募に至りました。
渡航前の学び
渡航前には勉強会が開催されるのですが、この勉強会は受け身の勉強会で終わるのではなく、グループに別れて話し合いの場がもたれるなどインタラクティブな学びの場になっていました。私にとってはこの話し合いの時間は、他の参加者がどう考えているのかを知り、そこから自分の理解をより深めていける、そんな貴重な時間でした。
現地での学び
現地では個人ではなかなか訪問の難しい国連諸機関や難民キャンプなどを多く訪問させていただくことができました。私は様々なことに対して懐疑的な意見を持っていることが多いのですが、その一つ一つを訪問先の職員さんや受益者さんとの対話の中で答えを見つけていくことができたのは私の中では本当に貴重な体験でした。また、その中で新たに生じた疑問や深掘りして行きたい分野を渡航後の勉強会で学んでいけるというのもこのスタディープログラムの良さなのではと感じました。
今後どのように生かしていきたいか
私には夢があります。そしてこのスタディープログラムに参加したことでよりその夢を強く意識することができました。今後、今回見聞きした知見を生かし広く国際協力の世界に関わって行きたいと思っています。
高見 純平(たかじゅん)[所属:報告会チーム/サブリーダー]
参加したきっかけ
「水を乞い、洪水が起き、人が死ぬ。」ヨルダンの友人が言った言葉です。その姿や背景を見てみたい、素直にそう思いました。乾燥国であるため、ヨルダン川の水量が減少し、地下水が溜まる帯水層も枯渇するなど水不足の問題が深刻です。しかし一方で、鉄砲水や土石流などの洪水が起こり、都市部では道路が冠水し、交通がマヒするなどの自然災害にも多く見舞われています。水資源が枯渇していく中で大規模でコストのかかる海水の淡水化施設はどれほど重要なのか、これらの問いの答えを考えたく、参加を決意しました。
渡航前の学び
渡航前の約半年間は主にリスク管理班・企画班・第4回勉強会チームに所属しました。リスク管理班ではリーダーという役割もさることながら、「いかにやることを減らしていくか」に注力しました。ケースバイケースな対応が多い途上国で、リスクシナリオなどを決めることには違和感を覚え、解釈が共通となるようなマニュアルの作成を心がけ、タスクの時間短縮スキル・ワークを学びました。また、企画班ではホテルのロジを担当しました。50人超の宿泊管理はなかなか骨が折れましたが、メンバーの宿泊希望を聞き取りながら進めていくことで、マルチタスクにおいて、優先順位を考えて最適な答えを見つける工夫や思考方法は仕事でも活かせると感じます。さらに、勉強会チームでは以下のことについて深く学びを得ました。アウトプットを意識するとインプットも深くなり、今後の学びの機会に活かせるように思います。
1) 難民キャンプ内での様々な先端技術、女性のエンパワメント、雇用促進事業2) 水不足問題を解決するイノベーション技術
3) アパレル・農業・ICT・観光など成長産業可能性
現地での学び
1)先端技術:都市部での活用状況が知る機会がありませんでしたが、IT協会での聞き取りから、Refugee Open Ware (ROW)の事業など3Dプリンタなどの先端技術の導入が難民キャンプで推し進められ、IT協会の方針と認識や考え方が多少異なることに驚きました。IT協会ではWebアプリ・モバイルアプリ企業の成長と国外輸出支援が課題でありました。先端技術の導入は国際貢献の枠組みの中で難民キャンプなどに導入されやすいことにも驚きました。
2)水不足問題:街を歩くと節水を促すような啓発活動がどこでも行われていると考えていました。しかし、その姿はほとんどなく、「水不足は前提認識として普及している」と感じました。政府機関訪問時には海水の淡水化プロジェクトを国の主要プロジェクトとして扱っている中で、今後の国民への上下水道サービスと普及活動が課題になると感じました。
3)成長産業:アパレル・農業・ICT・観光が成長産業であるという仮説は予想通りでした。その中でもとりわけICTの活用が声を高くして挙げられていました。Webアプリ・モバイルアプリ開発・市場展開など個人・法人の事業支援を推し進める中で懸念したのは、隣のIT大国イスラエルです。同国について口には出せませんでしたが、AgriTech・FinTechなどICTを活用することにおいては中東では頭ひとつ抜きん出ています。今後、どのように隣国との産業競争・協定などをもとにして、財政赤字を克服し得る産業を創出できるのか、さらに若者・女性・難民の雇用促進につなげることができるのかが課題になると感じました。
今後どのように生かしていきたいか
今回、初のイスラム教徒の国、乾燥地である中東、深刻な難民問題を抱えるスタディ・プログラムということもあり、頭の整理がまだまだ追いつきません。しかし、一つわかったことは「国が生きよう、躍動しようとしていること」です。政府機関を訪れた際にも彼らの知識や国に対する思いは強く、世銀Youthの声、難民の働く姿を見て一つ一つの意志が感じられました。日本だけを見てきた私にとって今の自分に何ができるのか、何をしたいかを改めて問う、いいきっかけになりました。
現在私は人工衛星の画像解析エンジニアとして国内外問わずインフラ、農業、社会経済に対して人工衛星を用いたソリューションを提供しています。これまで単一的な視点しかなかった課題に、新たな手法として投げかけることができます。選択肢を増やすこと、強制的なプロジェクトではなく、途上国の人々が安全・効率・選択をしっかりと享受できてこそ、本当の国際貢献になると感じています。そういう人材でありたいと強く願います。
たじー [所属:報告会チーム/役職:マネジメント]
参加したきっかけ
ヨルダンと聞いたときにふと浮かんだのは、ガザでビジネスコンテストを主催していた友人の口癖だった。「丸の内でスーツを着て働いているような人が普通に関われるぐらい、国際協力が身近なものになったらいいよね。」ヨルダンでビジネスを立ち上げようとしていた彼は、ビジネス戦略と同じくらいに、難民の雇用、政治的対立の激しい隣国の企業との提携に、難民の多い地域を産地として打ち出すブランディングと、最大限に社会的価値を創出するためのあらゆる可能性を熱く語っていて、丸の内のビジネスパーソンの手にかかった国際協力の真髄を見た気がした。当時あの地域に特有の複雑さに理解が追いつかなかった私は、ただただ、移動する人々と移動が制限される人々は、どのように生きる尊厳と生計手段を担保していけるのか、それに伴い経済はどのように動くのか、そのようなことだけが頭を過ぎったのを覚えている。今年のスタディ・プログラムのテーマはヨルダンにおける難民支援だと聞いて、参加しないわけにはいかなかった。
渡航前の学び
程なくして「難民を経済的パワーに」との言葉に魅せられた。ヨルダンの難民受け入れ政策は、地政学的条件を踏まえると資源を持たない小国が生き抜くための強かな外交戦略に感じられたが、外交的動機でも人道的動機でもなく、真の意味でインセンティブを持って国や企業が難民を受け入れるようになれば、世界の支援のあり方も変わるかもしれない。それと同時に、ICT産業や農業を梃子にしたプライベートセクターの活性化、難民への制限付きの就業許可といった、支援の現場に取り入れられるビジネスマインドや技術を知るにつれ、その実態と可能性をこの目で見たいと思った。
渡航プログラムの企画も非常に学びが多かった。居住地も年齢もバックグラウンドも異なる約60人ものメンバーとの、「みんなで作る」がモットーの共同作業である。全体のタイムラインを頭に描いた後、ヨルダンで活動する機関やプログラムの概要調査、コンタクト、メンバーの訪問希望のデータ集計、ロジを含むスケジューリング等やることも膨大だったが、単なるタスク処理を超えて、リーダーシップのあり方についても考える機会となった。合意形成のためのオープンな議論の場の提供やペース配分、タスクの目的の共有や質の追求を意識して学んでいった。自分の常識の枠を越えた視点や困った時に手を差し伸べてくれる人、着々と物事を進める人、場の雰囲気を作るのに長ける人など、様々な特性のチームメンバーと走れることで、本業とはまた違ったソフトスキルを磨くことができた。
現地での学び
本当に多くの方の協力を仰ぎながら、数多くの政府機関、国際機関、NGO、民間企業、そしてシリア・パレスチナ両難民キャンプへの訪問機会を頂いた。まず、支援現場におけるビジネスや技術の観点では、政府も援助機関も口を揃えてプライベートセクターの重要性と資金需要を語っており、多くの機関が自立自走の支援の仕組みを模索しているようだった。シリア難民キャンプへの虹彩認証やブロックチェーンの導入は、圧倒的な効率化と資金の流れの変化によってこれからの支援のあり方を大きく変えていくであろうし、難民によるGISを利用した地図の作成は、支援者や裨益者にとっての有益な情報源として、これを利用した新たなサービスが次々と生み出されていくだろう。
一方で興味深いのは、事業性や効率化、雇用創出だけではなく、ホストコミュニティと難民との共同作業による社会的結束の強化、テクノロジーを若者の社会参画の手段に活用することで地域や仕事への愛着を持たせるなど、副次的な効果を期待する取組が多い点である。また、どこか無機質で砂埃の舞う褐色のシリア難民キャンプとは対照的に、パレスチナ難民キャンプの人のごった返す市場を思い出す。ヨルダンで取れた野菜だと自慢げに見せてくれた店主も、カルダモン入りのコーヒーを振る舞ってくれたカフェの店主も、無心にパンを作る工房の若い職人も、難民だと言われなければ普通の町で暮らす人たちのようだった。
果てしなく難民が増え続け、多くの制約がある中で、様々な支援方法が模索されている。できる限り機械的な要素を排除し普通の生活を装いながら、必要な支援を必要な人たちに行き渡るようにすることがいかに難しいか。そこに現地の人々と援助機関の長年の努力と葛藤が垣間見えた。支援の現場には事業性や先端技術といったお金と効率性を生み出すものと、伝統や愛着といった計り知れないもの、おそらくその両輪が必要だ。
今後どのように生かしていきたいか
目まぐるしい日々だった渡航から数ヶ月経ち、今真っ先に思い出すのは、アンマン城から見下ろした夕陽とアザーンの反響する美しい市街や、テラスでシーシャを吸うヒジャブを被った女性や、市場の熱気だったりする。そこには普通の人たちの暮らしが当たり前のようにある。国際協力や開発は、そこに骨を埋める覚悟のある者しか想いを馳せてはいけないということはない。今後も実務者としてお金と社会的価値を生み出すべく邁進すると同時に、友人の言葉ではないが、国際協力とは最も遠い丸の内界隈にいるような人たちが、社会的課題に時間と能力の5%でも割きたくなるように、これからも発信を心がけていきたいと思う。
5.2 参加者の声(Part2)
日比野 佳奈 [所属:報告会チーム/役職:マネジメント]
参加したきっかけ
もともと国際協力に憧れて助産師になり、2年前のルワンダ・スタディ・プログラムの冬のネットワーキング・カンファレンスに参加し、国連フォーラム主催のスタディ・プログラムについて知った。そこで様々なバックグラウンドのメンバーが一年間かけて国際協力の学びを深めていくという内容にも魅力を感じ、話をさせていただいた方がとても素敵な方で、このような方々と一緒に活動したいと思い、去年のパプアニューギニア・スタディ・プログラム(PSP)に応募し参加した。そこで素敵な仲間と出会い、濃く学びの深い一年間を過ごした。今年のヨルダン・スタディ・プログラム(JSP)では、タスクフォースから関わり、マネジメントチームとして参加することとなった。
渡航前の学び
まず、ヨルダンを含む中東の歴史についての学びはとても興味深い。王族国家であり、それはまるでイギリスのロイヤルファミリーのようである。実際に外交もある意味うまく行い資金を得ており、そして政治を行っている王族がヨルダンという国を動かしている。
渡航前の勉強会を深める中で私が特に重要だと感じたことは、国連が行っている分野ごとに分かれている機関を包括的につなげていく仕組みである。特に難民支援においては中長期的に支援が必要になる場合が多く、分野で分けられるものではないと感じた。また勉強会のディスカッションで「幸せとは何か」を考える機会もあり、自分だったら何が幸せだろうなどと思いをはせながら国際協力や難民支援について考えることもあった。
現地での学び
複数の難民キャンプを訪問できたことは、とてもよい経験であった。そして訪問後の日々のメンバーやグループでの振り返りでも、学びを深めることができたのがよかった。
難民キャンプでは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を中心に様々な国連機関がプロジェクトを実施しており、他の国連機関が行っているプロジェクトを訪問する機会にも恵まれた。シリア難民のキャンプに訪問してみると、機関ごとの連携の難しさを感じた。女性の為、食料の為、子どもの教育の為などという、一つ一つのプロジェクトは有意義であり、スタッフや難民の方々の姿は一生懸命取り組まれていると感じたが、それらの横のつながりについては疑問に感じた。同じようなプロジェクトを違う機関が行っているように見えたものもあった。また、難民を虹彩システムで管理しているという最新のシステムについて、はじめは画期的だと思ったが、難民をシステマティックに管理しており、人権の観点や、支援する側の管理のしやすさ、難民は管理される者として扱われているようだという見方にも共感した。支援する側、される側という視点から言うと、主に支援する側の世界を垣間見たという渡航であったかもしれない。これもまた、私の大きな気づきである。
今後どのように生かしていきたいか
難民キャンプを訪問できたことで、表面上での「難民」の暮らしを知ることができたと思う。しかし難民も同じ人として家族や大切な人がいて、その人の人生がある。私は「難民かどうか」という人の属性にかかわらず、その人の人生に寄り添った助産師でありたいと改めて実感した。
そして、JSPメンバーとの会話やディスカッションで私の思考も深まったように、JSPで出会ったメンバーとは、今後もお互いの人生を語り合える仲間であるように思う。
(写真)アズラックキャンプにて
加藤美和 [所属:新規事業チーム]
参加したきっかけ
気候変動の切り口から計画移住、強制移住に関する仕事に関わる機会が増えたので、難民問題全般について広く学ぶ機会を作りたかった。社会人生活と家庭(一児の母)の両立で普段忙しく、個人ペースで進めるオンライン学習だと自分に甘くなりがちなので、「みんなでつくる」がモットーのSPで自分を追い込む状況を作ると学習にあてる時間をしっかり確保できるかと思ったから。また、SPがオファーできる異業種・異世代間交流に魅力を感じたから。
渡航前の学び
勉強会を通じ、ホスト国(ヨルダン)の難民と共存する持続可能な社会政策のあり方について、主に比較的話題性が大きいシリア難民問題を軸に学んだ。
国が自国民に対しその責任を果たすことを使命とすると、越境してきた難民の為にならない政策も多い。シリア難民問題についてヨルダン一国で出来得て、またしようとしていることは重要ではあるが、対処療法的だ。中東そして国際社会の対応に変化がない限り、難民問題を引き金にホスト国の経済発展・社会体制にまで、問題が広がる経緯を、様々な切り口で勉強会では学べた。
3~4カ月の渡航前の学び期間はあっという間に過ぎ、誰に視点を置くのが「良き政策」なのか、正解答が無い議論をもっとしたかった。
また、渡航前勉強期間中に参加者やアドバイザーからスラック上で頻繁にされた情報共有が、中東の基本的な地政学に触れるきっかけになり、とても有意義だった。
現地での学び
事前勉強会の主フォーカスとは違い、パレスチナ問題の奥深さに関する学びが、私にとっては現地で一番印象的だった。長期顕在化しているにも関わらず、本質的な解決を国連または地域・国際社会一丸で試みている訳ではなく、不安定かつ不自然なバブルが存在している現状を目のあたりに出来たことが、大きな糧となった。
視覚的には、シリア難民アズラックキャンプ内「村落」間に広がる土、熱、空だけの広大な無のスペースの、なんとも言えない絶望感が印象に残っている。恵まれた日本人の私は、その広大な「村落」間スペースを横切っているアバヤ姿のシリア女性をトボトボ、無感情に歩いているな、と水で喉を潤しながらクーラーの効いた車窓越しに眺めていた。しかし、もしかしたら、本人達は危険なシリアを脱出でき、子どもの安全が確保でき、食べることができ、学業を継続させてあげられるその難民キャンプにその日いる、ということで、希望を感じ大地を踏みしめていたのか、今でもヨルダンでの一週間を思い出すと、考えさせられる。
今後どのように生かしていきたいか
オンラインベースで出来ることの可能性の探求。そして、もっと積極的に情報発信をしてみること。
仕事と関連はあるけど、直接の関係が無い主題。日々の仕事で交差する可能性が無い職業人、学生。難民・ヨルダン・国連、といった極めてゆるいキーワードで集まり初めて知り合った人々と、100%オンラインで交流して、第三国で実施する現地渡航プログラムを3~4カ月で作り上げる体験をしたからには、ドイツに住んでるから、仕事が忙しいから、子どもがいるから、別に珍しいことしてる訳でもないから、等々、何かを「しない」理由付けは、もうできないな、と自分に言い聞かせ、新しい可能性を広げていきたい。
(写真)アズラック難民キャンプ内「村落」間移動中の車窓より
竹林理帆 [所属:新規事業チーム]
参加したきっかけ
「難民問題って中東とかヨーロッパとかの話でしょ?」大学1年生の春、次回の授業テーマが難民問題だと聞いた私は確かにそう思った。そして1週間後、自らの無知と無関心を恥じた。母国で安全な生活ができなくなった彼らは生きるために逃げていた。そして国際社会はそんな彼らを守る責任があると思った。もちろん日本も。その2ヶ月後わたしはドイツの難民キャンプにいた。シリアやアフガニスタンから逃げてきた彼らは故郷への強い思いを語ってくれた。一方でトルコやドイツ、イタリアに住む友人からは受け入れ国の国民の複雑な心境を聞いた。帰国後はいくつかの勉強会に参加した。特に日本の入国管理局の現状には大きなショックを受けた。そんなときにこのプログラムに出会った。私は難民と受け入れ国民の共存の姿と日本ができる支援を探るべく応募を決意した。
渡航前の学び
勉強会での学びは広く深いものだった。確かに、大学で国際政治を勉強して数ヶ月の私はついていくのに必死で「自分はやっていけないかもしれない」と不安だった。それでも私はこの知の海が好きになった。それはメンバーがいたからだ。最初は足のつかない海の深さに戸惑っていたが、メンバーに泳ぎ方を教わり1人では見れなかった世界を見た。 勉強会の度に新たな知識を得て、それらが繋がり、体系化された。そんな体験が面白くて楽しかった。そして特筆すべきは、自分の興味関心に向き合えたことだ。JSPには、国連で働いている方、大学の先生、お医者さん、ジェンダーに詳しい方、水のプロなど実に幅広い分野に精通したメンバーがいる。専門も経歴もバラバラな人たちと議論する中で、だんだんと自分の興味が明確になるのに気づいた。私の場合、ジェンダー分野をもっと勉強したいと思った。大学で本格的に専門を決める前に、幅広く知りその中で特に学びたいものがわかったことは、自分にとって大きなプラスになった。
現地での学び
現地の機関訪問では思っていたよりも女性に関するお話を聞くことができた。というのも、他の領域をメインターゲットとした機関や事業でも女性のエンパワメントに関する取り組みがなされていたのだ。例えば私が訪問したUNDPの廃棄物処理場ではヨルダン人やシリア人、イラク人など異なる出自の女性を雇用することで、女性の経済的エンパワメントと社会的結束の強化を実現していた。このような機関や事業の訪問を通して、ヨルダンでは収入創出に着目した女性のエンパワメントが多くなされていることがわかった。一方で、「ヨルダンのふつうの女性」がジェンダー平等についてどのような考えを持っているのかは思うように聞けなかった。そもそも初対面の方に聞いて良い内容なのか否かという面もあるが、私は自身の力不足を悔いた。特に、イスラーム文化の理解の至らなさとセンシティブな内容を正しく伝える英語力の欠如に関しては、渡航前の準備不足だと思う。これからはこのような機会損失をできるだけ減らすために、準備段階にこだわりたい。加えて現地でお話を聞くなかで日本のジェンダー不平等を思い出し、日本の女性の一員としての自分にできること、やるべきことはなんだろうと改めて考えた。ヨルダンについて深く考えるうちにヨルダンを通して世界の様々が見えてきたのだ。
今後どのように生かしていきたいか
今回の渡航で理論と実践のバランスの大切さを感じた。これは車両の両輪で片方が欠けると上手く進まなくなる。例えば渡航前は「受け入れ国民対難民」のように二項対立的に整理して考えることが多かった。しかし現地に行って出会ったのは、様々な色を持ち様々な考えを抱く人々だった。大学での学びは前者のタイプが多い上に、私は物事を抽象化して考えることが好きなので、ついつい理論に偏る傾向があると思う。これからは意識的に現場に目を向け、より誠実な学びになるよう努めたい。また精神の面では「できないことに立ち向かう力」をつけたい。このJSPで今まで失敗や間違いを必要以上に忌避してきたことに気付いた。一方でメンバーの方々は強いから立ち向かっているのではなく立ち向かって強くなっているように見えた。残り数ヶ月、そしてプログラム終了後も失敗と間違いをたくさん重ねてパワーアップしていきたい。
(写真)ペトラ遺跡にて入場料が50JD、日本円で8000円近くする別名世界で一番高い遺跡。
ヨルダンのメイン産業の一つである観光分野の中心スポット
5.3 参加者の声(Part3)
Annie [所属:報告書]
参加したきっかけ
ヨルダン・スタディ・プログラムに参加しようと思った理由は、(1) 1週間に20以上の政府機関や国連機関、NGOや民間企業を訪問できるプログラムだったこと、(2)私はコロンビアでベネズエラ難民支援に従事しており、パレスチナ、イラク、シリア、イエメンなどからの難民を受け入れているヨルダンにおける難民政策・支援の事例について学びたかったこと、(3)シリアは15年前に2回訪れた好きな国の一つで、数年前にもレバノンとヨルダンのシリア難民の集落や支援施設を訪れたことがあり、ヨルダンの現状を知りたかったこと、(4) 友人が西岸以外の出身のパレスチナ難民としてヨルダンに住んでいたことがあり、ヨルダンでの難民生活について話を聞いていたからだ。これまでにヨルダンは3回訪問したことがあったが、包括的にヨルダンを見たことはなかったのでいい機会であるとも考えた。
渡航前の学び/活動
ヨルダン渡航前の学びは、ヨルダンに関することよりは、遠隔でのプロジェクト策定とタスク管理の学びの方が大きかった。リーダーズの一員として参加した、現地プログラムを作る企画班には、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南米からの参加者がいて、どのような現地プログラムにしたいのかというアイディア出しからビジョンの共有、計画や戦略策定、訪問機関へのアポ取りやロジの調整まで全てをオンラインで実施した。Slackというコミュニケーション・ツールで日々の細かなやり取りを行い、Zoomというビデオ会議ソフトで週次ミーティングを行い、Google Docsで文書を共同で作り、参加者の意向を把握するためにGoogle Formでアンケートを実施し、分析をした。企画班のメンバーが地理的に散らばっていたのにも関わらず、オンライン会議や進捗管理も問題なく行え、30以上の政府機関や国連機関、NGO、民間企業に連絡を取ってアポ取りができ、現地の交通機関やホテルなどを問題なく調整できてしまったことに驚いた。私は南米に住んでいるので、時差を利用して私の本業の勤務時間や就寝時間には日本やアジアにいるメンバーに作業を進めてもらい、私は他のメンバーの勤務時間や就寝時間に作業をした。地理的に離れていても、一緒に作業や仕事ができることを身をもって感じた。
(写真左)アンマンのホテルからの眺め。教会とモスクが一緒に見える。
(写真右)マダバのモザイクでできた古地図。
ヨルダンやパレスチナが描かれている。
現地での学び
現地では、ザータリ難民キャンプやアズラック難民キャンプでUNHCR、WFP、UNFPA、UNICEF、UN Womenによるシリア難民支援プロジェクトを視察したほか、バカー難民キャンプのUNRWAによるパレスチナ難民支援、計画・国際協力省、労働省、シリア難民支援局、在ヨルダン日本国大使館、ILO、赤十字国際委員会(ICRC)、世界銀行のユース・グループ、JICAの就労支援と観光プロジェクト、ヨルダン人とシリア難民を雇用するTeenahを訪問し、話を聞くことができた。難民の雇用創出に興味があったため、雇用創出に関わっている機関を集中的に訪問できるように、日々の訪問プログラムを選んだ。
前回のヨルダン訪問時はシリア難民によるシリア難民支援施設やパレスチナ難民/ヨルダン人の一般家庭を訪問し、イエメン人たちと毎晩議論したりと、現地の人たちに話を聞いて現地の人たちのフィルターを通してヨルダンを見ていた。
今回の訪問は、ヨルダン政府や国連といった援助機関の目線から、政策面や援助協調についてヨルダンを眺めることができた訪問だった。ヨルダン政府は国内の資源不足や経済停滞の課題も抱えながらも、難民向け就労許可や雇用政策も打ち出しており、援助機関とも積極的に連携をしていた。援助機関も、ブロックチェーンや虹彩認証などの最新のテクノロジーを使っていたり、スタートアップ支援施設を作ったりと先進的だった。難民キャンプでは、難民を一時的に雇用して賃金を支払うことにより、自立を支援する手法であるIncentive Based Volunteeringを用いて、難民キャンプでのサービス提供や生計手段支援が多く行われていたことも印象的だった。また、難民たちが職業訓練の一環として、GIS(地理情報システム)を使って難民キャンプの地図を作っていたことにも驚いた。あいにく訪問期間が限られていたことから裨益者と話す機会はあまりなかったものの、訪問を通じて多くの難民政策・難民支援の事例として見聞きすることができた。
今後どのように生かしていきたいか
今後も難民支援、とりわけ難民・帰還民・国内避難民の生計手段支援に関わっていきたいと考えている。自分の目の前にいる人たちのニーズや政治・経済・社会的条件を考慮し、ヨルダンでみた事例も参考にしながら業務に励んでいきたい。
(写真左)ザータリ難民キャンプ。住居とモスクが見える
(写真右)ザータリ難民キャンプ内のスーパーマーケット
木本真由 [所属:報告会チーム]
参加したきっかけ
日本でも毎日のようにISILが大きく報道されていたとき、私は大学1年生だった。そんな中、生まれて初めて中東出身の友人ができ、出会った当初は「ニュースで見る人と全然違ってすごく優しいじゃん」と多少の戸惑いがあったことをよく覚えている。
ある日、イエメン・シリア・サウジアラビアで育った常に明るい友人たちが「今は戦争ばかりしているけれど、数年後にはきっと安全で素敵な国になっているからその時は遊びに来てね」と悲しそうに話してくれたことを忘れることができず、彼らの役に立ちたいと思うようになった。
大学ではASEAN地域への日本の国際開発協力を専攻しており、その中でもインフラ整備をすることで国に与えることのできるインパクトに関心があったため、「今中東地域で必要なものの1つにインフラ整備があるのではないか」という仮説・疑問を検証したいと考え参加を決めた。
渡航前の学び
「インフラ整備」という視点から入った私だったが、学習を進める中で想像以上に多種多様な課題が蔓延していることを知った。インクルーシブな社会・難民を経済的な力に変えるという言葉自体に納得はできるが、「こんなに多くの課題がある中で一体何からやれば達成できるのだろう」という疑問は大きいままだった。
もともとの関心分野だったインフラ整備については、産油国ならまだしもヨルダン国内には太陽光発電を除いてあまり目立った情報は得られなかったため、あまり重要視されていないのではないか、と考えていた。
現地での学び
ヨルダンの企業や地方で難民の方々が働いている企業への訪問を通して、地方に住む人々にとって首都への交通アクセスが非常に悪いため働くことへの阻害要因になっていることが分かった。しかし経済成長は停滞しており、国の財政赤字もある中で借款を用いて大規模のインフラ整備を進めることは現実的ではないとの話を聞いた。
ヨルダンへ渡航する前に、ヨルダンで仕事をしたことがある日本人数人と話をしたが「道路も整っているし、移動は何も問題がないから、インフラ整備はそこまで優先度が高くないのでは」と聞いていたが、実際に現地の人からすると未だに課題が残っていることが分かった。外資企業を誘致するために整備を行っていくことも大切だと思うが、現地人と外国人の考えに大きな差があることを認識し、もどかしさを覚えた。
今後どのように生かしていきたいか
現地で学んだことは、保健・教育・経済など多岐にわたる。どの分野もなくてはならないものであり、1つ1つが独立しているわけではなく、それらがつながって国が成り立っていると多くの機関に訪問させてもらったからこそ、考えられるようになった。しかし結局のところ私が関心があるのは、1つのプロジェクトで国の経済を変えることもできる「インフラ整備」だった。
そしてプログラムを「みんなでつくる」という方針のもと、試行錯誤を重ねて作り上げていく中で、尊敬できる素敵な方々の背中を追い続けていた気がする。キャッチアップすることに必死で、どうすれば未熟な自分でも役に立てるのか悩むこともあったが、背中から学ぶことは多かった。いくら上手にできなくても、手を差し伸べてくれる人たちの優しさに触れ、どんなに余裕がなくても他人を気遣えるようにもっと色々な経験を積みたいと思えた。
今後は、インフラ整備に携わる会社で働くために就職活動を進めていく。将来はどこかの国、可能であれば中東で現地で暮らす人に寄り添いプロジェクトを遂行していけるようなプロジェクトマネージャーになって、「木本がいるなら大丈夫ね」と思ってもらえるような人間になりたい。
(写真)ワディラム砂漠にて
匿名 [所属:報告会チーム]
参加したきっかけ
私は、大学で中東地域の国際関係を専攻しており、中東和平の鍵であり世界中にとって重要な国であるヨルダンに、以前から強く関心を持っていた。
また、スタディプログラム ( SP ) には初参加だったが、国連フォーラム関西支部を運営していることから、過去にSP報告会開催の補助を通じて過去参加者の方との交流があった。多様なバックグラウンドを持った参加者とひとつのプログラムを作り上げたいと思い参加した。
渡航前の学び
1点目は、ヨルダンの政治経済についての理解が深まったことである。中東を広く学んではいたものの、ヨルダンに焦点を当ててはいなかったため、一国を深く探究することに面白さを感じた。また、JSP参加者の関心は幅広く、政治や経済から文化、水、医療など多分野にわたっていた。国連機関、政府、NGOといった様々なアクターの活動について理解を深めることができた。
2点目は、会計の活動を通して学んだ、柔軟な対応の重要性だ。徴収した参加費は慎重に扱わなければならないため、過去SPで使われた資料を読み込み、周到な準備を心がけた。しかし、今回のSPは50名近くと大人数の参加であったことから新たな工夫も求められた。予算策定や集金方法を前例に固執するのではなく、状況に合わせ柔軟に変更していくことで、適切に会計業務を進めることができた。
現地での学び
援助機関の事業を学べたことはもちろんだが、「ヨルダン人」「難民」という単純な分け方の危うさを認識できたことが大きい。例えば、一口に「難民」といっても、出身国や難民担った背景により待遇は異なる、という基本的なことは十分理解しているつもりでいた。しかし、パレスチナ難民キャンプ・シリア難民キャンプ両方を実際に訪問させて頂き、通りのにおい、売られているもの、子どもたちの発言に触れたことで、実感を持って違いを感じることができ、より理解が深まった。国際協力や中東地域に留まらず、何かを議論する上で、全体を見つつも、細部を緻密に考え分析することが重要だと感じた。
今後どのように生かしていきたいか
1点目は、今回あまり見る機会のなかった、日本の民間企業のヨルダン・中東への関わり方を考えることだ。特に、JSP参加者が働いている企業の取り組みについて聞いてみたいと思う。多様な参加者がいるJSPだからこそできることではないだろうか。
2点目は、アラビア語のブラッシュアップである。今回の訪問先で、拙いアラビア語でも会話することで関心を持ってもらうことができ、通訳を介してでは聞けなかったで
あろう興味深い話をたくさん聞くことができた。また、キャンプ内スーパーの値段や、落書きの内容も少し理解することができ、役立った。一方で、話が盛り上がって深く難しい内容になると理解できないことが多く、もどかしい気持ちにもなった。学習意欲が高まる良いきっかけになった。
3点目は、関西における報告会の実施である。私は以前から、首都圏と比べ、国際協力や難民問題などに関するイベントや機会が少ないことに課題意識を抱いていた。JSP関西報告会のリーダーとして、JSP参加者や国連フォーラムの持つリソースを活かし、関西においても国際協力の機運を高めたい。
(写真)UN Habitat事業地にて
朝比奈実央 [所属:報告会チーム/役職:サブリーダー]
参加したきっかけ
国際協力に関わりたいと思っていたが現地に行ったことがなく、自分はこのままでいいのか、と悩んでいた時にJSPに出会った。中東やイスラムの文化に関心があり機会があればイスラム圏の国へ行ってみたいと思っていたし、かつまさに今自分が求めている国際協力の「現場」へ足を運べる機会だと知って応募を決めた。
渡航前の学び
特に印象的な学びは、国際協力のマクロな政治的視点に気づかされたことである。渡航前勉強会の議論で元国連職員の方のお話を聞き、人道支援というと個人の悲惨な物語と彼・彼女らを現場で助ける国際機関・NGOというミクロな構図にばかりに囚われていたことに気が付いた。実際には国連の予算は拠出国の意図によって使い道が決められ、それにによって現場で行われる支援が決まる、という一連の流れがあることを改めて知った。国際協力と政治は深くつながっているのだと知ることができた。
現地での学び
私が渡航して最も重要な学びは、「難民」も「私」も「ヨルダン人」も同じ人間として同じ世界に生きている、ということである。どこか自分の中で「難民」と呼ばれる人たちや会ったこともないヨルダンの人を特別な枠に入れて、紛争や彼らの状況も自分とは違う世界の出来事だと無意識に思ってしまっていたと気づいた。しかし実際にヨルダンに訪れ、まぎれもなく今自分が生きている世界に起きている出来事だと改めて実感した。
今後どのように生かしていきたいか
1点目は学問としての国際政治を深く学びたいということである。特に国家同士の政治的駆け引きや国家の外交政策を決定づける行動原理に関心を持ったため、普段からの自主的な学習に加え、留学予定先や大学院で専攻し学びをより深めたいと考えている。
2点目は再び難民支援の現場に訪れ、関わりを持ち続けたいということである。自分が今後どのように国際協力と関わっていけるのかはまだ分からないが、何らかの形で自分が受けとったものを誰かに還元していきたいと考えている。
(写真)ワディラム砂漠での朝食にて