ルワンダ・スタディ・プログラム - 第2回勉強会
ルワンダ・スタディ・プログラム(RSP)第2回勉強会
1.テーマ
ジェノサイド
2.開催日
2017年7月8日(土)
3.報告 <FBでもご覧いただけます>
RSPでは7月8日、東京にて第二回勉強会が行われました。今回は、スタディプログラムのメインテーマの一つでもある「ジェノサイド」について。おそらく多くの人が、「あんなに悲劇になる前に、国連が介入して止めれば良かったのに」と思ったことがあるのではないでしょうか。
当時の状況を理解するために、まず、国連平和維持部隊司令官のロメオ・ダレール氏、ルワンダの首相、大使、メディア当局、米仏の大統領など、当時の重要人物のスタンスに基づきロールプレイングを実施。「ルワンダで起きていることをジェノサイドと認めるかどうか」ということから各アクターの見解が分裂し、また「国際の平和と安全の脅威」でなければ介入すべきではない、との当時の国際社会のルールの中で、いかに国際社会が介入してジェノサイドを止めることが難しかったかを体感しました。
コフィ・アナン事務総長の「ルワンダでのジェノサイドを防げなかったことは、国際社会にとって最大の失敗と言えるだろう」(2005年)との発言がありますが、まさにこの時の経験が、国際社会の介入に関する大きな転換点となります。その後、NATOのコソボへの軍事介入に見られる「人道的介入」の概念や、2000年頃に国連を巻き込んだ形で介入するために提唱された概念「保護する責任」など、現在に至るまでの国連の考え方の変遷を辿ります。何故私たちは介入を行うのか、どういった考えのもとに介入が正当化されるのか。今後も変わっていくであろう国際社会の潮流とともに、常に考え続けていく必要があります。
後半は、「ジェノサイド後の和解について」。100万人もの人が犠牲となった一方で、100万人もの人が虐殺に加担し、20万人もの人が実際に殺戮行為を行った、とも言われています。政府による言論統制や歴史教育の変化、民間人によるガチャチヤ裁判など、これまで実施されてきた数多くの和解プロセスとその意義や効果について出た様々な仮説を、現地渡航に活用していきたいと思います。
(広報班 まりえ)
4.メンバーの感想 <FBでもご覧いただけます>
第2回勉強会のテーマは「ジェノサイド」でした。
今回の勉強会で最も忘れられないのは、当時の状況を理解するために行ったロールプレイングです。小グループに分かれ、PKO部隊司令官のロメオ・ダレール氏、PKO担当国連事務次長、大使、メディア当局、米仏の大統領など、当時の重要人物の立場に立って、当時の状況を再現してみました。
私が演じたのは、PKO部隊司令官のロメオ・ダレール氏でした。彼は、これから起こるであろうジェノサイドに関する情報を入手し、そのジェノサイドを止めるには、PKO要員を5000人に増員することと武器の押収が必須と判断します。
このロールプレイングで私は、なりふり構わずPKO要員の増員や武器押収の許可・協力を国連・アメリカ大統領などに求めていました。目の前で起こるであろうジェノサイドに対して、できることは何でもしよう、と思ったのです。しかし各アクターからの反応は、ルワンダの状況に対して消極的なものが多かったです。というのも、当時の国際法では国際の平和と安全に対する脅威でなければ国際社会は介入することができなかったからです。簡単に言うと、ルワンダの問題はあくまで「一国の中での問題」として認識されていました。そんな中で私は、増員要請と武器押収の許可という同じ主張を何度も繰り返しましたが受け入れられず、非常にもどかしい思いをしました。
さらに、(ロールプレイングの後に指摘していただいたことですが、)ダレール氏はそもそも、国連安全保障理事会の決定を受けて動く事務局の一員でしかなく、PKO要員の増員や武器の押収の許可といった要求自体が彼に与えられた権限を逸脱するものだったようです。与えられていた権限を越えて要求していたことと、現場の人間に権利が与えられていないということ両方に、もどかしさが膨らみました。
今回のロールプレイングを通して、その時の状況やアクターの心理は再現してみると身近に感じられるということを改めて実感しました。私一人で文献を読んでいるだけでは、これほど深堀りして各アクターの状況・心理をひしひしと感じとることはできなかったでしょう。そして同時に、当時の国際社会がルワンダに介入することが、如何に難しいことであったかを痛感しました。「国際の平和と安全の脅威」でなければ介入すべきではない、という当時の認識の中では、ルワンダへの介入はそう簡単には進まないことだったのです。
ロールプレイングの後の解説で、国際社会はルワンダのジェノサイドを止められなかったことを重く受け止め、「人道的介入」や「保護する責任」といった新たな概念が誕生していったことを社会の流れとともに学びました。概念が誕生してそれが共通認識になっていくというのは、今まで概念をただ享受してきた私にとって新鮮なものでしたし、私が生きている間にも、きっとまた新たな概念が誕生するのではないかという気がしてきました。今後の世界の流れも注視していきたいです。
(広報班 きょうこ)