大村恵実さん
国際労働機関(ILO)国際労働基準局
大村恵実(おおむら えみ)1976年生まれ。東京のミッションスクールで教育を受ける。2000年、東京大学法学部卒業。2002年、弁護士登録(日本国)。 2006年、ニューヨーク大学ロースクールで修士号(国際法学専攻)取得。2007年、ニューヨーク州弁護士登録。NGOアメリカ自由人権協会・女性の権利プロジェクトでインターン。2009年、日本弁護士連合会国際室嘱託弁護士。2010年9月よりJPOとして国際労働機関(ILO)国際労働基準局(ジュネーブ)に勤務。男女同一価値労働同一賃金原則、雇用平等に関するILO条約の履行モニタリングを担当。趣味 クラシックバレエ。 |
Q. 現在されているお仕事について教えてください。
国際労働機関(ILO)の国際労働基準局で、雇用平等に関する条約を担当しています。一言でいうと、各国における雇用平等の確保に取り組んでいます。その根幹となるILOの理念は、ILO の設立文書となった1919年のベルサイユ条約(ILO 憲章)に書かれていますが、「世界の永続する平和」の基礎となる「社会正義」の実現なのです。ちなみに日本の弁護士法1条も、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」と謳っています。
雇用の分野で差別があったり平等が実現されないままでは、個人の人権や尊厳が損なわれ、みなが人間らしく幸せに自己実現しながら生きていく社会が脅かされてしまう恐れがあります。ですから、雇用の平等をきちんと確保することで、働いている人も働いていない人も幸せに生きられる社会を創り、正義を実現する。それが世界の永続する平和につながると考えられています。
具体的には、人種、皮膚の色、性別、宗教、政治的見解、国民的系統(national extraction)または社会的出身(social origin)に基づく雇用・職業上の差別をなくし、平等を確保するILO条約の履行監視(モニタリング)に携わっています。また、各国において、育児・介護休業など家族的責任のある労働者にどのような配慮がなされているか、女性労働力の活用にどう取り組んでいるか、男女同一価値労働同一賃金原則が実現されているか等について、法制、政策や実態の情報収集をし、条約の条文と齟齬がないかを精査しています。
ILOは、労働基準に関してこれまでに189の条約を総会で採択していて、各国が批准した条約をその後きちんと適用しているか等について監視するシステム(履行監視システム)を持っています。なかでも条約勧告適用専門家委員会と、政労使(政府・労働者・使用者)の三者構成からなる基準適用委員会が主なもので、その事務局を務めているのが私たちの部署です。専門家委員会は、各国に対して、必要な情報提供を求めたり、法令の改正など適切な国内的措置を求めたりします。批准した条約について政府が定期的に提出する報告書やその他の情報をまとめたファイルが、毎年9月に部署全体で約1500冊集まるので、それ以降専門家委員会が行われる12月までが一番忙しいです。
Q. 実際に条約があることによって平等が実現していると思いますか?
条約があることですぐに平等が実現するかというと難しいところですね。まずは国による批准が最初のハードルになり得るでしょう。もっとも、「労働における基本的原則及び権利に関するILO 宣言」(1998年)によって、雇用差別をなくすことなど基本的な原則は、条約を批准していない加盟国でも尊重し実現することが求められています。次に批准した後も、条約が国内できちんと適用されているかは別の問題です。そこで、政府が条約の適用状況について報告書を提出し、履行監視システムによって審査を受けることで、この部分は法律が整備されていないとか雇用の平等が確保されていない実態があるといった点を顧みる機会となり、それが法制や政策の進展に役立つはずです。ILOの条約が多くの国に批准され、きちんと適用されるからこそ、雇用平等の実現につながると思います。そのプロセスを信じて仕事をしています。
Q. いつから国際機関を目指されたのですか?
自分がしたい仕事をできる場所をよく考えたらたどり着いたのが国際機関でした。国際機関を自分の職場として意識したのは、今から5、6年前のことなので、決して早くはなかったんですね。JPOのことも、2006年の留学後に初めて知りました。
目指したという表現がよりふさわしいのは、弁護士になることだと思います。中学生のとき、裁判傍聴をする宿題を課されて初めて刑事法廷に行き、味方がないように思えた被告人を護る存在に打たれ、「弁護士ってかっこいいなぁ」と単純に思いました。同じころ、水俣病の公害被害の大きさや、中国「残留孤児」の境遇を新聞やニュースで知り、こういう社会問題に取り組みたいと思うようになりました。
もっとさかのぼると、家庭で「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と教えられていました。キリスト教徒の両親のもとで育てられ、幼いころは毎週一緒に教会に行き、家族や教会の人たちがボランティア活動をする姿を見ていました。そういう意味では、社会で苦しみや悲しみの中にある人たちと共に生きることを志す姿勢は、幼少のころから一貫していると思います。
ILO に就職したことを中学の恩師に報告したら、「初志貫徹ね」と言われました。
Q. 中学生の時から国際的な弁護士を目指していたのですか?
中学生のときは、まったく考えていなかったと思います。国際的な環境にはいなかったですし、そもそも初めて海外に行ったのは大学2年生のときでした。大学の「法と社会と人権」というゼミの旅行で、中国の旧満州地方を訪れ、また、「慰安婦」だった方たちのお話を聴くために韓国へ行きました。自分が経験したことのないような苦しさを抱えながらもひたむきに生き抜いている人たちの支えになりたいというか、かっこいい言葉で言うと尊厳の回復ですけど、そういう方たちが、生きていて良かったと人生を締めくくれるように貢献したいと思いました。
Q. 学生時代について教えてください。
よく遊び、よく議論する学生でした。中高時代はオーケストラ部に入っていました。まったく上手ではなかったのですが、トランペットを吹いていました。私は子どもの頃からミュージカルがすごく好きで、大学時代は、歌のサークルに入って、日本の地方の子どもたちにオペレッタを届けるプロジェクトのリーダーをしました。またボランティアのサークルで、脳性麻痺の方の生活介助を泊まり込みでする活動もしました。あとは、よく飲んで語りましたね。男性ばかりが集まって政治を語る会にも参加したりしていました。そのとき、自分はあまり政治について考えていないな、男女で話すテーマが違うのかなと感じました。やんわりと男女平等を意識し始めたのかもしれません。でも興味関心が違うと決めてしまって議論できなくなるのは残念です。男性も女性も、政治も教育も子育ても議論するのが理想ですね。
性格は不器用なほうで、回り道も多いです。でも、楽観的なところもあり、根拠のない自信も大事と思っています。大学受験の時、この根拠のない自信で現役合格すると思っていたのですが、不合格になりました。10代でそんなに大きな失敗を経験したことがない中で、大きな挫折だと当時は思いました。ところが浪人時代にできた友人たちは一番結束が強く、今でも仕事のことや人生の細かい悩みを相談するのは彼らです。そのときの経験から、失敗すると良いことが待っているというか、挫折経験からかけがえのないものを得られることを学びました。たとえ失敗しても、だからこそ、その後もっと良い機会に恵まれたりするので、諦めないで失敗を乗り越える経験は大切ですよね。
Q. ILO以前にはどのようなお仕事をされていたのですか?
私を含めて6人だけの小さな法律事務所で弁護士実務に就いていました。国内外を問わず人権擁護の第一線で活躍する先輩弁護士たちと一緒に仕事をさせていただいたことで、自分の進むべき道が明らかになりました。過労で亡くなった方の遺族を代理し、長時間労働や職場のいじめの問題に取り組んだり、育児休業を申請したら雇止めされた人や、職場のセクシュアル・ハラスメントで仕事を辞めざるを得なくなった人を代理して、男女の雇用平等確保の訴訟に携わったりしました。振り返ると弁護士時代は楽しかったですね。もちろん大変なことはたくさんありました。私はどうしても依頼者の気持ちに共感し過ぎてしまうので、職業人としての感情の距離を保ちなさいと先輩からよく注意されたものです。
その後、同じ事務所の先輩で、国連の条約機関である女性差別撤廃委員会の委員を務める林陽子さんから影響を受けたことと、中国「残留孤児」、原爆症認定といった政策形成訴訟の弁護団に参加する中で国際人権法を勉強したいと思うようになり、ニューヨーク大学ロースクールに留学しました。第一人者の教授陣の下で国際法を学ぶことができましたし、ニューヨークという場所柄、本当に多様な国々から来ていた同級生たちと国際人権課題を語りあったり、バレエやオペラを見たり、充実した留学生活を過ごせました。
ILO での私の仕事は、政府報告書など書面から得られる情報をもとに行っているわけですが、依頼者の声を直接聞き、法律の適用に絡む問題点を見てきた日本での実務経験があるからこそ、書面の背景にある事情に思いを致し、より的確に争点の把握ができるのではないかと思っています。
Q. JPOとしてILOで勤務するにあたって、難しい点、それを克服するために特に努力されたことはありますか?
ジュネーブ本部にあって圧倒的マイノリティーのアジア人という環境の中で、アジア人であり日本人であることを常に意識しながら、その存在意義を主張していくことは難しかったですね。まず、仕事でフランス語が使われることがかなり多いことで苦労しました。私のフランス語はジュネーブへの赴任が決まってからabcから習い、今ようやく中級なのですが、部署ではフランス語使用者がほとんどで、会議も白熱してくるとフランス語になってしまいます。同僚たちとランチのとき、最初は私に気を遣って英語でも、最後はフランス語で笑い合うこともしばしばあります。英語使用者の中には不快感を示す人もいますが、私は会議もランチも懲りずに喰いついています。
また、職員の地域バランスの重要性について、機会があるごとに同僚たちと議論することを心がけています。各国の分担金の割合に比べて職員数が少ない(under-representative)問題について、特に職員数が過剰な(over-representative)国出身の人は、自分たちのポストが少なくなってまで解決すべき問題とは思わない傾向があるでしょう。国際公務員は、国家的利害から公平中立であることは当然の前提としても、アジアの価値観を国際機関の運営に反映させることの重要性を考えたとき、そのことを代弁できるのはやはり自分たちしかいません。たとえば「フランス語もできないし、自分たちより能力はないが、under-repを改善するためにはやむを得ない」からではなく、「優秀なアジア人がやはり組織に必要だ」と思ってもらえるように、努力をしてきたつもりです。
具体的に、直属の上司が評価してくれていると思うのは、きちんと計画を立てて、段取りよく物事を進める能力でしょうか。あとはどんな些細なことでもきちんと全力を出し、誠意を尽くすことです。また、今の部署では法律が共通言語なので、日本の法曹界で評価される能力は国際機関で評価される能力と近いと思います。きちんと交渉する力であったり、条文を見た時に何が問題となり何を議論しなければならないのかを見分ける力が大事ですね。
Q. 国際機関で働くことの魅力は何でしょうか?
ILOジュネーブ本部だからかもしれませんが、ワークライフバランス(WLB)を実現することが重視されるので、プライベートの時間が確保されることです。そして、国際的な視座に基づく情報量の豊かさです。
日本で所属していた法律事務所は自由で多様な働き方が尊重されましたが、女性の比率がわずか11〜12%(2002年登録当時)という弁護士業界全体としては、「仕事中心の毎日を送ってようやく一人前」とみなされる雰囲気はまだ否めない状況でした。
WLBというときのライフは、育児・介護など家族的責任のある人もそうでない人も含めていますが、WLBを実現していることが重視される雰囲気は、好ましいなと思います。国際機関で働く人々の間に多様な価値観があり、多様なライフスタイル、多様な家族のあり方があるからこそだと思いますね。ILOが目標として掲げるディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)は、WLBが実現してこそだと信じています。
もう一つは、国際機関にいることで入ってくる情報の多さと豊かさです。国際人権、国際政治、外交の専門家たちが集まるところにいるからこそ触れることのできる生の情報、刺激はかけがえのないものです。たとえば、女性差別撤廃委員会(CEDAW)で司法へのアクセス(access to justice)が議論されることになったとき、私は、「ILOも議論過程に関与する必要がある」と上司を説得し、CEDAWへのレポートの提出と口頭意見陳述を担当させてもらいました。国際機関内部にいるからこそ、国際舞台で何がキーワードになっているかを敏感に察知して議論に積極的に関与できる側面があります。ILO代表としてCEDAW会議に出席した経験を通じ、ILOのような国連専門機関が、その専門性を国連本部組織に還元する重要性も感じましたね。
Q. 今後のキャリアの展望について教えてください。
自分が取り組みたいことができる場所であれば、どこでキャリアを積んでもいいと思っています。今のILOの仕事はすごく好きですし、平等の実現という重要なテーマに携わることができているので満足しています。自分が自然に笑顔でいられることにはとても感謝していますし、理想を語れば皆が笑顔で生きられるような仕事をしたいです。労働は、自己実現の手段としても、また成熟した社会を創りだすためにも重要な価値だと思うので、そこに常に関わっていきたいと思っていますし、男女平等の課題にも取り組み続けたいと思っています。
Q. お休みの日は何をされていますか?
仕事とプライベートはきっちり分けています。休みの日はバレエを見たり、バレエを習っているのでレッスンの準備をしたり、旅行したりしています。舞台は非言語表現に切り替わる瞬間が好きなんです。好きなバレエの作品は、ラ・バヤデール(インドの舞姫)です。他方で言葉の持つ力でしょうか、言語を学ぶことでフランス語圏の文化に惹きこまれるようになりました。フランスの小さな街の美術館や博物館を訪れたり、建築を見るのも好きですね。
Q. 現在取り組んでおられる分野で日本ができる貢献についてどうお考えでしょうか?
これはILO職員としてではなく、私個人の見解に過ぎませんが、重要なILO条約を批准し、法制・政策を整えるのみならず運用面でも条約を実施している範となること、それによって国際社会で日本のプレゼンスを高めることができるのではないでしょうか。
まず、日本は雇用平等に関する条約である111号条約や労働時間に関する一切の条約を批准していません。日本が批准している100号条約(男女同一価値労働同一賃金条約)についても、労働基準法が男女同一価値労働同一賃金原則を明記しておらず、労働基準法も男女雇用機会均等法もこの原則を適用するかたちで運用されていない点について、ILO条約勧告適用専門家委員会などから繰り返し指摘されています。また、156号条約(家族的責任を有する労働者条約)に関していえば、国内で様々な政策が立案されていますが、待機児童の解消など現場レベルでの課題はたくさん残っていると思います。
弁護士実務に携わるなかで、また友人たちと語り合うなかで、法案作成や政策立案に携わる人たちの悩みも、使用者、労働者それぞれの側の声も聞く機会があります。答えは容易に出ませんが、特に近年、女性労働の活用や男女間賃金格差について日本のマスコミでも多く取り上げられるようになり、関心の高まりを感じます。労働政策も労働現場で起こる課題も、私たちが日々いかに幸せに生きられるかに密接にかかわっていると認識し、対価を得て働いているか否かを問わず一人ひとりが議論に加わることが大切ではないでしょうか。それが日本の国際社会への貢献を結果的に導くと思います。
Q. これから国際機関を目指す若者、グローバルイシューに取り組もうと考えている若者にメッセージをお願いします。
3つあります。
@ 交渉技術、説得技術を意識して身につけること
A 人との比較ではなく、自分の個性を理解し、自分の人生を肯定すること
B 自分の人柄を受け止めてくれる人間関係を大切にすること
組織の中で重要な仕事を引き受ける、意見の対立する相手と協調してうまく仕事を進める、断るべきときにはのちに影響を与えないかたちで断る。これらにはすべて交渉技術、説得技術が必要で、そのときに、「私はこうしたい」ということだけをいくら熱心に伝えても、進展しないと思います。相手にとってベネフィットは何か、相手が譲れないラインはどこか、自分が譲れないラインはどこか、冷静に分析して戦略を練ることが必要です。「これは譲れない」と相手が言っているラインが本当に譲れないものなのか、何を交渉材料にすれば譲ってもらえそうか。また、自分が譲れないと思っていることでも、その理由を突き詰めて考えると、この条件下なら譲ってもいいと思うことが見えてきて、おのずと「落としどころ」が浮かび上がってきます。
弁護士だからこういった思考パターンを身に着けたという面はあります。一見、常に対立的構造を意識することを薦めているように見えるのですが、上司や同僚、カウンターパートなどとのちょっとした会話も、この思考パターンがあると、かえって衝突は少なくなると思います。
二点目ですが、たとえば国際機関では、どんな仕事を割り当てられるか一つを取ってみても、努力だけでは埋められない、自分ではコントロールできない要素が強調されて見えることがあるかもしれません。そんなとき、「あの人は生まれながらにして才能に恵まれているからうまくいくのだ」、「自分はあんなに社交的でないから無理だ」などと、ただ羨んだりあきらめたりしてしまいがちです。でも、人それぞれに育った国も環境も、能力も性格も違うのは当然なので、人との比較ではなく、強みも弱みも自分の個性を理解しありのままに受け止めて、これまで積み重ねてきた生き方を肯定する気持ちが必要だと思います。
「なにがあろうとも幸せに生きてこられた」と自分の人生を好きになるからこそ、多様なバックグラウンドの誰かの生き方を尊重でき、さらにはグローバルに平和や人の幸せを実現したいと願い、そのために全力を尽くすことができると私は思います。だからこそ、世界中の人が笑顔になれるようにすることを未来の目標にできるのではないでしょうか。
最後の点は、ネットワーキングの重要性がよく語られますが、たとえば国際機関関係者や同じ課題に取り組む人たちとだけ人間関係をつくろうとするのではなく、自分とは全く違う分野で仕事をしている仲間たち、子育てに奮闘している青春時代からの友だち、趣味を通じた友だち、人種、国籍、性別、宗教、年齢・世代などを問わず、深く強固な人間関係を持つことを大切にしてほしいです。また、仕事を通じた人間関係も、いわゆる能力だけではなく、人柄への信頼をもってもらえるよう努力することも大事です。
グローバル・イシューに取り組むからには、想像もしなかった困難に直面する可能性は否定できません。私自身も、この3年間で、今までの人生で経験したことのない驚きに何度か遭遇しました。そんなとき、多様な人間関係で得た知見や、もっと深いところの連帯感のようなものが、ふっと活きてくる瞬間がある。それは、単に「役に立つ」とか、先に述べた「交渉技術」ということを超えた価値なんですよね。いざというとき、悩みを解放し、自分を笑顔に戻すのは、目の前の利害とは無関係に築いてきた、人と人との温かいつながりではないでしょうか。
2013年4月9日、ジュネーブにて収録
聞き手:唐澤由佳、ヴィット・ユリー、桐谷純子
写真:瀬戸屋雄太郎
プロジェクト・マネージャ:田瀬和夫
ウェブ掲載:田瀬和夫