ミャンマー・スタディ・プログラム - 振り返りエッセイ「No.1 中原隆伸」
「長」の醍醐味 (10年後の自分に向けて~MySPで見たこと、考えたこと、学んだこと)
所属:INTERSOS
MySP担当班:MySP実行委員長
2013年の年末に2014年のスタディ・プログラム実行委員長就任のお話を頂いたとき、第一に思ったことは、「俺にはまだ早いか?」ということだった。正直に言っていずれやりたいという野心は前からあったのだが、現地渡航の肝ともいえるロジをやった経験もなかったし、何よりMySPでいう「タスクフォース」のような、スタディ・プログラムの運営側としての経験は全くない。それでも、「NOW or NEVER、今頂いているお話を逃したらチャンスは二度と巡ってこないだろ!」と思って、お受けする事を決めるのに、そんなに時間はかからなかった。
結果的に、この決断がきっかけで、私の2014年は大きく変わった。仕事以外のほぼ全ての時間を注ぎ込んだと言って過言ではないと思うし、正直言って気の休まる時はほぼ無かった。CSP、MSPの時は、自分なりに非常に積極的に参加したつもりではあったが、それでも委員長としての参加とは、まさに立っている土俵が違う感覚である。全部門の活動を把握しつつ、何かあった場合は最終的な道義的責任を負う、というプレッシャーの中、仕事後数時間、日曜は日によって朝から晩まで時間をつぎ込んでいた。
結局、それだけの価値はあったのだと思う。何よりの証拠がヤンゴン最終日、全体での振り返りミーティング。みんなの配慮で最後の順番にしてもらった私は、個人としての感想を言い終え、委員長としての感想を言おうと思った瞬間、なぜか声が裏返っている自分に気づき、狼狽した。いろいろな思いが凝縮された、本当に熱い一瞬。このひと時のために、自分は頑張ってきたのかな、と思える瞬間だった。
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それがどんな「長」であれ、「長」と名のつく立場にいる人は、それなりの責任を負い、それなりのものを犠牲にしなければならない。その代わり、きっとなにがしか得るものがある。自らを成長させたければ、チャンスが来たら逃がすな、機会をつかんで自分をジャンプさせろ。そんなことを学べた1年だったと思う。
それともう1つ。いかなる時も、感謝の気持ちを忘れず、謙虚に人の教え、助けを乞うことの重要性も感じた。海外にいることで日本でのみんなと直接会えないというハンデを見事にサポートしてくれた人がいた。タスクフォースの時は3週間の長きにわたり仕事の出張でメールチェックできなかった時もあったが、他のタスクフォースメンバーがカバーしてくれた。仕事の関係とはいえ、ひとりの面接にも参加できなかったふがいなさに、委員長を続けてよいものか、懺悔したことがある。そんな時、相談した人は笑って励ましてくれた。それとは別に、一度だけ気持ちが7割ほど折れた時もある。メールで思わず愚痴ると、すぐさま返信が来て、勇気づけてくれた。
そんなふうに、いろいろな人に支えられての委員長だったから、いろいろな苦労をみんなのサポートで乗り越えての現地渡航クライマックスだったから、みんなに対しての感謝の気持ちで、目頭が熱くなったのだと思う。
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10年後、2025年1月の自分へ。どんなポジションにいるかはわからないけど、ヤンゴンで目頭が熱くなった時の純粋な気持ち、この気持ちを忘れず、常に人の意見に謙虚に耳を傾け、素直に感謝できる人であってほしいと思う。 そして、あなたの背中を見ている人がきっといるだろうから、そういう人に見せて恥ずかしくない背中であってほしいと願っています。
2015年1月の自分より。