ミャンマー・スタディ・プログラム - 振り返りエッセイ「No.5 波多野綾子」
「10年後のグランド・ラインへ向けて~MySPで見たこと、考えたこと、学んだこと」
所属:東京大学大学院
10年後、2025年の世界のどこかにいる(であろう)自分へ、とりあえず、今の自分には10年後がリアルによくわからないので、10年前の自分を思い出してから、考えて見る。
1.現在から10年前の自分へ
10年前の自分と今の自分が変わっているかと問われれば、あまり変わっていないような、とても変わったような不思議な気持ちになる。10年という月日は、言葉にすると長いようにも思えるが、過ぎてしまえば一瞬のようにも感じる。
それはこの10年を、時に生き急ぐように、振り返りもせず、駆け抜けたからかもしれない。大きな戦略や小さな計画を描いては見ても、一寸先は闇、何が起こるか分からない一瞬一瞬に一生懸命で、その中で喜んだり、悲しんだり、笑ったり、泣いたり、助けたり、助けられたり、傷つけたり、傷つけられたり、達成感で満たされたり、無力感に絶望したり。
小さい頃の自分は本当に臆病だった(今もそうだけど)。跳び箱を飛ぶ前に立ち止まってしまう自分。目に見えない矢印にしたがって行けば、トラブルは起きないという模範解答や既定路線を感じることはできた。でも、自分にはできないから、興味がないから、そんな言葉で自分を定義づけて、臆病な自尊心を抱えた小さな世界の王様でいたくはなかった。そして、おそらく単純にいえば、「情熱」に正直に生きたかった。自らの意思もなく、夢もなく、兵士として生きて死んでいく子どもや、受け入れがたい圧倒的な暴力に、ささやかな生を蹂躙されていく人々がこの世にいること。不勉強な自分には理不尽に満ちたこの世界がなぜそうなっているのか、どうしたら、この痛みをなくすことができるのか。そんな自分の中の疑問と情熱を信じて、小さくなりたがる自分の背中を押して、少し広い世界に冒険に出た。
怪我をすることが怖くても、少しでも可能性があるなら、成長できると感じるなら、挑戦する方針で。迷ったら困難な道を選ぶ方針で。10年、とにかく、尽きない好奇心のまま、色々なことに挑戦し、様々な人と交流し、多分野の読み物を見聞きし、読み、書き、議論し、経験し、たくさんの失敗を踏んで、自分の輪郭がだんだん見えてきた。昔の自分、そしてこの10年に自分が触れあってきたたくさんの、様々な本や人々の、一つ一つの記憶や経験が自分を形作ってくれている、と感じる。中でも、MySPで出会った一人一人が、大きな情熱と力に満ちていて、ここで感じたものは10年後の自分の大切な一部になっていると思う。
2.MySPから10年後の自分へ
今回のMySP、「スタディ」プログラムで、今の自分が、学びたかったものは何か。応募時に掲げた目的は二つ。(1)ミャンマーの現実と、(2)プログラムに来る人との化学反応。
(1)に関しては、根本先生[1]の勉強会の企画・開催、研究・保健班でのミャンマーの人権をテーマにした勉強会の企画・実行を行うことができた。その準備や本番を通して、自身も非常に学ぶことが多かった上、様々なバックグラウンドをもったメンバーを相手に、フレームワークをいかにわかりやすく伝えるか、また同時に枠組みの妥当性そのものについて、ゼロベースで検討することがいかに難しいかを実感した。しかしそれは、けして楽ではないけれど、ある意味でとても楽しいプロセスであることも分かった。10年後の自分、蛸壺に、陥らないこと。いつも、素朴な疑問を忘れないこと。わかった振りをしないこと。動きながらも考え続けること。そして伝え方に、細心の注意を払うことを忘れないように!
他方、実際に渡航がかなわなかった自分は、生の「現実」については、この眼と体で見ること、触れることができなかった。しかし、このプログラムに参加した人々を通して、ミャンマーの現実の形の一部を見せてもらうことができた。それは、とても感性豊かで様々なバックグラウンドをもつ、このプログラムでしか見ることができなかったものかもしれないと思う。MySP終了後の座談会で、今の自分は、MySPを一言で表すと、「平」である、と言った。地平線のように、見渡しのいい、フラットなコミュニティ、そして、出身・性別・年齢・専門もばらばらの多様な人々が集い意見を交換(ときにはぶつけ合い)しながらも「平和」を共有している場。コミットすればするだけ得られるものがある。逆に、自らコミットしなければ、そこには学びや化学反応は生まれない。このコミュニティでたくさんの人の生き様(というと少し大げさかもしれないけど)を見て、学んだことがある。人間は、結構やろうと思えば、できる。だから、10年後の自分へ。限界を自分で設定するな。それから、一人で抱え込もうとするな。頼ることを、恐れるな。周りは自分が考えているより、包容力も優しさもある、できる人がたくさんいるんだから。
[1] 根本敬:上智大学教授。ミャンマーの現代史を研究し,『物語ビルマの歴史 王朝時代から現代まで』中公新書(2014)、等の著書がある。
3.結論
今まで走り続けることで、大きな教訓を得たこともあるけれど、見過ごしてきたもの、失ったものもあるのだと思う。10年前の自分と今の自分は変わったようで、あまり変わっていないので、10年後の自分は相変わらず、臆病で不器用で、表現下手かもしれない。でも、10年後、もう少し、今自分が震えるほど怒りを感じていることの解決に今より深く、コミットできる人間になっていたい。そのために、大切なものを見極めること、そして大切なものは、陳腐なプライドや短気に支配されず、簡単に諦めずに、本当に大事にすること、育て、コミットし続けること。2015年1月の自分から、10年後の自分に。海賊王にならなくてもいいけど、宝物でいっぱいの世界を分かち合いながら、諦めずに楽しく、航海し続けていますように。