ルワンダ・スタディ・プログラム - 報告書「2.12.国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR) 難民キャンプ」
1.訪問先
UNHCR Rwanda ギヘンベ・キャンプ
2.該当テーマ
難民
3.参加者所感
- 難民キャンプの視察は子供達の笑い声が溢れ、キャンプとは思えなかった。
- コンゴから逃れて来た方々が住む20年の歴史を持つ難民キャンプを訪問した際は、キャンプ内で産まれた可愛い子供達に髪を引っ張られながら、第三国定住のためアメリカに向かうバスを見ながら、「人権」って何だろうって考えた。
- 2,200mという標高の高い場所にあるギヘンベ(難民)キャンプ。この場所は、天気次第でその顔を大きく変える。私たちが訪れた当初は曇り空で、舗装されていない道路からは土けむりが立っていた。道は急でデコボコしていたが、とはいえ歩くのも問題なく、難民の住居となる、日干しレンガでつくられた家もどっしりと心強く見えた。その場所が急激に様相を変えたのは、私たちがbriefingを終えて実際にキャンプを視察している時だった。突如、バケツをひっくり返したかのような大雨が降ってきて、私たちは急いで屋根のあるところに避難をした。雨が降ったのはおそらく15分程度だったが、雨が上がった後にまたキャンプを見て回って驚いた。先ほどまで私たちが歩いていた場所は川のようになっていて、難民キャンプの立つ急坂を激しく流れ落ちている。足を滑らせて坂を転げ落ちたら、命の保証はないだろう。こんなに危険と隣り合わせの場所でさえ、彼らが生まれた場所よりもずっと安全なのだ。難民の置かれている状況の険しさに眉をひそめる一方で、難民キャンプで私たちを取り囲んでくれる子どもたちの底抜けの明るさには思わず頬がゆるんだ。私たちはとかく、自分と比較して幸せを相対化してしまう。教育が受けられないこと、衛生面が悪いこと、そういった点で不幸を無意識に決めつけてしまったいまいか。もちろん、人間の尊厳と一人一人のもつ可能性を最大化するという点で、それらの課題に立ち向かっていくことは非常に重要であるし、そこに国連の役割と意義がある。だが、支援を受ける側の人たちが不幸かというと、必ずしもそうではない。彼らは自分の置かれた状況で、自分の幸せを全うしようとしている。そこに幸せの大小はない。そんな当たり前のことを、改めて気付かされた場所だった。