ルワンダ・スタディ・プログラム - 報告書「2.13.国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR) 都市難民」

写真①
写真②

1.訪問先

  • 国連難民高等弁務官事務所(the office of the United Nations High Commissioner for Refugees)
  • キガリ周辺都市部の難民支援サイト

2.該当テーマ

難民支援、国内避難民支援、保護、人道支援

3.組織概要(事業目的、ゴール等)

UNHCRは、1951年に採択された「難民の地位に関する条約」に基づき、政治的等の理由から国を亡命した難民の支援を行うために設立された機関。緒方氏がトップを務めた1990年代以降、国境を越えてこそいないが難民と同様住んでいる土地を追われた国内避難民(IDP: Internally Displaced People)も支援の対象とするようになる。

4.ブリーフィング、プロジェクト訪問において説明された内容・質疑応答の詳細

まず事務所にて、当面に必要な生活のサポートだけでなく、「持続可能な支援」の一環としての初等・中等教育、大学進学のサポート体制の確立など、多岐に渡る支援概要について説明を受けた。その後、悪天候にも関わらず集まって頂いた都市難民の方々に質問をさせて頂く機会を得た。

5.参加者所感

  • 政治難民として単身ブルンジから逃れてきた難民の方は、家族や恋人と連絡を取りたくても、使用した番号を追跡されると身の危険が脅かされる可能性があるため、未だに連絡することができていないとのこと。「会社のオーナーだった祖国での暮らしに比べるとないものばかりだが、ルワンダの人たちは本当に良くしてくれている。今後叶うのであれば大学院に進学したいし、ここルワンダでも起業したい。」と未来に向けて歩もうとする姿勢が印象的だった。
  • 虐殺が繰り広げられている最中、国連すらも介入を諦め「見捨てられてしまった」経験があるルワンダ。その平和に対する意識は難民への救済にも現れていました。周囲がブルンジやコンゴなど紛争国に囲まれているため多くの難民がルワンダに押し寄せているなか、UNHCRやWFPをはじめとする国際機関のオペレーションにより彼らに出来る限りの保護を施していました。インタビューした方は生きる希望すらない、という悲しみを抱えており、明日がどうなるかわからない中で、それでも必死に生きている。彼らの瞳からはその生の強さを感じました。
  • 「もう二度と祖国には帰れないと思う」と言ったコンゴ民主共和国(DRC)からの難民の方の悲しそうな顔と、FGMサバイバーであり、妊娠中の若い都市難民の女性は「家もないし、寝る場所もない、妊娠しているけど病院に行くお金もない」と静かに感情のない声で声を絞り出すようにして話をしていた姿は二度と忘れないと思う。それを見たときにどうしてこんな理不尽なことが起こりうるのかと、本当に信じられない気持ちになった。けれどもそんな状況の中でも彼らを支援しようとする現地NPO,UNHCRの人々もおり、自分もきっといつか極限状態で困難な状況にいる人々の力になれるような人物になりたいと思いを新たにした。