ミャンマー・スタディ・プログラム - 参加者紹介「第17回 土井薫さん」

「本日のお寿司」

所属:慶應義塾大学商学部3年 国際経営論・経営戦略論・イノベーション論

MySP担当班:企画・広報班

写真①

私が「MySPに参加したい!」と思った経験について、自分の頭の整理も兼ねてお話しさせてください。

イントロ:「僕は日本食の中でお寿司が一番好きです。」

私は母方の祖母が住む茨城県水戸市に生まれ、生後1年半で父親の仕事でアラブ首長国連邦に移り、4年後日本に帰国し、4年半後ジンバブエに行き、2年半後に南アフリカ、2年後にニューヨーク、4年後に日本に帰国し、今3年経ちました。

この上の住んでいる場所の変遷を見る限り、1つ間違いなく言えることがあります。お寿司のネタのような人生だな、と。

何を言っているんだ?それはどんな意味があるんだ?ふざけているんじゃないか!?と思われる方もいるかもしれませんが、実は、私もどういう意味があるのか良く分かりません。ふざけています(笑)。

ただ、自分が住んできた場所だけを見ると、全部偶数年住んでおり、まるで2貫ずつ並べられるお寿司屋さんのようだな、と素朴に思っただけなのであまり突っ込まないでください。

ただ、そんなふざけたことを言わない限り自分「土井薫」の説明があまりうまくできない状態で今まで過ごしてきてしまっています。

人間はおそらく住んでいる環境や、周りにいる人たちから影響を受けることによって多かれ少なかれ成長し、自分が誰なのかということを社会的に見て判断していくのだと思います。

しかし私は同じ場所に長く住むことも無く、移動する時は全く違う環境に移り住み、違う人たちに囲まれてきたため、同じ社会的指標で自分の存在を確認することができずに、今日までのうのうと生きてきてしまいました。

そのため、住んでいる地域によって素行が変わっていたり、周りの人たちとの付き合い方に違いがあったり、良く言えばカメレオンの様にその場所に同化し、悪く言えば環境に影響され流されながらのらりくらりと今まで生きてきました。

いや、正確に言うとカメレオンの様に生きてきたと「思っていました」。

そのためいつも自分が誰なのか良く分からないまま、とりあえずその場所に自分という存在を見つけるために一所懸命に頑張って来たのだと思っていました。

しかし、先ほど言った通り、これは自分がそうだと思っていただけで、実は違ったのではないかという仮説が最近浮上しました。

体験:「Who est 私」

いかんせん、昔からぴょこぴょこ色々な場所に動いていたために一般的に言う「幼なじみ」なるものを私は持っていないのだと思います。しかし日本に住んでいた時に僕の人生の2貫分(4年間)一緒に学校に通った「古き友」なるものはありました。

その「古き友」の1人にFacebookで見つけてもらい、10年ぶりに会うことになり、さらに他の「古き友」達も誘って、軽い同窓会を開いてもらうことになりました。

私としては10年ぶりにみんなに会うわけで、自分の変化を快く思ってもらえるか、幻滅されないだろうか、と実はかなり不安になりながら会に向かいました。

久しぶりにあった友達は多くの部分で、自分の知らない人たちになっていました。一緒にサッカーをやっていた友の中にはいまだに続けている子もいれば、タバコを吸っている子もいました。一緒にテレビゲームをやっていた友の中にはひょろっと長身になっている子もいれば、キラッとイケメンになっている子も。

しかし、いざ「古き友s」に会ってみると、ほとんど違和感無く会話をすることができ、最高に楽しい時間を過ごすことができました。大きく笑い、お互いの変化を笑い、お互いの人生の話でまたまた大きく笑いました。

「なぜこんなに楽しい時間を過ごすことができるのだろう?自分もみんなも大きく変わり、かなり大人になり、でっかくかっこいい人間になったというのに・・・」こんな疑問が自分の頭の中でプカプカと浮かんでいました。

すると、いつもテレビゲームを一緒にやり、ゲームボーイのドラクエ3の序盤のボスキャラ:カンダタを倒せずに、毎日カンダタを倒すための戦略を話し合っていた友に、「ドイって昔とほとんど変わってないよね」的な言葉を頂きました。(記憶力が悪いため、かなり上方修正されている言葉になっているかもしれませんが悪しからず)

この一言によって自分の心にある家の中でずっとそこら中に散乱していた迷いやら不安やら恐れなどの考え達がガバーッと押し入れの中、もしくはその近辺まで寄ってくれました。

なんだそんな言葉、お前が単純に小学校の時から成長してないだけだろ?と思う方もいらっしゃるかもしれません。おそらく私は成長していないでしょう。圧倒的に幼稚な精神年齢の保持者だと自負しております。

しかし、こんなどこぞの三流作家も決め台詞として書かないような言葉で、僕の中にあった自分への疑問みたいなモノが少し、ほんの少し整理が付きました。

たぶん私はお寿司みたいな人間なんです。

色々な場所に住み、色々な人たちと生きてきたことによって、色々な自分を持つことができました。その色々な自分というのは、おそらくお寿司で言うところのシャリの上に乗った「ネタ」なのだと思います。

じゃあ果たしてあのネタがあるからお寿司というのか?

いいえ、お寿司をネタだけで出したら刺身やら、天ぷらやら、最近ではハンバーグやらの、全く違う食べ物になってしまうのです。

じゃあ刺身やら、天ぷらやら、ハンバーグやらが、自分たちを「お寿司」として胸を張って宣言できる要因は何なのか?

シャリじゃね?

ということで、お寿司をお寿司と言わせているのは「シャリ」の存在であって、その上に乗っている自由な発想で無限の可能性を持っている「ネタ」ではないのです。

つまりこれを「土井薫」の話にしてみると、土井薫を土井薫と言わせているのは「どいかおる」の存在があって、その上に勝手に乗っかってきたUAEやらジンバブエやら南アフリカやらで得た「経験」ではないのです。

この考えに私は行き着き、なぜ自分がお寿司をこよなく愛しているのかを理解しました。(別に関係は無いと思うけど。)

結論:「ネタのレパートリーを!」

じゃあ長々自分のこととお寿司について語ったけど、これがどう回り回って「MySPに参加したい!」という気持ちになったのか?これが趣旨でしたね。

「自分には変えられない部分と、変えられる部分がある」、ということをなんとなく知りました。=変えられない部分は「自分」なのだと認めて、変えられる部分・もしくは足せる部分が「経験」なのだ!ならば色々経験しよう!と思ったのです!

「結構みんなそういう風に思っていると思うよ。」

そんな声が聞こえてきそうで怖いです。お恥ずかしながら最近やっとしっくりきました。

ちなみにこの考えに至ったのはMySPへの参加が決定した後です。しかも実は結構最近だったりします。

・・・

えーっ!!!!

はい、参加理由じゃないですね(笑)

でもこの考えに至れたおかげで、かなり前向きな気持ちでMySPの準備に当たれるようになりました。

「いやいや、まだ何も君やっていないでしょう。」

はい、まだ何もやっていません。あっち行ったりこっち行ったり、で方向性デロンデロンの迷子です。実際自分がMySPの参加者の皆様に何ができるかわかりません。迷惑しかかけてないです。はい、すいません。

でも前向きになった「土井薫」を見捨てずに、たまに元気付けてもらえると嬉しいです。嬉しいだけで、調子にしか乗りませんが・・・

収集が付かないので話をまとめます。どんな人が参加しているのか良く分からないので、応募の一歩を踏むことができない人もいる、と聞いたので僭越ながら一文だけ最後に。

こんな良く分からない、支離滅裂な私でも許容して、拾ってもらえたりします。なので、一歩目だけでも踏んだら?なんて曖昧なオススメだけします。

このプログラムには人生を変えてくれるような面白く、魅力的な人たちばっかり参加しています。「シャリ」の上に「ネタ」を乗っけたい人はぜひ!

以上、お寿司と土井の意外な因果関係の話でした。