ミャンマー・スタディ・プログラム - 参加者紹介「第19回 小池徹さん」

「私のきっかけ」

所属:筑波大学社会・国際群社会学類4年 政治学主専攻

MySP担当班:ロジ・会計班(地方ロジ担当)

写真①

大学に入るまで、海外へ行ったことがありませんでした。

ただ世界史は大好きで、入学したらアルバイトをして海外に行ってやろうということを漠然と考えていました。

大学2年生の時、夏休みを使って訪れたインドで、中国の弾圧から逃れたチベット難民の暮らす町へ立ち寄る機会がありました。町で会う人々は、一見すると弾圧を逃れ自由を手にしているように見えましたが、実際は口々に故郷への思いを語り、チベット仏教の聖地ラサの写真は町の至るところに掲げられていました。この時が、私が難民と接した初めての経験でした。

東日本大震災後に訪れた福島では、住民の帰還が進まない村の村長が言った「帰村が許可され農地の除染が進んでも農作物に対する風評被害がなくならない限り戻ってくるのは難しい。」という言葉が印象に残りました。これまで海外の話だと思っていた「難民」が身近にもいることに気付かされると同時に、いくら故郷に帰りたいと望んでも、現実問題として生活や安全が確保されなければ、戻ることが困難だということを知りました。

何かできることはないかと考え飛び込んだアメリカの難民支援NGOでは、様々な理由で母国や家族と離れアメリカへやってきた難民の支援に携わりました。そこで見たのは、アメリカでの豊かな暮らしを夢見た難民が厳しい現実とのギャップに苦しむ姿でした。外見だけでテロリスト呼ばわりされる人、交通ルールが分からず警察に捕まってしまう人、母国で大学教授だったにも関わらず仕事が見つからない人など、それぞれが様々な困難に直面していたのです。受け入れ側の限界も垣間見ることがありました。運営資金の制約上、家族以外の難民には個室を提供することができず、時に宗教も言葉も異なる見ず知らずの難民同士でルームシェアをしてもらうこともあったと言います。

彼らの新しい土地での苦労と支援の限界を見る中で、私は次第に彼らの母国の状況に関心を持つようになりました。彼らがなぜ故郷を離れざるを得ないのか、また福島のように、帰りたくても帰れないのはなぜか、受け入れる側ではなく送り出す側の問題も知りたいと考えました。

そうした中で出会ったのがこのスタディプログラムでした。

今回の訪問先はミャンマー。実際に難民支援の現場でミャンマーからの難民を支援してきたものの、彼らの国の状況について私は詳しく知らなかったし、尋ねることも控えるように言われていました。しかし、このプログラムを通じて実際に渡航し、国内非難民キャンプを視察し、現地支援団体に話を伺うことで、彼らがなぜ国を離れなければいけないのか、また現在海外に逃れている人々が帰国できるようになるためには何が求められているのか、今よりも少しでも深く知ることができるなら、と考え応募することに決めました。

プログラムでは、カチン州の国内避難民キャンプやUNHCR現地事務所等を訪問する予定です。渡航中は先に述べた問題意識に加え、現地支援の実務的な課題も学びたいと考えています。
将来の進路は現時点では未定ですが、故郷を無理やり追われる人のいない世界の実現に向けて、直接的或いは間接的に関わりたいと考えています。

以上もっともらしい理由を述べましたが、応募にあたって「国連ってなんかっこいい」「ミャンマー行きたい!」という浅はかな動機が大部分を占めていたことも事実です。

今このページを見て参加を考えている方は、まずはそんな理由でも構わないので一歩を踏み出すことから始めてみてはいかがでしょう。