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コミュニティ主体の開発と外部者の役割〜「地元学」とファシリテーション :
日本とインドネシアの事例から


 

特定非営利活動法人 いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク
  代表 長畑誠(ながはた まこと)さん

略歴

東京都出身。東京大学法学部卒、上智大学大学院国際関係論専攻修士課程修了。1988年からシャプラニール=市民による海外協力の会に勤務し、93〜97年に同会バングラデシュ事務所長。2002年に退職。2004年に仲間とともに「いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク(あいあいネット)」を設立し、同会代表。日本と世界の「地域づくり」の現場を繋ぎ、交流と学びあいの活動を展開するとともに、インドネシア・西部バリ国立公園において周辺住民と公園との共存・協働促進プロジェクトも実施中。(特活)シャプラニール理事、(特活)ソムニード理事。明治大学大学院客員教授。

 

 


1.はじめに
2.ケーススタディ
  2−1.熊本県水俣市頭石の場合
  2−2.
インドネシア・南スラウェシ州レンケセ集落の場合
3.教訓(問題点と分析)
  
3−1.コミュニティの底力
  3−2.外部者の関わり方
4.提言
  4−1.ミクロ面・すぐ実行できること:ファシリテーション技術を高める
  4−2.マクロ面・或は長期的な視点:住民が動き出したら資金を出さない
5.参考文献



 

1.はじめに :
「開発の主体はそこに住む人々自身である」このフレーズは、およそNGO でいわゆる「途上国」の開発に取り組む人であれば必ず口にしたことがあるだろう。「住民参加型の開発」、「コミュニティを主体とした開発」というのは、NGO に限らず、政府開発援助(ODA)関係者の間でも今や日常的に語られ、こうしたフレーズのつけられたプロジェクトがNGO でもODA でも数多く実施されるようになった。

だが、実際の現場で、本当の意味で「住民参加」や「コミュニティ主体」が実現した活動を作るのは簡単ではない。プロジェクトを実施する側(援助機関、NGO、現地政府等)が計画を作った上で、対象地の住民を集めて「これでいいですか、何か意見はありますか」と聞いたから「参加型だ」というようなプロジェクトは論外としても、住民と「参加型」ワークショップをしてニーズを聞いても、果たしてそれが本当に村人の抱える問題に根ざしていたのか。私自身の経験でも、以前バングラデシュで「住民参加型」の貧農グループ組織化を進める中で、「住民が主体的に作った」と思っていたグループが、実は「外からの援助(この場合は井戸やトイレ等の物資や識字学級等のサービス)」を期待して作った」という現実に何度も直面した。それらのグループは、ある程度サービスを受け取ってしまうと、活動を停止してしまうのが常であった。

「どうして『参加型』プロジェクトがうまくいかないんだろう」・・・そんな悩みを抱えていた私に衝撃的な言葉をかけてくれたのが、(特活)ソムニード代表理事の和田信明氏である。氏いわく、「参加するのはどっちなのか?」「コミュニティの人たちの活動に我々外部者が参加させてもらうのではないか?」
私たちは、つねに「開発を促進する外部者の眼」でコミュニティを見ていたのではないか。相手を「貧困で何もできない人々」と見て、コミュニティ自体のもつ歴史や伝統や人々のイニシアティブを見過ごしてきたのではないか。我々外部者は、コミュニティやその住民に対して、どのようにアプローチすればいいのか?

そんな疑問をもちながら、日本の地域づくりの現場を訪問したり、JICAの技術協力プロジェクト「市民社会活動の促進によるコミュニティ開発(インドネシア)」に短期専門家として関わったりする中で、ようやく「コミュニティ主体の開発」について、大切なポイントが見えてきたように思える。本稿では日本とインドネシア、それぞれのコミュニティを事例として、「コミュニティとは何か」「外部者の役割とは何か」について整理してみたい。



2.ケーススタディ:

2−1.熊本県水俣市頭石の場合

約50 年前に発生した水俣病は、その原因であるチッソ株式会社の化学工場が市の経済を支え多くの市民の雇用を創出してきたことから、患者やそれを支援する人々と、他の市民との間に深刻な対立を生み出した。立場の違う人の間で対話が途絶えた状態が続く中で、「対立からは何も生まれない」と気づいた市民や行政は、1991 年、「寄ろ会みなまた」の設立をきっかけとして、「もやい直し」と呼ばれた地域社会の再生を開始した。市内26 の地区ごとに結成された「寄ろ会」では、自分たちの地域にはどんなものがあるか、昔はどんな遊びをしていたか、その場所は今どうなっているか、「あるもの探し」と名付けられた地域の見直し作業を行った。そして「地域資源マップ」とよばれる絵地図を作っていく活動を通じて、各地区の人々は、自分たちが住んでいる地域に当たり前にあった豊かな自然や生活、仕事など、見過ごしていた地域の資源を再発見することができた。


                  写真1:頭石の風景

このように「寄ろ会」を基盤にしてコミュニティの人々が自分たちの地域資源を見つめ直し、暮らしと文化と環境との関係を再認識していくなかで、水俣では「ゴミの21 種類分別収集」「ゴミ減量女性連絡会議」「学校版環境ISO」といった、環境問題に対応した持続可能な社会作りに向けた市民によるさまざまな取り組みが始まり、定着していった。そしてこうした成果を生んだ一連のプロセス、住民自身による地域の見直しとビジョンの形成から具体的な活動作りに至る手法と考え方が、この動きの仕掛け役であり中心的人物でもあった水俣市役所職員の吉本哲郎氏によって「地元学」として提唱された。今、このアプローチは日本各地の地域づくりの現場でさまざまな形で活用されている。

この「地元学」の応用として住民たちが行っている活動として、「村まるごと生活博物館」がある。その一つは、水俣市頭石(かぐめいし)という、市の最奥、鹿児島県との境にある戸数40 ほどの小さな山村にある。ここが水俣市認定第一号の「村まるごと生活博物館」を開始したのは約5年前のことであった。「あるもの探し」を通じて再認識した地域の資源を外の人たちに紹介する、というのがこの「博物館」の内容であり、当然のことながら博物館としての建物は何もない。あるのは看板だけである。地域の食材をたっぷり使った郷土料理の昼食をいただいた後、地域の人の案内で「頭石」の由来となった川沿いの大きな岩や、長年守られてきた石積みによる棚田、昔の道具がいっぱいつまった蔵、地域の水源、山の神さまの祠などを見て回る。こんなシンプルな「博物館」だが、これまでに1000 名以上の人が日本全国から訪れたという。


   写真2:頭石「村まるごと生活博物館」     写真3:頭石でいただく御馳走

地区リーダーの勝目豊氏によると、最初は「こんなものを見に来る人がいるのか」と半信半疑だった。しかし外の人が来て村の自然や生活、食べ物等に関心をもってくれることで、村人たちは「自分では気づかなかった村の良さを認識できた」。今では地域の食材を使った郷土料理を弁当・惣菜として市役所等に届ける「元気村加工所」の活動が、女性たちを中心に始まっている。また訪れた人たちの声をもとに、伝統的な葛かご作りで新しい製品に挑戦したり、地域でとれた食材をもっと使いたいとの思いで新しい農産物作りを計画したり、さまざまな動きが生まれている。勝目氏は、「単なる村案内ではなく、それをきっかけに都市の人々との交流が生まれ、地域の経済が活性化すれば」という願いをもっている。そこには、「高齢化と過疎化が続くこの村に、何とかして若い世代を呼び戻したい」との思いがこもっている。


2−2.インドネシア・南スラウェシ州レンケセ集落の場合

2004年3月26日、インドネシア南スラウェシ州の南部ゴワ県の山岳地帯で、最高峰の一つであるバワカレン山(約2,800メートル)の山頂近くの一部が、突然崩壊した。東京ドームの1000 倍以上と目される土砂が轟音とともにジェネバラン川を滑り落ち、数十キロ下流まで押し寄せ、数百ヘクタールの土地を埋め、33 名が亡くなった。ジェネバラン川沿いでもっとも上流に位置するマニンバホイ村のレンケセ集落(崩落地点から約7キロ下流、標高約1300 メートルにある山村)は、最も被害の大きかった地区の一つである。山塊崩壊とそれに伴う地滑り災害の後、ゴワ県政府はレンケセ集落一帯を立ち入り禁止区域とし、住民の移住を進めようとした。ところが移住先とされた場所は耕地に適さず、多くの村人たちは長年住み慣れたレンケセ集落に残ることを望んだ。もともと、豊かな山の恵みを活かして自給的な暮らしをしてきた人々が、急にそうでない暮らしができる筈はない。しかしそうは言っても、谷を埋めた土砂がいつ動き出すかわからない。山塊がもう一度崩壊するかもしれない。住民たちは、「住み続けたい、でも次の災害が怖い」という不安定な状況にあった。


                 写真4:レンケセの風景

そうした中、2005 年12 月、「住民主体の災害予防」と名付けた研修が実施された。村のモスクを会場に行われたこの研修は、村人約40 人が参加し、毎日午後1時過ぎから夕食の時間帯をはさんで夜の10 時過ぎまで、12 月26 日から年を越して2006 年の元旦まで7日間ぶっ続けで行われた。ファシリテーターとなったのは地元NGO のスタッフたち。7日間のカリキュラムは、@自然災害の定義、A地滑りが起きる原因、その兆候、そのインパクト、Bレンケセ集落を知る(地図作り=自然と社会)、Cコンパスの使い方と地図の見方(陸軍の協力をうける)、D再び地図作り(環境マップ)、EFirst Aid(怪我への対処)実技講習含む(陸軍の協力で)、F早期警戒システムの構築(地滑りの前兆、それを発見する方法、知らせる方法、そして待避方法)、G今後の活動計画(警戒所と通報システムを作る)、というものであった。研修の参加者は予想を大きく上回り、毎日の実施時間も住民の要望で午後だけでなく夜遅くまでやることになった。地図作りやFirst Aid の研修のため、陸軍の駐屯地まで掛け合いにいったのも、村人たちのイニシアティブによるものだった。

そして研修後も住民による監視活動が続けられるとともに、今では、残された土地を有効活用して経済的な安定を図るために、畜産や植林に積極的に取り組み始めている。研修自体は、住民と話し合いを続けてきた地元NGOが協力したが(実際の経費は殆ど集落が負担)、その後の活動は、集落の人たちだけで担い、地元NGOのフィールドワーカーは必要な時に呼ばれて訪れてアドバイスをするのみとなっている。集落リーダーのDaeng Tika氏は、祖先から受け継ぎ、自分たちが生まれ育った地域を誇りに思い、それを守って、次に受け継いでいくことを大事にしている。そのためには、災害に備えるだけでなく、自然とともにあるここの暮らしを再興し、経済的に自立していける道を探っている。私たち外部者が訪れると、「こんな山奥で見捨てられそうになったレンケセに来てくれてありがとう」という感謝の気持ちを身体一杯に表すとともに、「どうやったら自然を活かしながら生計を向上させるか」についての彼なりのアイデアをさまざまに語ってくれる。日本人の援助関係者を前にしても、「援助が欲しい」ということは一切言わず、自分たちでやれることを少しずつでも実行しよう、という心構えが伝わってくる。


    写真5:集落リーダーのDaeng Tika氏      写真6:村人が作った監視所

3.教訓(問題点と分析)

3−1.コミュニティの底力

レンケセの場合は地滑り災害、水俣の場合は水俣病という、コミュニティの人たちにとって「外から降ってわいた」大きな災難が降りかかる中で、「何とかしなくては」という復元力がコミュニティの内部から生まれてきた。「コミュニティの底力」と言ってよいのではないか。そしてそれは、何も大災害の後だけに現れるのではなく、世界各地の地域でごくごく普通に発揮されていることだろう。なぜなら、そもそも人がなぜ地域コミュニティを作って生活するのかと言えば、地域の自然を持続的に活用しつつ生産と再生産を続けていくために、人と人とが支えあいながら自分たちで課題を解決していかなければ生きていけなかったからだ。

自然資源の共有と共同管理のシステムといえる日本の「いりあい」制度だけでなく、地域の自然を持続的に管理していく伝統的な取り決めは、世界各地に見られる。また農作業や茅葺き屋根の修繕等に見られる相互扶助の「結」や経済的な支え合いである「講」のような組織も世界中で実践されている。私たちのような援助関係者が外から来て教えてあげなくても、村人たちは代々、ずっとそうやって暮らしてきたものだ。そしてそうした実践の延長線上として、コミュニティの人たちが自分たちのイニシアティブで様々な課題を解決した事例を、私たちはいろいろな地域で見ることができる。インドネシアでも、灌漑用の堰と水路を自分たちだけで造ってしまった農村、爆弾漁や薬品漁を止めて海のパトロールを自主的に始めた漁村、森林資源をいかに持続的に活用してきたかを地図にして国立公園内の森林を従来通り使用することを認めさせた山村等、さまざまな村が自分たちの抱える課題を、外の人の介入無しで解決しようと動いている。

3−2.外部者の関わり方

もちろん、コミュニティの人たちが、何でも自分たちだけで解決できるわけではないだろう。そこに私たちのような「外部者」の存在が必要とされる。しかし、水俣とレンケセの人たちは、奇しくも共通して、「外部者」への厳しい視線を語っている。「水俣病の発生以来、数多くの専門家がやってきていろいろ調べていったが、地域の我々には何も残らなかった(吉本哲郎氏)」「地滑りの後、たくさんの専門家が来て調査したが、何がどうなっているか、誰も教えてくれなかった(Daeng Tika氏)」。もちろん、それぞれ訪れた専門家の人たちは、誠実に熱心に自分の仕事を果たしたことだろう。立派な報告書を作り、それは何らかのプロジェクトや政策に繋がったに違いない。しかし自分たちが対象とした地域にはコミュニティがあり、そこには人々の生活があり、喜怒哀楽があり、様々な共同活動がある、ということを、どれだけの専門家が心に留めていただろか。自分もまたコミュニティの一員であり、ここの人たちと同じレベルの人間なんだ、という視点を持つことは、外部からコミュニティに関わろうとする者が最初に持つべき心のあり方ではないか。

そしてもう一点、大事なのは「あるものから始める」こと。水俣の地元学が唱えたのは「ないものねだりからあるものさがしへ」だった。それは、何も水俣だけに限らない。外部者が地域に入る時、「この地域の課題は何か」「どんな問題があるか」という視点で語ることがいかに多いことか。でも、もしあなたが、突然やってきた人に、「あなたの抱える問題は○○です」と言われたら、どう感じるだろうか。怒るか、或いは「やっぱりそうなんだ・・・」と意気消沈するか。いずれにせよ、その人自身の積極的なイニシアティブを引き出すことにはならない。一方、もし「あなたは素晴らしいですね。こんないいところがいっぱいあるんですもの」と言われたら、少しはやる気になるのではないだろうか。水俣発祥の地元学で外部者に求められるのは、「地域の『あるもの』に驚き、それを賞賛すること」だ。レンケセに関わった地元NGOの人たちが第一に強調したのは「あなたたちがここに暮らし続けたい、ということを前提条件としましょう」だった。そして、国からも県からも見放されそうになっていた集落に何度も足を運び、村人の思いを聞き、一緒になって何ができるかを考えていった。このように、人に認められ、自分が持っているものが評価されることで、人々は自信をもち、誇りをもち、何かを始めようとするものだと思う。



4.提言

4−1.ミクロ面・すぐ実行できること:ファシリテーション技術を高める

既に前節で、「コミュニティに関わる外部者の留意点」について述べた。これは、「ファシリテーターとしての心構え」とも言える。この場合のファシリテーションとは、単に会議やワークショップでのそれではなく、より一般的に、「相手の気づきを促し、主体的な行動に繋げていくためのファシリテーション」である。住民が真に主体となる活動を外から促すためには、関わる人のファシリテーション能力が一つの鍵となる。これまで、対人援助や海外協力におけるファシリテーションについて、系統だって整理しその技術をまとめたものは殆どなかったが、私たちの仲間の中田豊一氏(参加型開発研究所)が著書『人間性未来論』(参考文献@)の中で触れるとともに、同研究所と当会(あいあいネット)との共催で「マスターファシリテーター講座」を開催している。(http://i-i-net.seesaa.net/article/106395715.htmlを参照)。

そこでは、1)ファシリテーションとは何か(ファシリテーションはなぜ必要か;因果関係分析の罠、セルフエスティームとファシリテーション)、2)目からうろこの対話術(人間の現実を構成する3要素、それに対応する3種の質問、「事実をして語らしめる」対話術を習得する)、3)覚えて使うための日常訓練(場面に応じたファシリテーションのタイプ、場数をこなす、体で覚える)、4)グループワークの手法(グループワークのツールの紹介)、5)ファシリテーションの組み立て方(仮説を立てることの大切さ、導入から落としどころへ向けて)といった内容が組まれている。コミュニティ開発において外部者として関わる人はもちろんのこと、ファシリテーションは国際開発援助のさまざまな場面で、相手の主体性を引き出すために必要とされており、この技術を理論とともに身につけることが、海外協力に携わる者にとって大変重要であると考えている。

4−2.マクロ面・或は長期的な視点:住民が動き出したら資金を出さない

たとえ住民の主体性を引き出すファシリテーション技術があっても、活動にあたって、最初から目標も内容も予算も決められていたら、本当の意味で住民のイニシアティブによる持続的な活動を作ることは難しい。しかも、実は「コミュニティが主体的に動き出したら、あんまりお金がかからない」というのが現実だ。なぜなら、住民が何かを課題として位置づけてイニシアティブをとるなら、既存の入手可能な資源を最大限活用して動こうとするのが普通だから。だとすると、「これこれこういう活動でしたら、これだけの額を支援します」という、「はじめに課題ありき」「はじめに資金ありき」のプロジェクトは、「コミュニティ主体の活動」を生み出すことにはなりにくい。しかし、これは開発協力に携わる者にとって大いなるジレンマであるが、ある程度「何を目標にどんな活動を行うのか」が決まっていないと、ドナーが資金を出すのは難しい。しかも、プロジェクトとして計画した以上、それに沿って資金を使わないといけないことになる。ではどうしたらいいか。

大胆かもしれないが、「住民が動き出した後」には資金を使わず、「住民が動き出すまで」にのみ資金を出し、支援する、という形が望ましいように思う。コミュニティに何度も足を運び、対等な友人となりながら、そのコミュニティの「あるもの」に眼をむけ、何ができるかをともに考えていく。こうしたプロセスには、巨額の資金は不要だが、コミュニティに関わるための交通費と、その人の人件費が必要である。また、ファシリテーション技術の研修も大事だろう。レンケセ集落の場合、地元NGOが既成のプロジェクトを外から持ち込むことはせずに、何度も何度も集落に通い、村人とゼロから話し合うなかで活動が実現した。このNGOのリーダーに対しては、JICAの技術協力プロジェクト(市民社会の参加によるコミュニティ開発=PKPM)を通じて、ファシリテーター育成研修が実施されている。

こうした部分にのみ経費を使い、コミュニティが自主的に動き出したなら、その活動に必要な経費はプロジェクトとして出さない。コミュニティの中にある資源を第一に使い、必要であれば、コミュニティ自身が外のリソースにアクセスして資金を調達する。外部者はそうしたプロセスに対して専門的な助言をするに留める。そして、コミュニティ同士の経験交流や情報交換を促すことによって、住民主体の活動を側面から支えていく、というのが、私たち外部者に求められている役割ではないだろうか。

5.参考文献 :

@『人間性未来論 原型共同体で築きなおす社会』中田豊一著、竹林館
A『PKPM〜ODAの新しい方法論はこれだ』西田基行著 文芸社
B「地域から変わる日本〜地元学とは何か〜」『増刊現代農業2001年5月』農文協

 



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2008年10月20日掲載
担当:中村、菅野、宮口、藤澤、迫田、奥村

 



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