(聞き手)田瀬:国連には何年いらっしゃいましたか?
忍足:34年です。そのうちWFPは25年ですね。
田瀬:国連といいジャズ*2といい、何をやっても忍足さんはご自分を一流に持っていかれる気がするのですが、いかがでしょう。
忍足:高校時代は勉強もしなくて音楽ばっかりやっていて、本当はミュージシャンになりたいと思っていたくらいなんです。僕のオヤジはミュージシャンなのですよ。だから俺のレベルじゃミュージシャンを目指すのはとても無理だなと思って。ただずっとやっていたっていうだけなんです。その頃から変わってないですよ。世界中で演奏してきました。
田瀬:それはすごい。「能ある鷹は爪を隠す」ですね。これまで国連でも多くの職員を率いてこられましたが、客観的に見てご自分はどういう点が国連にいるほかの人と違うと思いますか?
忍足謙朗(おしだり・けんろう)国連世界食糧計画(World Food Program −WFP)元アジア地域局長。30年以上にわたり国連に勤務し、人道支援、開発支援の現場で活躍。WFPではボスニア紛争、コソボ紛争などの紛争地、内戦時代のカンボジア、スーダン共和国等で大規模な緊急支援の指揮をとる。2009年から2014年、WFPアジア地域局長を務め、アジア14か国の支援の総責任者となる。この道のリーダー的存在として国内外で評価され、2006年にTBS「情熱大陸」、2014年にはNHK「プロフェッショナルー仕事の流儀」に出演。2015年から日本国内での活動を開始、国際協力に興味を持つ若い世代の育成や、防災・緊急支援分野で貢献していこうと考えている。 |
忍足:僕はどちらかというと何でも即興的にやるほうだから、全部インスピレーションとその場の判断でやって来た部分が大きい。あとは仲間とか部下をすごく大事にします。上には嫌われたりもするけどね、逆らうから。その自分の仕事のやり方っていうのが音楽にも繋がってくるのかな。実は国連で主流なワークプラン作りとか、Results Based Managementなどの形式的プロセスは嫌いです(笑)。うちのスタッフはみんな知っています。
やっぱり現場の仕事というのは予想もしなかったことがいくらでも出てくるし、特に緊急援助の現場では予定立てても仕方がないというのはある。しかし、そちらのほうにむしろ情熱を感じますね。フィリピンで台風があれば飛んで行きますし。ただ、現場に行った時に凄いスピードで状態を把握して判断できるということが大事だと思います。これはやっぱり経験から来るのだと思う。初めからできていたわけじゃなくて積み重ねですね。多分自分がこういうやり方を確立したのはコソボあたりだと思う。あそこでリーダーシップを執って、ルールを無視して、スピード重視で動かして来たこと、それがWFPでは通じたっていうことで、ある程度スタイルが確立した気がします。
田瀬:緒方貞子さんの1993年頃に似ている気がします。
忍足:そうですね、緒方さんもそうでしたね。あのボスニア紛争のときのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)には注目が集まって羨ましかったですよ。ぼくも1992-93年にWFPの最初の緊急チームで現地に入っていました。その後1999年にコソボ紛争が起こったので、「あの羨ましさを晴らしてやろう、WFPは今回光るのだ」と頑張りました。コソボの時はまずマセドニアを任されて、現地でスタッフを雇ったりして、ゼロからのスタートでした。そしてスピード重視、ルール無視のスタイルを下も上も認めてくれた。よし、じゃあこのスタイルでやっていっていいのだなと感じてその先動いてきた気がします。それまでもいろんな事を経験して、ボスニアで悔しい思いをしたこととか、カンボジアですごく面白いことを仲間と一緒にできたこととか、いろんなものが積み重なって自分のやり方になったのだと思います。
ルールは守らなければいけない時は守るけど、そうじゃない時はそうじゃないと。緊急援助の時は、ほとんど毎日ルールを破っていますよ。初動では特に立て続けに全部破ります。そうじゃないとやんなきゃいけないことができない。ただ、なんでルールを破ったかはちゃんと書いておけよ、っていつも言っています。あとで監査が入りますからね。ですからまったくとはいいませんが監査で困ったことはありません。そこに「こうこうこういう理由でこのルールは無視しました。そうでなければこういうリスクがありました」と言えればいいんです。組織の文化もありますし、官僚機構の国連全体がそうなるのは難しいかもしれませんけどね。
特にキャリアの終わりの方になってきて僕がはっきり言ってきたのは「僕はWFPは大好きだけど、国連全体の性質は実はあまり好きじゃない」ということです。国連の一組織なのだから他の国連の組織ともちろん一緒にやらなければならないし、現場で何か一緒にやることは素晴らしいけれども、一緒にやることについてのトークがあまりにも多いんです。UNDG(国連開発グループ)だとか、IASC(機関間常設委員会)とか、会議や議題が多すぎる。だからもう一つ上のポスト(ASG:事務次長補)みたいなポストをやれと何回か言われたのですけど、僕にはできないと言っていたのです。僕は好き勝手なことを言ってしまうので調整には向いていないし、他の機関とニューヨークやジュネーブレベルでWFPの代表として外交をうまくやっていくタイプの人間ではないんです。
逆にどちらかというと、他を押しのけてでもWFPが届ける、とにかくWFPは絶対に失敗させない、と。まあ押しのけはしませんけどね(笑)、コーディネーションミーティングとかに出席するより現場を仕切るタイプです。僕をよく知る人は、ケンローの命令は非常に簡単だ、「Don’t fuck up」(失敗するな)だ。で、実際にそうなのですよ。台風などの自然災害支援の時でも、初めに僕自身が入っていって、誰が何をやるかということ、どこに何が必要かということだけを全部決めて、あとは「Don’t fuck up」ってバンコクに帰っていく。それがケンローのスタイルだということはみんな知っています。
いろいろな点を部下からチャレンジされることもありますが、僕はちゃんと聞きます。自分の考えも間違っていると思ったら、ちゃんと変えます。逆に、今まで一番激しく上司と喧嘩したのは、うちの現事務局長と2年前の(彼女が入ってまだ1年目の)彼女の人事のやり方にすごく怒ったときですね。彼女も僕が彼女の方針に反対してバンコクで色々言っているみたいに聞いていて、ドバイで会った時に呼ばれて一対一で座って話したんです。そのとき彼女が「あなたのリーダーシップには失望したわ」と言ったので、僕も「あなたのリーダーシップにも大変失望した」と言い返しました。その時は、がーんとぶつかりましたね。でもその後はむしろ仲良くなりましたよ。
聞き手:田瀬和夫(たせ・かずお)国連フォーラム共同代表、デロイトトーマツコンサルティング執行役員。日本経済と国際機関・国際社会の「共創」をテーマに、企業の世界進出を支援し、人権デュー・デリジェンスをはじめとするグローバル基準の標準化、企業のサステナビリティ強化支援を手がける。1992年外務省に入省し、国連政策・人権人道・アフリカ開発・国際機関拠出金・人間の安全保障、緒方貞子氏の補佐官などを担当したのち、2004年より10年間国際連合人道問題調整部人間の安全保障ユニット課長。大阪大学招聘教授。 |
田瀬: それはたいへんな闘魂ですね。また、忍足さんは「できることを信じる」楽天主義者でそれが原動力になっているように感じますがいかがですか?
忍足:楽天主義者というか、けっこう「やばい」という状況で仕事をしてきたので、「まあなんとかなるだろう」というのが僕の基本的な態勢ですね。どんな状況に置かれても、まぁなんとかなるだろうと。今までもそうだったし、たぶんこれからもずっとそうですね。多分いろんなことを切り抜けてくると、そういうふうに思い込むようになるのですよね。
一番「なんとかならないかもしれない」と思ったのは、スーダンで、政府がダルフールからNGOを追い出した時です。全部ではないのですが13組織ぐらい。そのうちのいくつかの組織にWFPは国内避難民キャンプへの食糧配給を頼っていたのです。200万人以上ダルフールに国内避難民がいて、そのうち110万人を扱っているNGOがスーダン政府に24時間以内に国外退去しろと言われた時には、本当にこれは無理なんじゃないか、110万人に配給していた人たちが出て行ってしまったら、どうやって明日から配給すればいいのかと思いました。
そこだけ配給が止まってしまうと、配給が止まったキャンプにいる避難民は他に一気に動きますよね。110万人が他のキャンプに移動すると混乱が起きます。だから選択肢は2つあって、一つは200万人以上が住む全部の避難民キャンプの配給を止める。そして政府に抗議する。もう一つはWFPが突如明日から110万人全部に配給をやるか。その時の最終的な決定は110万人をWFPが自分たちでやるということでした。
どうやってやるかというと、スーダン政府から追い出されたのはNGOの外国人職員だけで、スーダン人職員はスーダン国内に残っているわけじゃないですか。そのスーダン人たちをWFPのサブオフィスの職員として翌日の朝全員雇いました。300人ぐらい。追い出された組織の現地職員全員です。給料はどうするのだという問題もありましたが、NGOが払っている額をそのまま支払うということにしました。通常の人事手続きは全く無視ですけどね。とにかくNGOから借りているだけだから、いずれまたそれぞれのNGOに返すからと話して、NGOのTシャツを着ていたのをWFPのTシャツ300枚送ってもらって、それを着せて仕事についてもらいました。なんとかなりました。
田瀬:めちゃくちゃ豪快な意思決定ですねえ。その時は、参謀がいたのですか。状況の分析は忍足さんがおこなったのですか。
忍足:ダルフールは代表が3人いるのです。北ダルフール・南ダルフール・西ダルフールと、その地域全体を見ている人と6人ぐらいでスカイプで夜中にチャットをしていて、一応ローマの当時の事務局長にも「全部やめるという選択肢もある」ということを電話で話しました。ただ、食糧配給を全部止めるのは組織のマンデートとして出来ないということになり、24時間しかないのでそのスカイプのチャットで全部その場で決めたのです。
田瀬:それを決めた時は「できる」と思って決めたんですか。それとも「やらなきゃいけない」と思って決めましたか。
忍足:やんなきゃいけないと思ったんじゃないかな。それしかなかったですね。その2つの選択肢しかありませんでしたし。でも、そんな無茶な決断をサポートしてくれて、そのとおりに動いてくれて、実現させてくれた現場のスタッフには頭が下がります。本当にすごい連中です。
田瀬:型にはまったプロセス重視のリーダーが多い中で、忍足さんのようなタイプのリーダーは少ないと思います。また、今のような話を聞くと国連のリーダーに必要なのは論理的で左脳的な力よりも「人情」や「思い切り」じゃないかと思ったりしますが、どう思われますか?
忍足:リーダーっていうのはビジョンを持ってなきゃいけないし、みんなに共有できないといけない。でも基本的にはリーダーは下を大事にするべきだと思うし、下を代表して、上にがんがん下が考えていることを言えるような力が必要だと思う。バックグラウンドがみんな違うから、考え方もそれぞれだけど、大事なのは、部下が信頼して付いて来てくれるっていうこと。それがあれば大丈夫です。上もこわくないです。むしろ、上がこわがります。
でもその代わり、僕はスタッフ選びには何よりも力を入れます。特に各部署の長みたいなのは、本当に信頼関係のある、向こうも信頼してくれている人を据えます。「こいつなら多少無茶を言ってもできるだろう」と。それで向こうも信頼してくれているから、かなり無茶苦茶なことをやっていますよ。「ケンローならこれくらい許してくれるだろう」と。私の決裁を経ずに勝手に物を発注しちゃったり。でもそれでいいんです。
国連にはそういう人情を大切にするリーダーが多いわけではありませんが、一人尊敬する上司がいますね。元上級事務局次長のジョン・ジャック・グレイスという方でもう退職しているのだけど、昔彼がWFPの世界中のオペレーションを仕切っていたのです。彼は本当に現場をよく分かってくれていて、現場を代表してくれた人です。トップに現場の主張を言って、現場のスタッフを守ってくれる人でした。その彼の下で働いたコソボやスーダンの経験が重なり、そういうボスになりたいっていう気持ちはありました。
若手では、例えば東京事務所現所長のスティーブン・アンダーセンがいます。彼は私より慎重派かもしれませんが、若い頃から緊急援助を南スーダンなんかでもやっていて、そういうWFPのDNAを持っていると思います。フィリピン代表の時は僕の下にいて、なんでも気さくに聞いてくるタイプでしたね。「ケンローどう思う?」とすぐ電話してきて、意見を聞いてくれる。だから、僕の信頼する連中というのは、僕に聞かなくてもいいものと僕に聞いてくるべきものの判断が分かっている。もちろんそういう人ばかりではない。でも、そういう人たちが僕の経験ではWFPにいて、それが僕自身のプライドでもある。そしてそういう連中と仕事をするのは、楽しい。
WFPがすごいなと思ったのはスーダンにいた時です。南も北も私が全部まとめていて、職員は3000人いたのですよ。一番多い時で外国人職員が250〜300人、国籍で数えると77ヶ国いました。それがみんな一つのことに向かって仕事をしている。しかもダルフールでは共同生活で、オフィスと生活部分が同じ建物にある状態で食事も一緒。そのぐらいに家族的にうまくやって、パーティーもあってお酒もたくさん飲むのですが、すごく一体感がありました。
スーダンには3年半いましたが、いまでも年に3、4回ローマに行く時には必ず、その当時ともに仕事した人たちと再会してパーティーをしています。だからすごく結束が強いし、ボス冥利に尽きるというか、誰かの家でパーティーをやって、毎回50人ぐらい集まるのですよ。そこではランクも関係ないし部署も関係ない。どこかで緊急援助が必要になった時にはこのパーティーのメンバー全員をそのまま送り込めばいいね、なんて冗談で言っていました。
田瀬:緒方さんとも共通しますけど、忍足型のリーダーシップというか、自分で判断基準を持っていらっしゃるので、法とかルールとかそういうものは自分の判断基準に照らして、自らの良心と信念に基づいて解釈されている。そしてそういう「心の軸」に基づいた意思決定というのは、いまの日本人にとって必要なことだという気がします。忍足さんには今後もそういう点でお変りなくいていただきたい。
忍足:変わらないと思いますよ。組織は全部、人ですよね。スーダンなんか33のサブオフィスがあったのですが、いつも新しくそれらのオフィスのチーフが赴任して来るたびに言っていたのは、「あなたの一番大切な仕事は、ハッピーなチームを作ることだよ。チームがハッピーだと不可能だと思えるようなことまでできる。でも、チームがハッピーじゃないとごく当たり前のことも全部失敗するよ」と。もう本当に、人。特に、外国人職員とスーダン人職員がうまくいっているオフィスは絶対うまいこといく。そこがうまくいってないオフィスはもうだめ。外国人職員はたったの10%で残りの90%はスーダン人職員な訳でしょ。この90%がハッピーに仕事してもらえるように、現地職員を大事にします。
田瀬:うまくいかない場合もありますよね。たとえば、人を解雇した事はありますか?
忍足:あります。これは国連の中で一番の問題点だと思います。よくない人を解雇することができない。いざしようとすると国連内の裁判みたいなのがあって、そこにいくとだいたい職員が勝っちゃう。国連の一番の弱点、問題点だと思っています。よっぽど悪いこと、不正などをしないとクビにできません。これはもう、あとはね、内部で窓際族みたいなのに持って行ってしまうとか、人事的な判断でこのポストには置いておけないから追い出すという程度のことしかできないですね。
WFPでは毎月1回はインターナショナルスタッフの人事異動の会議をやるのですが、ふだんはビデオ会議か電話で、トップ4人+ローマから8人+地域局長6人くらいでやります。あとは年に1回、夏に300人くらい動かすのがあって、それは1週間我々がローマに行って缶詰めになって、将棋の駒のようにトレードをするのですよ。だからもう、自分のチームの人材を取ってくるわけですから、すごい努力ですよ。出来る人をアグレッシブに引っ張ってきて、ダメなのを押し付けられないように(笑)。
スーダンなんかで300外国人スタッフがいたら、毎年100人は異動する。採るのも大変ですけど、出してあげる時もできるだけ希望しているところにいけるように、ものすごい力を入れて推してあげる。そういうことも大事だと思います。喜んでもらえるし、またケンローと一緒に働きたいと思ってくれます。
田瀬:コソボやマケドニアを含めて、危険地での単身でのお仕事が多かったのではないですか。20代後半のご子息がお二人いらっしゃいますが、お二人が子どもだった時期は忍足さんの海外でのキャリアと重なっていますよね。
忍足:昔はNon-family duty station(家族非帯同任地)という制度はなくて、二人とも小さい時はケニアで育っています。当時はUN-Habitat(国連人間居住計画)のケニア事務所で働いていました。でも下の子の体が弱かったので一度日本に帰して、また小学校高学年の頃にローマに行くことになったので、家族一緒に行きました。半分以上別々ですね。そうするとなかなか何か月も会わないということもありました。
たぶん国連の人はみんな言うと思うのですが、ニューヨークなど一箇所で勤務の人はいいですが、WFP、UNICEF(国連児童基金)、UNHCR、UNDP(国連開発計画)など、人道支援や開発で動き回る仕事は家族に負担があるので難しいなと思います。だからかなり家族を犠牲にしたなと思います。
女性でお子さんがいて国連職員となると男性よりさらに大変だと思いますが、日本に比べれば理解があると思います。異動に関しても、もちろん家族のこととか病気持ちの人などに配慮します。でも、現在のポストの半分以上は家族を連れていけない地域なので、キャリアを通じてずっと避けることはできないと思います。もちろん避け続けている人もいますが、そうすると不公平が生じてしまう。難しいですよね。スーダンにいる時はシングルマザーの人も結構いましたけどね。お子さんを連れてきて、昼間はお手伝いさんが見ているという人はいました。日本人だからできないというのはないと思います。
僕は初めてJPO*3で赴任したのはリビアだったのです。1980年。結構生活するのが大変で、その時日本人の人と結構会ったのですが、多くはリビアに物を売ったり石油関係だったりという会社員でした。それを見て僕は、やってみたらみんなできるのだと思いましたね。できる人が少ないのではなくて、できない人の方が少ない。会社から送り込まれたのだろうと何であろうと、ぽっと放り込まれたら、けっこうみんなやっていけるのですよ。
だから、日本人ということに関係なく、職業も関係なく、「やれ」と言われればみんなたいていのことはできるのです。僕はどちらかというとそういう解釈ですね。中にはどうしてもできなくて、涙を流して「帰らせてください」という人もいますが、そういう人は少ないですね。
田瀬:私は国連ではいい先輩方に出会ったという記憶が大きいので、次の世代に力を貸す事を徹底的にやりたいと思っています。だから忍足さんにそう簡単に引退されては困る(笑)。これから国連を引退後は何をなさる予定ですか?私としては、次の世代にもっと影響を与え、リーダーシップのあり方を見せて頂いたり教えて頂いたりしたいと感じています。
忍足:学生時代も入れると41年ほど海外でやって来たので、日本に帰るのは少し怖いのですけど、これからは日本で何かお役に立てることをしたいと思っています。僕は本当に日本にネットワークがないのです。幸い最近テレビに出ることができて「忍足さん、見ましたよ」と言ってくださる人もいるのですが。僕自身が日本で活躍されている方々を知らないので、まずネットワークづくりから、と思っています。そして日本の皆さんに世界のいろんな不平等や問題に関心を持ってほしい。日本のメディアは全然外を向いてないし、ほとんど国内のことばっかり。一般の人たちが興味を持たないのもメディアとの関連がありそうですね。
僕は本来かなり適当な人間で怠け者なので、自分でお尻を叩いてやらないと何もやらないで終わっちゃうかもしれない。そっちの方が怖いですね。僕もこれからフルタイムで仕事しようということは考えていないのですが、自分も勉強しながら、機会があれば、少し話をして若い世代を育てていくということにはとても興味があります。
日本が出すODA(政府開発援助)というのは非常に大きなお金なわけで、多くの人がそれに関心を持ってないというのも悲しい。国連などのマルチの援助に関しての政策もあまり真剣に協議してないような印象を受けます。各国連組織に何人日本人がいて、どのポストにいるかとかが重視されていますよね。もっと国連で日本人に活躍してほしいという気持ちはわかりますが、それより日本として、国連とどうゆうパートナーシップを作って行くかの政策的なことが大事だと思います。同じODAをマルチに出すにも復興、教育、緊急援助など力を入れる分野を決める事も出来ると思うし、もしくはいくつかのドナー国がやっているように、それぞれの国連組織の厳しい評価を行い、パフォーマンスベースで援助額を決めるのも一つのやり方だと思います。国際的に見て一貫性のある政策をとっていったほうがいいのでは、というところはありますね。今の考え方を少し変えて行くような、それこそ国連フォーラムのように、付加価値を出す姿勢が必要なのでは。
田瀬:ありがとうございます。国際機関に関心のある人が多いですが、どうすれば日本人の国連職員が増えるでしょうか。関心を掘り起こすことはできても、実際に選ばれ、勝ち残っていくことは難しいのが現実かと思うのですが。
忍足:国連にただ入るなら、技術的なポストのほうが入りやすいのかもしれません。ジェネラリストよりね。でも僕は技術よりも情熱を大事にします。チームでうまくやっていけるかも大事ですね。
僕がWFPに入った時はね、もう国連に入っていた状態ですけど、現場に行きたかったからWFPとUNHCRとユニセフに手紙書いてね。WFPの面接に行ったらそこにナンバー2もいて、インタビューアー8人くらいと話し終わって人事部に行ったら、ポストイットに「Hire him (こいつを雇え)」って書いてあるカミ見せてくれて、その日に採用が決まったのです。25年前の話ですけど。WFPという組織のそういうところに惚れたっていうのはありますね。
UNDPのJPO、それからUN-Habitat行って、次にWFPに出会ってこの組織は違うって思いましたね。きついところに行かされるけど、その分組織の中で家族みたいなつながりがある。日本人がもっと入って、上に登っていってくれたらいいと思いますけど、数を増やせばいいという訳ではありません。WFPのJPO残留率はほぼ今ゼロに近い。First come first serve(早い者勝ち)みたいな状況で定員が満員になっちゃったから現状ではこれ以上人を採用できないけど、WFPもそろそろシステムを変えないといけない。そういう変わり目の時に必要な専門性を持っているとJPOなど若手は有利かもしれません。
田瀬:それもあって、WFPはすごく入り難いような印象がありますが、組織としてはこれからどんな方向に向かって行くのでしょうか。
忍足:事務局長である程度変わると思います。今は食糧よりキャッシュベースの援助に動いているし、栄養にも力も入れている。そのような組織的進化も大事だけれど、基本的にはWFPっていうのは緊急援助の割合が大きいです。緊急と復興も含めたら予算の90%くらいになります。エボラや災害等組織として一番リスクが高いのも緊急援助。失敗するとあっという間に国際的評価がリスクに曝され批判されるのですよね。でも逆にここがWFPの強みなんだから、その強みだけは守らなきゃいけないと思う。
田瀬:防災とか緊急援助って日本は多くの資金を提供しているし、知見としても強い気がするのですがどう思われますか? また、NGOを含む日本の市民社会の緊急援助における役割と国連のすみ分けについてはどうでしょう。
忍足:JICA(国際協力機構)や日本のNGOは緊急援助はあんまり強くないですよね。日本のNGOは草の根的な開発援助は素晴らしい仕事をしていると思いますが、海外での大きな緊急援助はまだまだでしょう。機動力が大切ですね。例えば、ぼくが最後に指揮をとったフィリピンの台風ハイエンには、初動時でも160人ぐらいのWFPのスタッフを世界中から現場に向かわせました。しかもかなり選りすぐった緊急支援のプロ達です。昔から日本のNGOはイメージ的にボランティア団体であってプロの集まりではないというイメージが、一部をのぞいて、まだつきまとっているような気もします。もちろん確実によくなってはきているけれど、WFP、UNHCRに割り込んでくるくらいの力をもっていないと大手の国際NGOに負けてしまいます。そういう力をつけていかないといけない。パートナーとして国連と対等に組むという方向も考えるべきです。
2011年の東北のときにWFPも入っていたのですけど、とても大きいお金が動いているにも関わらず地方自治体のレベルではNGO、WFPも含めてボランティアさんなのですね。区分けが自衛隊、地方自治体、赤十字、その他ボランティアさんっていう区分け。日本国内でのNGOの存在意識が一般の人達から見て、低いところにあるのかもしれないですね。さらに外国で見ていると、日本のNGOは少し孤立しているような気がしますね。現地でもあまり、交流がなかったり、考えを主張してこない。
これから国際協力とか人道支援とかの分野に進もうと思っている若い方達には、僕はあんまり国連にこだわらない方がいいと思います。世界中にある色んな不平等自体に興味を持ってほしいし、それをどうするかっていうことを考えた時に、国連は一団体にすぎないし、他にもいろいろ力を持っている団体があるしね。国連よりMSF(国境なき医師団)のような NGOの方が行動が速いときもありますし。日本のNGOには本当に力をつけてもらいたいと思いますし、NGOで仕事をする人達がキャリアとして十分やっていける体制になったらいいなと思います。
中学生、高校生あたりから興味喚起をするっていうのも大切なことだと思います。僕が出演させてもらった「プロフェッショナルー仕事の流儀−」や「情熱大陸」などを見て、こういう仕事をしたいと思った若い方から連絡をもらったことがあります。若い夢のある人たちがそういうのを見て、僕の知らないところで影響を受けているっていうのはすごいなと思いました。嬉しかったです。
田瀬:民間企業の方たちに対してはどう訴求していったらいいでしょう。組織としても個人としても、国際協力分野への一歩が踏み出せない方たちもたくさんいると思うのですが。
忍足:CSR(企業の社会的責任)ってこれからもっと力強くなっていくと思うのですよね。WFPと組んでいる企業もたくさんあるし、人事交流もしています。例えば、”Ending Hunger”というような大きな目標を社内で共有して、自分たちの職員をまとめるのにCSRを使っているところもあります。WFPがやろうとしていることがより多くの人に伝わるし、支援ももらえるし、けれど会社に対するメリットも大きい。国連みたいな組織と民間組織はどんどん交流するべきですね。
田瀬:WFPと日本企業の協力で言えば、WFP協会がやっていますね。日清食品が推進していますし、幾つかの会社の商品でWFPとコラボして売り上げ貢献につながるものがあります。また、CSR以外にも本業で協力したいっていう動きもありますよね。
忍足:一緒にやろうという動きはありますよ。WFPにアプローチしてくれる会社もあります。TNT Expressなんかは2004年のインドネシア津波のときには彼らのトラックや747の輸送機も貸してくれましたし。また、本業の取引関係は入札で全部決まるので、そのオファー次第で一緒にできる機会はあると思います。特にロジスティックス関係はWFPが一番強いですしね。日本でも日清さんをはじめ、だんだん国際的なCSRのパートナーシップに投資する会社が増えつつあると思います。ありがたいことですね。
田瀬:ご引退ということですが、たぶんそんなに休んでいられないと思いますよ。僭越ながらまだあと30年ぐらいはお元気そうだし(笑)。ちなみに国連を引退されたら多少は時間がおできになると思いますが、日本にいらっしゃるんですか? それから音楽以外のご趣味はありますか?
忍足:これからどうなることやら、それもチャレンジですよ。日本に帰ります。日本で通用するかまだわからないけれど、出来るだけお役に立ちたいと思います。特に、僕のやって来たような仕事に興味を持つ、次の世代のお手伝いができればと思います。
趣味としては割と水が好きで、魚釣りはよくやります。小さい頃からやっています。タイではあんまりやる人がいないのですが、川に行けばナマズとかはいます。世界中どこでもやってきました。スーダンでもやってきましたよ。ナイル川で。ナマズしか釣れなかったですけどね。
田瀬:ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
2014年11月8日 バンコクにて収録
聞き手と写真:田瀬和夫
プロジェクト・マネージャ:田瀬和夫
原稿起こし等:舛岡真理、西崎萌
ウェブ掲載:田瀬和夫