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第170回

高尾裕香さん

国連児童基金(UNICEF) カメルーン事務所 人道支援スペシャリスト

※ 国連人道問題調整事務所(OCHA)から出向中



高尾裕香(たかお・ゆか):国連児童基金(UNICEF)カメルーン事務所人道支援スペシャリスト(Humanitarian Affairs Specialist)。ニューヨーク市立大学で政治科学学士、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)にて暴力、紛争と開発コースで修士号取得。ウガンダでの村落開発(青年海外協力隊員)、ハイチでの震災後の緊急・復興支援(NGO)、スーダン・ダルフールでの人道問題調整官(OCHA/JPO)、シエラレオネでのエボラ緊急支援(OCHA)、アフガニスタンでの人道問題調整官を経て、2016年7月から現職にてカメルーン国内における複数の緊急支援を担当。

Q. 国際協力に興味を持ったきっかけは何ですか?

子どもの時から母が戦争関係の本や映像などの資料を見せてくれていたので、戦争や原爆、平等といった国際協力に関するテーマには小さいときから興味を持っていました。中でも、母に勧められて読んだ『はだしのゲン』(注1)はすごく印象に残っていますね。とても悲惨な話なのですが、未だに本を見ても目を背けたくなるくらいつらい気持ちになります。

小学生の時から英語にも興味があったので、漠然と国際的な仕事に就きたいという気持ちはあったのですが、本格的に国際協力の分野に興味を持ったのは、高校生で1年間アメリカに留学していた時に雑誌で自分と同じ年の難民の少女についての記事を読んだのがきっかけです。その時から国際協力の分野で働いてみたいと思うようになりました。

Q.高校を卒業した後、大学・大学院を卒業するまでの経緯を教えてください。

国際協力の分野で働きたいと思うようになってから、英語圏での大学進学を考えるようになりました。高校生の時に1年間アメリカに留学していたこともあり、最終的にアメリカの大学を目指すことにしました。アメリカの大学は学費が高いので、お金を稼ぐために4年間日本で働きました。お金を稼ぎたかったので、とにかく時給の高いアルバイトを探していましたね。昼はお肉屋さん、夜は焼肉系の居酒屋からコールセンターなど、なんでもやりました。当時は若くて体力もあったので(笑)、一日に朝から晩まで三か所で働くこともありました。

その後、無事アメリカにあるニューヨーク市立大学に合格して政治科学(Political Science)を学びました。大学卒業後は、就職せずに大学院へ進学することに決め、イギリスにあるロンドン大学の東洋アフリカ研究学院(SOAS (School of Oriental and African Studies), University of London)にて暴力、紛争と開発コース(MSc in Violence, Conflict and Development)で修士号を取得しました。

Q. たくさん努力を重ねて、海外の大学院をご卒業されたんですね。その後は、どのようなキャリアを積まれたんですか?

私は国連職員になりたいと思っていたので、逆算してキャリアを考えて、職務経験を積みました。大学院を卒業した後は、まずフィールド(現場)での経験を積むために、青年海外協力隊の短期ボランティアに応募して、7か月間ウガンダでの村落開発に携わりました。 その後は、JEN(注2)という国際NGOで2年間ハイチに駐在し、震災後の緊急・復興支援をしました。本部勤務も含めた2年間半のJENでの経験は私の仕事のバックボーンになっていますね。

Q. JENではどのようなお仕事をされていましたか?

最初は総務・経理担当のポジションでJENに入りましたが、最終的にはハイチの現地事務所長になりました。ハイチに行った当初は、被災者への配布物の必要数量確認と調達、輸送トラックの手配、並びに経理全般を担当していました。その後は水・衛生関係の事業もおこなうようになりました。井戸の修理だけでなく、地元の人々が井戸を管理するための「井戸管理委員会」という組織づくりをおこなったりするなど、ハイチの方たちが自立できるような取り組みもおこないました(注3)。

特に印象に残っている出来事は、東日本大震災が起きた際、ハイチの方たちに「日本はハイチのためにたくさん手伝ってくれたので、本当に私たちは感謝しています。私たちも日本でボランティアできませんか?」と声をかけてもらったことです。ハイチの方たちも大変な経験をしたにも関わらず、やさしい言葉をかけてくれて、「人は持ちつ持たれつ」と改めて感じた瞬間でした。

Q.JENで働いた後に国際機関で働くようになるまでの経緯、そして現在に至るまでのキャリアについて教えていただけますか?

JENで勤務している時に、JPO試験(注4)を受けました。JPO試験に応募するときには、ハイチでJPO試験に合格して国連職員になった先輩に多くのアドバイスをいただきました。

国連でのポストを探す上で大切なのは、コネ(人脈)です。いろんな人にネゴ(折衝)することが次のポストに繋がることも多い組織です。国連のポストは国連内部の人を採用する場合が多いので、国連職員になるための最初の一歩として、JPOはとてもよい選択でした。国連で働きだしてから出逢ったさまざまな同僚たちからもポスト(職)獲得に関するアドバイスをいただき、応募する機関やポスト(職)によって履歴書やカバーレターの内容を変えることも学びました。

青年海外協力隊とJENでの勤務経験が評価されたのか、JPO試験には無事合格することができ、スーダンのハルツームにOCHAの職員として赴任することになりました。できれば紛争地で働きたいと思っていましたし、大学でダルフールについて学んでからはスーダンで働いてみたかったので、スーダンに赴任することに決まった時は嬉しかったです。赴任してすぐ、首都のハルツームから紛争地のダルフールへの任地変更の打診があり、最初は出張ベースでダルフールでの勤務を開始し、その後正式にダルフールへ異動しました。

スーダンでJPOとして勤務した後は、OCHAのシエラレオネでエボラ出血熱の緊急支援に携わり、その後OCHAのアフガニスタン事務所で勤務しました。その後はOCHAからUNICEFに出向して、現在カメルーン事務所で緊急支援のスピードを含めた質の向上に取り組んでいます。

Q. さまざまな国での仕事経験をお持ちですが、各国で感じた文化や価値観の違いはありますか?

国によって文化は全然違いますね。 たとえば、ウガンダの人たちは写真を撮る時に笑わないので、びっくりしました。みんな真顔でした(笑) 。
私がはじめて住んだアフリカの国がウガンダで本当によかったと思っています。ウガンダには優しい方が多くて、気候がよくて、緑があって、英語も通じます。ウガンダとケニアはアフリカ初心者におすすめです。
今まで住んだ国の共通点としては、どこの国にも怠け者はいました(笑)。

Q. ウガンダ、ハイチ、スーダン、アフガニスタン、シエラレオネ、カメルーンなどといったさまざまな国で働いたご経験をお持ちですが、国を選んだ基準はありますか?

タイミングですね。ハイチで仕事をする機会をいただけたのは、フランス語が少し話せたおかげでした。たいしたレベルではないですが、大学でフランス語を副専攻にしていましたし、 フランス語ができる人があまりいなかったみたいなので、JENに呼んでいただけました。

Q. ご自身が評価されている点は何だと思いますか?

仕事をきっちりこなすところとコミュニケーション能力だと思います。強く意見をいうところはいって、協調するところは協調して、落としどころを見つけるのが上手だと思います。時間通りに仕事を終わらせるところもよく評価されます。

また、途中で気がついたのですが、国際協力の世界では、正論だけでは誰も動かないということです。メールだけでは仕事が捗らないことが多いので、コーヒーに誘って直接会いにいって話をしたりするなど、コミュニケーションの取り方も工夫しています。

Q. 現在の国際協力の仕事でやりがいを感じるのはどのような時ですか?

数字で成果が現れる時です。自分たちの仕事によって何人を支援できたのかが明確になると成果を実感でき、またがんばろうと思えます。

現在はOCHAからUNICEFに出向しているのですが、私はスタッフに緊急支援の基礎から指導しました。2014年にイスラム過激派のボコハラムから攻撃を受けて緊急支援が開始されるまで、カメルーンは安定した国だったので、緊急支援の経験がないスタッフが多かったのです。具体的には、ニーズアセスメント(現場で求められる支援の明確化)をし、レスポンスプラン(対応計画)をつくった上で、インプリメンテーション(実行支援)をして、その後モニタリング(支援状況の確認)をします。この一連の流れを仕組みとして導入しました。年末にスタッフ全員で業務を振り返った時に、最初に作業にかかっていた日数より少ない日数で、みんながより効率よく仕事ができるようになっていたため、スタッフ全員が嬉しそうで誇らしげでした。

私の今の仕事は直接裨益者と関わることがあまりなく、今いるスタッフの業務改善が主な仕事なので、実際に何人の裨益者が支援を受けたという成果を見せた時に、スタッフみんなが変わっていくのが見るのが嬉しいです。OCHAの仕事で重きを置いているのが緊急支援の効果的な協調とインプリメンテーション(緊急支援の実行)ですが、その成果を可視化する作業も私の仕事の一つなんです。

最初は新しいシステムを取り入れることに対して拒否反応を示されましたが、支援のタイムライン(行動計画)を頭に叩き込むことからはじめて、みんなが当たり前のようにこの一連の作業と考え方を実施できるようになっていきました。スタッフの意識が大きく変わったことに気付き、とても嬉しかったです。今はみんな積極的になっていて、「これ教えて!」ときかれることが増えました。

Q.国際機関への就職を目指している方たちが若いうちに身につけておくべきスキルはありますか?

若いうちに身につけておくべきスキルは語学力だと思います。大学院を卒業しているだけでは国際協力分野の仕事につくことは難しいですし、国際協力の世界では英語はできて当たり前なので、プラスαでフランス語やアラビア語ができると自分の強みになります。語学力があると、仕事の幅も広がります。私は今までの国際協力の現場で英語、フランス語、下手ながらもアラビア語、ニャンコレ語(ウガンダ南西部のアンコーレ地方で使われる言葉)、ハイチのクレオール語(仏語圏で使用されるフランス語と複数の言語が組み合わされた混成語))などを使って仕事をしていました。

また、ガッツも大事だと思います。諦めないことが重要です。

Q. 国際協力の仕事をされていて、一番大変だったことは何ですか?

ハイチ駐在の時です。日本で東日本大震災が起こり、当時所属していたJENの本部からの支援がほとんど受けられない状態になってしまったため、約1年もの間、人手不足の中であらゆる業務を遂行しないといけなかった時は大変でした。ちょうど東日本大震災が起こる数日前に当時のハイチ事務所長が異動となり、新しいハイチ事務所長が赴任する前に東日本大震災が起こったんです。ハイチよりも日本での震災緊急支援の優先順位が高くなったため、後任の事務所長が配属されることはなく、私がハイチ事務所長代理を務め、最終的には事務所長となりました。

震災発生時の私の役職は総務・経理担当だったんですが、いきなり他の業務も担当することになり、最初はとても戸惑いました。ロジ(後方支援)とマネジメント(管理・運営)の仕事内容は全然違いますし、人のマネジメント経験も初めてでした。もともとチームワークよりは一人でこつこつ仕事をする方を好むので、チームをまとめるのに苦労しました。

また、ハイチはギャングの活動が非常に活発で、治安が悪く、活動範囲も厳しく制限されていました。事務所長としてセキュリティ管理の責任は自分にあったので、移動の際も常に周囲を警戒しなくてはいけなかったり、細かいセキュリティルールを遵守しながらスタッフと共同生活する必要があった際は、スタッフとのコミュニケーションに苦労しました。

そういった突然責任が増えた中で、本部からの支援が受けられず、働きづめの状態が約半年が経過した際はさすがに体調を壊しましたね。あれが初めて燃え尽きたときだったと思います。自分も過労と精神的ストレスでつらいですが、日本の被災者の方のことを考えると文句もいえなかったです。どうしたらいいのかと手いっぱいになっていた時期ですね。
また、携帯電話を常に携帯させられ、メールがいつでも確認できてしまう状態だったので、逃げ場のない感じがつらかったです。
その時は誰でもいいからサポートに来てほしいと思っていました。
でも今となってはいい勉強になったと前向きにとらえています。

Q. これまでの色々なご経験の中で、国際協力の現場共有の課題だと感じられることはなんですか?

私が所属しているOCHAの視点からになってしまいますが、国際機関はどこもエゴが強いと感じます。そのため、協調することが難しいですね。
みんな共通のゴールに向かっているはずなのに、結局自組織の為だけの動きになってしまっている状況はよくあります。
特に、今お金がどんどんなくなっている状態で、そういうことをしているとお金がもったいないです。いかに国際機関同士のエゴを捨てて、協調できるかが大きな課題だと思います。

Q.国連広報センターのブログにて、高尾さんのOCHAのシエラレオネ事務所でのご活躍を拝見しました(注5)。 たとえば、エボラ出血熱が発生したときにも、WHOなどの他の国際機関との調整は大変ではなかったですか?

OCHAは最初現場に入っていなかったんですよ。UNMEER(UN Mission for Ebola Emergency Response:国連エボラ対応ミッション)という国連のエボラミッションが立ち上がり、リベリア、ギニア、シエラレオネで国連側のエボラ緊急対応全般の責任を担っていました(注6)。平和維持活動ではなく、「国際的に懸念される公衆の保健上の緊急事態(Public Health Emergency of International Concern)」に対応するためにミッションが立ち上がったのは国連の歴史上でも初めてでした。それだけエボラの脅威が大きかったということです。

ただ、全員寄せ集めでチームをつくっているため、コーディネーション(調整業務)も大変だったみたいです。そもそも、人道危機として感染症が注目されたこと自体ほとんどなかったんですよ。ただ、その後エボラが少し落ち着いてUNMEERが撤退するという話になったときに、WHOだけではコーディネーションが難しいということで、保健上の緊急事態で初めてOCHAが入ることになったんです。シエラレオネでは、OCHAは1年くらいWHOと協同で調整業務を支援しました。

WHOは医者が多いんですが、専門的な知識を持っている一方でコミュニケーション能力が低い人も多くいます。各機関の特色を活かしながら、他機関と協調してやっていかないと、どこの国際機関もやっていけなくなってしまいます。お金も限られていますしね。国連は非常にポリティカル(政治的)な組織で、国際機関同士の方針の違いは非常に大きいんです。その辺をうまく乗り越えていかないといけません。

Q. 仕事でストレスを感じることもあると思いますが、どのように息抜きをされていますか?

身体を動かしていることが多いですね。国によって行動範囲が限られてしまいますが、外に出られるときはよく山登りをしています。

アフガニスタンでは水泳やジム、サウナによくいっていました。アフガニスタンは本当に外出できる機会が少ないです。事務所内にジムがある場合はそこを使ったり、コンパウンド(複合住居)内のプールを使ったりしていましたが、室内での運動以外はほとんど運動できる機会がありません。運動は、一番効率よくストレス発散する方法です。今は山登り、テニス、ジム、ゴルフをやっています。ヨガやっている人も多くいます。あとはドラマ鑑賞も好きですね。

Q. 一日のスケジュールを教えてください。

朝8時に出社します。そこからメールチェックや会議をしています。時期によって会議やメールの数は異なりますね。レポーティング(報告)の時期はレポーティング重視になります。
ただ、少なくとも月に1回は1週間くらい現場にでるようにしています。

事務所には割と夜遅くまで残っていますね。21-22時くらいまでいることもあります。他の職員は18時くらいに帰宅して家で仕事をしている人もいますが、私は自宅に持ち帰りたくないので事務所に残って仕事をするようにしています。

Q. 今後のキャリアについて教えてください。

実は、一度国連をやめることも含めて、転職を検討しています。最近は体調を崩すことが多くなったので、環境も含めた仕事選びについて考えるようになったんですよ。はっきりした体調不良の原因はわかりませんが、仕事の多さや労働環境が原因だと思っています。そこで、違う選択肢も見てみようと思ったんです。これまでずっと同じ道を目指してきて、もうすぐ10年になります。

一度国連で働き出すと多くの人は転職することを怖がります。これまで立ち止まって考える時間もありませんでしたし、一度掴んだチャンスであれば手放したくないという気持ちもありました。私も今の仕事に到達するまでの時間と労力、努力を考えると、国連をやめるというアイデアに躊躇することもありました。

ただ、ゆっくり考える時間を持てた時に、健康第一だということが身にしみました。これまでと同じくらい情熱をかけられないかもしれないけど、無理のない働き方ができればと考えています。仕事自体は好きなので、国連での本部勤務や短期フィールド勤務を年に数回行うなども含めて、働き方を見直し、健康をとるほうに方向転換しようとしています。第二の人生を見据えて、まずは夢探しからです。やりたいこととできることをうまくマッチさせていければいいなと。企業などへの転職も選択肢の一つです。

もっとも、転職するにしてもいろんな人種が混じっている環境で働くことは維持し続けたいとは思っています。少なくとも今年いっぱいは今の仕事をやる予定なので、節目の年になります。

Q. 高尾さんにとって国連とはどういう場所でしょうか?

ワクワクする場所ですね。何ができるかなと皆で一緒に考えられる場所だと思います。
マイナスな面も散々見てきたので批判する点もありますが、同じ規模で同じことができる国際機関はやはり国連以外にはないと思うので。
もっとよくなってほしいという気持ちもありますが、信念を同じくする人々が集まる組織としては、とてもいい場所ではないかなと思っています。

もともと理想に基づいてできた機関じゃないですか。当然、現実には理想通りにならないこともたくさんありますが、世界平和を守るという信念を持っている機関なので、皆がその信念に沿って動いていけば、いい方向に向かっていくと思います。今後もあきらめずに信念を持ち続けてよい方向に進んでいってくれればいいなと思います。

Q. 日本は、先進国の中でも国連職員の数が少ないと思いますが、それは何故だと思いますか?

日本人は 言語が苦手な人が多い印象があります。日本人は言語への苦手意識があるからかもしれません。言葉を話すことができればコミュニケーションはとれます。でも、何か話せばいいのに、単語を知っていても発言しないとか、下手だから英語を使わないとか、そういう日本人が多いような気がします。もっと知っている単語を並べただけでも自主的に話をすればコミュニケーションをとれるのに、恥ずかしがって話さない。もったいないと思います。

それでも、最近では日本にも観光客が増えてきたので、少しずつ変わっていくのではないでしょうか。 変なコンプレックスや他国に対する偏見をなくしていけば変わると思います。
別に日本人全員に国際化してほしいとは思わないですが、外国の人を当たり前のように受け入れられる土壌が整っていってほしいと思います。海外にももっと興味を持っていってほしいです。

Q. これから国際機関でのキャリアを目指す若者にメッセージをお願いします。

やりたいことがあるのであれば、何をやってでも最後まで頑張ってほしいと思います。どんなことでも大体は努力すれば叶うと思うので。日本人に生まれたからには、たとえ貧乏であっても働けば何とかなる環境にいると思います。 何かにつまずいたとしても、解決策を見つけていけば国連職員にはなれます。やることをきっちりやっていればできるはずです。諦めないでください。国連職員は一部の人しかなれない職業ではありません。誰でもなれます。



(注1)『はだしのゲン』は、広島で第二次世界大戦中・大戦後を主人公・中岡元が力強く生きていく姿を描いた作品である。原作者、中沢啓治が6歳の時の広島での被爆体験を元につくられており、戦争の悲惨さを訴えている。発行部数は国内外で1,000万部以上、20か国以上で出版されている不朽の名作。

広島平和記念資料館企画展「こどもたちの見た戦争 はだしのゲンとともに」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh1102/exh110200.html
株式会社汐文社(ちょうぶんしゃ)「はだしのゲン」
https://www.choubunsha.com/special/hadashinogen/

(注2)JENは「心のケアと自立の支援」をモットーに、世界各地で戦争や紛争、また自然災害の犠牲となった人々への支援活動を行っている国際NGO。1994年1月にJENの前身である日本初の連合NGO「日本緊急救援NGOグループ(Japan Emergency NGOs)」として設立された。国連や日本政府(外務省)と連携して、世界各地で支援活動を展開している。

特定非営利活動法人ジェン
http://www.jen-npo.org/

(注3)ハイチでの活動をつづったJENのブログ。高尾さんも記事を投稿している。
http://jenhp.cocolog-nifty.com/emergency/cat21785389/index.html

(注4)JPO試験(ジュニア・プロジェッショナル・オフィサー派遣候補者選考試験)とは、外務省が提携している国際機関に対して、原則2年間日本人を派遣する制度。派遣期間終了後に国際機関の正規職員として採用されることを目的としている。

外務省 国際機関人事センター「JPO派遣制度」
http://www.mofa-irc.go.jp/jpo/

(注5) 国連広報センターブログ シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために ― 世界人道サミット5月開催」 第11回 国連人道問題調整事務所・人道問題調整官 高尾裕香さん 〜人道危機に備えて、国際社会の協調が重要〜
http://blog.unic.or.jp/entry/2016/05/09/100353

(注6) 国連広報センター「エボラ出血熱と国連の対応」
http://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/social_development/ebola/

 

東京にて収録
聞き手:住野英理、村田友美、岡本昂
写真:岡本エ
編集:住野英理、村田友美、岡本エ
編集責任者:岡本エ
ウェブ掲載:三浦舟樹

 







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